世の中を支配している奴らは全てクズで、死んだほうがいい人間ばかりだった。私が助けたいと思っていた人々は医療技術にアクセスできないために毎日死んでいく。現代医療をもってすれば助かるはずの、些細な病気や大したこと無い怪我で人々は簡単に命を落とす。
現実を目の当たりにしたとき、何のためにドイツまで行って苦労して医療免許をとろうとしたのか分からなくなった。目指していたものがあった。人に安全と安心を提供できるような人間になりたかった。社会と平和に貢献する仕事がしたかった。
院の2年次、研修でフランスの大学病院に通ったことがあった。優秀な医師がたくさんいた。書物もたくさん出していて、多くの有名人を救ったゴッドハンドを持つと讃えられる人たちが手術台の前に立ち、その技を披露していた。毎日朝から晩まで彼らの手術を食い入るように見て、白いノートに患者の経過と手術のあらましを書き込んでいった。
その生真面目さを評価されて、病院からある日手紙が送られて来た。是非とも手術に立ち会い、優秀な学生に医療の最前線の事情を学んで欲しい。そんな内容だった気がする。
手紙を読んだ時は、また一歩自分の夢に近づいたことを知り馬鹿素直に喜んだ。本当に愚かだった。いつものように白いノートを持って病院を訪れると、見たことの無い看護婦に呼ばれて、いつもの手術室とは違い地下にある「集中治療室」と書かれた普段学生が立ち入りできないところに案内された。
医者を見て、患者を見て、医療器具を見て、息を呑んだ。医者は世紀を代表するといわれているとても優秀な人で、ピューリッツアー賞を始め、数々の賞をもつ人だった。そして、そこに横たわっていた患者は、被爆者だった。
南太平洋で行われていたフランスの核実験の被害者、いや、被験者といった方が正しいのかもしれない。
フランスは当時シラク政権に変わり、大国フランスを掲げるため核抑止力と核保有の正当性と必要性を主張していた。当時、日本が南太平洋に核廃棄物の投棄を試みて国際世論から非難されたのは記憶に新しかった。テレビのニュースを見て核の被害者が加害者に回る日がやってきた!とドイツ人の友人と笑いながら皮肉を言っていた。国際世論に打ち勝てるほどの説得力を持った説明をできるはずも無かった日本が、それを中止したのは当然の成り行きだったし、フランスが国防のために核実験を南太平洋の遠い島々、さんご礁の綺麗な海で行うことも酷く現実味の無い話だった。それに、その南太平洋は海外領土という立場を取っているが、あくまでもフランス領土で、「フランス国民」が住んでいるのだ。核実験を行うという話はあまりにも信憑性に欠けていた。
しかし、現実は残酷だった。核の威力の数値化と被爆の後遺症の調査がそこでは行われていた。核を実際に使った後、その放射能が人体に与える影響はどのくらいのスパンで考えられて、次世代の子供にどのような影響が出るのか。そして、自国の兵を出す際の安全性はいかんなものになるのかを調査し、国に報告していた。
自分は高校も大学も成績は常に主席で、センターもトップだった。それはドイツに来ても変わらなかった。誰よりもかしこく有能で、誰もが褒め称えた。けれど、知らなかった。こんなにも自分が無知で無能なことを。
あの日、あの大学病院の地下で、現実をつきつけられるまでは。
私たちは毎日人間を助けるために、多くのマウスを実験に利用し、その多くのマウスは苦しみあえぎ死んでいく。命の尊さを忘れず心に刻み、エゴだろうと決してその死を無駄にしないよう、前進したのは一重に人を救うためだった。
けれど、医療の最前線で行われていたのは人の命を奪うための実験だった。
愕然とした。目の前が真っ暗になった。
失望した。
馬鹿高い学費を両親から出してもらっていたため、卒業まで勉学をおろそかにすることなはなく模範的な学生として主席で院を卒業したが、医者になる道は捨てた。
生きる指標を失った。帰国してから何もせず、ぼーと家で過ごす時間が多くなった私を心配して父親は自分の会社に入ってみないかと言って来た。急成長中のIT企業で年収も高く、社会保険完備で福利厚生も整っていると、聞いてもいないことをぺらぺらと話してきた。
興味が無かった。どうでも良かった。
