畑シリーズ

番外編




薄暗い暗部の待機所に月明かりが注がれる。中央に椅子をキーキーと揺らすさんの姿があった。



さん、酒を飲むなら報告書を書き上げてからにしてください」


「面倒臭い。イタチ君が書いてよ。はい、上司命令―。」


「任務内容、色々。難度が、まあまあ。これでよく今までやってこれましたね」


「いつも、後輩が書いてくれるんだよ」


「はい、嘘。さん単独任務多いですよね」



俺にとって、さんは謎の人だった。

『赤い目の兎』と世間からもてはやされ、俺が入る前から暗部で確固たる地位を気づいていたさんは、手の届かない存在だった。

憧れていたし、尊敬もしていた。でも、どこを、といわれると、首を傾げるしかない。自由奔放で、豪放磊落、自分とは間逆の人だったからかもしれない。俺にとって、さんは不思議な人だった。





第一印象で人の7割決まるというが、彼女の場合、10割が決まった。ごく普通に自己紹介をしたというのに、酷く喜ばれ、意味もなく褒めちぎられた。それも、家柄とか血筋とか、そういう今まで人から当然のように与えられてきた賞賛ではなく、礼儀作法についてだった。

お辞儀の仕方が素晴らしかった、目上の人への態度が分かっている、昔受け持った後輩と比べものにならないくらい優秀だと、両手を挙げて喜んだ。

兎のお面を付けて、はしゃぐものだからその様子は酷く滑稽に見えたのを今でも覚えている。





俺には暗部というものに対して、漠然とした恐れがあった。名前も顔も知らない、無機質な面を付けた者たちを、どのように信用すれば良いのか分からなかったし、命を預けられるとも思えなかった。

自分の本来の任務を考えると、他人を信用することも、命を預けるということも禁忌であったが、十分に強くなっていない当時の自分は不安と恐怖で胸が一杯だった。そんな自分を察してくれたのか分からない。


彼女は面を取り、本名を名乗ったのだった。



その後に、1時間ほど暗部の心得、任務内容を淡々と説明し、最後には彼女の後輩のことも話してくれた。銀髪のチンチクリン、もとい『バカカシ』という後輩が、いかに嘘つきで、生意気で、役立たずなのかを語ってくれた。

最後の15分はほとんど彼の話だったが、彼女が面白おかしく話してくれたため、苦にもならなかったし、その頃には緊張もとけていた。その日、俺は彼女に感謝していた。

けれど、後日銀髪の先輩に挨拶をしに行った時『よろしくお願いします。バカカシさん』と声をかけて、・・・そう、あのカカシさんに殺気を当てられたのだった。

その様子を近くで見ていたさんは遠慮もなく、お腹を押さえてゲラゲラと笑っていた。

殺気を当てられて尻餅をついた俺を笑っていたのか、それとも『バカカシ』と呼ばれたカカシさんを笑っていたのか、・・・きっと、彼女のことだから両方なのだろう。


彼女は、嘘つきで、傲慢で、捻くれ者だった。なんだ、カカシさんと似てるな。




「カカシさんにも、手伝わせてるんですか?」



「まさか!こんなの頼めるのイタチ君だけだよ」



「はい、嘘。夕顔が昨日さんの分の報告書を書いているのをみました」



月明かりに照らされた彼女の顔が、はっきり見える。彼女は今日も兎の面を付けていない。何故か、さんは俺と二人きりの時は面を外していた。

俺の前だけは面を外すから、俺は彼女の『特別』だと思っていたし、実際特別だったのだろう。


ある日、カカシさんにその話をしたら、尋問室に連れて行かれ彼女の素顔について延々と質問された。勿論、彼女のことを慕っていた俺は簡単に口を割ることはなかったし、最終的に写輪眼を使われた時も彼に屈することはなかった。


まあ、拷問室に連れて行かれてたら、簡単に吐いていたかもしれないが。






彼女が俺を特別視したから、俺も彼女を特別視していた。


酒をチミチミ飲んでいた彼女がふと顔を上げて俺を見た。


「イタチ君は元気そうだね。皆、目元に隈つくったり、髪の毛の艶がなくなったりしてるのに」


「あぁ、近頃、間者や抜け忍が多くて、確かに皆疲れが溜まっているようですね」


「多かろうと、少なかろうと、関係ないじゃない。抜け忍、間者の有無に関わらず気を張っておくべきだし、仲間だからって盲目に信じることは驕り以外の何ものでもない。怠慢だよ。怠慢。」



「そういう考えを持つ人は少ないですからね。信じることを美徳だと思っている人は少なくありませんし」



「疑うことは、信じることと同じくらい大切だよ。・・・イタチ君は『狼少年』を知ってる?」



「?・・・俺の記憶が正しければ、嘘つきの少年が村人に信じてもらえず、狼に食べられてしまうというような物語だった筈ですが・・・」


「違う、違う。少年を信じなかった村人たちが狼に食べられてしまったって、話だよ」


「はぁ・・・」


納得のいかないような顔をしていると、さんはお猪口に酒を注いで窓際に立った。


「つまり、何が言いたいんですか?」



「半信半疑が一番良いってこと。・・・考えることをやめては、いけない。判断し、決断した後、行動しているその時も信じながら、疑うの。」


言っていることは何となく分かるけれど、やっぱりメチャクチャで、要領の得ないものだったし、何の薬にもならないものだった。

けれど、酒に写った月をどこか寂しそうに見るさんを前に、文句を言うのは憚られた。



「・・・ある男は親友を信じ、全てを失った。ある男は親友を疑い、親友を失った。

彼らは少しの猜疑心と少しの信用を厳かにした為、大切なものを失くしたんだ。・・・イタチ君、難しい話かもしれないけれど、君には何も失って欲しくないと思った」



「何で・・・」


「はは、勿論イタチ君が好きだからだよ」


春風によって栗毛の髪が綺麗に舞い、月の光が彼女の瞳に透明感を出していた。

はい、嘘。と、軽口を叩くのは、あまりにも勿体無くて、だからって素直にその言葉を受け入れるほど単純にはなれなくて、素っ気無く返事をすることで平常心を保った。甘くて苦い嘘だった。




果たして彼女の祈りは無駄だった。俺は色んなものを犠牲にしたし、同様に失った。


胸を焦がすような初恋も、甘酸っぱい青春も、なかったけれど、きっとそれに近い想いを彼女に抱いていた。カカシさんを尊敬しているのに、決して好きにはなれない所以はそこにあるのかもしれない。彼女の結婚指輪を見た時は、彼に対して嫌悪どころか憎悪を感じた。



彼女が吐いた甘くて苦い嘘は、本人にその気がなくとも俺の心を傷つけるのに十分な威力を発揮した。俺は少なくとも恋慕の情を抱いていたから、あの嘘だけは許せなかった。









俺は狼少年のような嘘はつかない。

カカシさんのように、気まぐれに嘘はつかない。

彼女のように、人をからかう為の嘘もつかない。

俺は、半信半疑、その狭間にある嘘しかつかない。







さん、貴方の言うとおり、俺の言った言葉の全てを信用してはいけません。

さん、貴方の言うとおり、俺の言った言葉の全てを疑う必要はありません。










ささやかな復讐と可愛い報復

紡がれるのは、もっともらしい嘘

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