人権宣言を最初に発表したのはどこだったかと考えながら、同時に核非拡散を唱えている国が核保有国であることに気付き、思考を止めた。
面接を受ければ内定を出すと言われて、その場の流れで、赤坂にあるオフィスの一室で私は同年代の女性に面接を受けることになった。セミロングの黒髪を無造作に流している女性は人事の人間が休みで急遽自分が面接官になることになったと頭を下げてきた。
つまらない質問をいくつかされて、私がふざけた口調で言葉を返す。どうして医者にならなかったのか質問された時も、患者との信頼関係を築く自信がなかったなどと言い適当に流した。その女性は眉を垂らして困ったように笑った。それでも彼女は私に内定を出さなくてはならなかった。自分はここの取締役の子供で、この面接は形ばかりのものなのだから。最後に彼女はこう言った。
貴方にとって仕事とは何ですか。
希望だった。
仕事を通して人の役に立ちたかった。先進国で生き受けてきた恩恵を国際社会と日本に還元していきたかった。
その面接で私は帰国してから初めて泣いた。女性がハンカチを出してきたので、それを受け取って鼻をかんだらバインダーで頭を叩かれた。
一週間後、お祈りメールというものがパソコンのメールの受信箱に入っていた。不採用の通知だった。父親は驚いていたが、面接担当者の名前を聞くと納得した顔をした。それから、
入社したいかと、問われた。
気がつけば、私は頷いていた。
入社後、あいさつ回りは嫌味のつもりで一番最初に面接官の女性に礼をしに行った。が、彼女は私のことを全く覚えていない様子だった。腹立たしかった。
それから、仕事を覚えていくうちに、社会を支えるものが医療だけではないことを知った。それから、社会に出てみると医療に支えられている人間が多くいることを改めて感じられた。それから、社会人になって新たな人間関係が構築され、身近に支えたいと思う大切な人ができた。
そして、もう一度、医療の現場に戻ろうか、と考える自分に気付いた。
けれど、
どうしても、あと一歩が出ない。
誰かに背中を押して欲しかった。
できれば、あの面接官に、
今では先輩になった、彼女に頼みたいと思った。
きっかけが欲しかった。
何でも良かった。彼女と二人きりで会えてゆっくり話せる世界に行きたかった。往々にして願いというのは叶えられないものなのに、その時、私の願いは神に届いたのだろうか。ホテルに付属していた聖書を手に持った時、世界は反転した。
まさか、二次元の世界に転げ落ちるとは考えてなかったし、このような世界では彼女にはもう会えないものだと思っていた。けれど、この世界で私はより一層医者になることの志を強くした。水商売を営んでいる店が多くせめぎあっている界隈で老夫婦に拾われた私は、その地域の健康向上と性病に関する知識の普及に努めた。私の行動が評価され、住民の知識がついてきた頃、ゾルディック家のシルバに声をかけられた。突然のことで酷く驚いたが、彼が私の顔を見て、似た顔をした女がいた、と言ったので、彼の後を付いていくことを決めた。彼女、が先輩だと思ったわけではない。ただ、好奇心に駆られた。
だから、彼女に会えたときは、本当にうれしかった。その時は雇い主であるキキョウに邪魔されて、あまり話もできずに分かれてしまったが、テレポートでキキョウの用件を済ませるとすぐに彼女のもとに駆けていった。テレポートで指定した場所は彼女の居場所なのに、何故かクロロがいて驚いたけれど。彼女が生真面目にも全てのイベントをこなしていることを知って呆れたと共に、巻き込まれ体質なんだなと少し不憫に思った。
ゾルディック家で、二人きりになると、私は彼女に自分が進むべき道を見つけことを話した。彼女は困ったように笑った。
だから、不採用にしたのに。
知ってた?
私が貴方の面接官を担当したのよ
私も笑った。彼女が一目見て分かる程、私の志は決まっていたのに、ずいぶん遠回りをしてしまったのかもしれない。
彼女は、頑張れ、と言ってくれた。
私は頷いた。
もとの世界に戻るキーワードは「果たすべき使命を見出すこと」だった。五万とある世界の中から、私はもとの世界に果たすべき使命があると思った。だから、帰る事に決めた。
背中を押し、欲しい言葉をくれた貴方に、今、心から感謝したい。