畑シリーズ

梅に鶯




外は真昼だと言うのに、空は暗く今にも雨が降り出しそうな天気だった。



「草の里の特派員交代か」




イルカは、一枚のファイルを力なく眺めながら、受付の椅子で一人項垂れていた。



木の葉崩れは里に致命的な被害は出さなかった。アカデミーの生徒たちは全員ほぼ無傷であったし、里の領土も焼き尽くされるような事態にはならなかったのだ。しかし、一時的にも里は火影を失い、多くの同胞が死んだ。それは、日に日に現実味を帯びて、精神を蝕んでいく。




身内が死に精神を病んだ人間、ストレスがたまり病気を患った人間、注意力散漫で怪我をした人間。そういう忍が後を絶たない。精神的にも強く鍛えられるよう教育を受けてきた彼らも、蓋を開けてみればこの有様だった。いや、里を愛し、火影を崇拝するよう幼少より教えられてきたからこそ、ショックは大きかったのだろう。



「誰が行くんだよ」



床に伏している忍が多くとも、木の葉に来る仕事は減らない。仕事を断れば、その分客を失い、木の葉の信用も落ちる。その為、動ける忍びに割り振って、なんとか維持はしているのだ。しかし、長期任務となれば、容易に押し付けることはできない。

戦力になるような忍を今里の外に出すのははばかられるし、だからと言って、同盟を組んでいる里に、特上以下の忍びを送るわけにはいかない。弱体化した里を相手に知られることも避けたい。

と、すると暇な上忍か暗部を派遣するしかない。



「そんな奴いるわけないだろ」


はあ、と大きくため息をついて机に伏したところで、「イルカ中忍っ、見っけ!」甲高い馴染み深い声を聞いたイルカはすぐに顔をあげた。

!?」

「いやーん、超懐かしいっ」

「お前、任務から帰ってきたばかりで療養中じゃなかったか?」

「イルカ中忍に会いたくなっちゃって。きゃっ、言っちゃったっ」



里全体が重い空気に包まれていて、がらりと雰囲気が変わってしまったというのに、彼女は普通だった。

人一倍、火影様を慕っていた。
人一倍、里を愛していた彼女が何故笑っていられるのだろうか。
木の葉崩れについて知らない筈は無いだろうに。
『忍』という言葉は彼女のために用意されたのではないか、そう思うほど、彼女の本心は見えなかった。



「なんか、やることありますかぁ?私、今超暇でー」


へらりと笑ったに対して、イルカは大きくため息をついた。



「お前なー、休むことも仕事のうちなんだぞ。休みが取れるうちに取っておけ」



それに、と続け「お腹の子供にも負担がかかる」との腹部を指差して笑った。前日、の帰還報告と共にカカシが彼女の子供についても報告したため、今、里では畑夫婦の子供の話題で持ちきりだ。


「カカシさんから聞いたぞ。子供できたんだってな。おめでとう」



は、イルカが指した自分の腹部に目を向け、俯くと、ゆっくりともう一度イルカを見た。それから、照れたようにはにかんだ。


「一児の母になっちゃったっ!テヘっ」



小首を傾げ、コツンと自分の頭に拳骨を叩いて舌を出す。相変わらずの様子にイルカは頬を緩ませた。



「カカシさんが報告しに来た時は本当に驚いたぞ」


それは、ここ最近の唯一で最高の朗報だった。


信じてさえいれば奇跡は起こるのだ。
死んだものたちはもう戻らない。彼らと共に未来を歩むことはできない。
しかし、別れがあれば必ず出会いがある。
歩み続けていれば光が差す。そう思った。



「お前の子供を受け持つかもしれないと考えると、今から不安になる。お前に似てサボり癖があったら、どうしようってな」


「いやん、の子なら超優秀だしーっ!バリ飛び級して、バリバリ出世しますぅ」



未だ大きくなってもいないお腹をさすって、はけらけらと笑った。「カカシさんに似ればな」と、イルカがからかい半分に指差せば、一層大きく笑った。その笑顔には一点の曇りも無いように見えた。

その後、彼女はイルカの制止も聞かずに書類整理を始め、近くにあった1ヶ月の勤務体制表をじっと見て「きゃ、素敵な殺人的労働時間っ!皆、自殺願望でもあるのぉ?」と声を上げた。




「慢性的な人手不足なんだよ。それに、やっかいごとも一つある」



イルカが彼女に草の里の資料を渡すと、は目を瞬かせた。



「だっるーい。半年もあんな里に滞在しなきゃならないなんて超最悪の任務。には絶対回さないでねっ」



「帰還したばかりのお前を行かせるわけないだろう。そもそも身重のお前に無理をさせるような任務は出せない。子供は里の宝だ。お前も母親としての自覚を持ち・・・」



イルカが長話を続けそうになると、は髪の毛に人差し指を絡めながら一人受付の奥にある倉庫に入っていき、勝手に積もっている書類を片っ端から目を通していった。


淡々と育児に関する知識を述べていたイルカだったが、さっさと仕事を片付けないと今日も徹夜になりかねないことを思い出すと、すぐに自分の仕事に戻った。
体を休めろとは言ったものの、猫の手を借りたいくらい忙しいのだ。激しい運動をさせているわけでもないし、彼女が人の言うことを聞かないのは、今に始まったことではないので、イルカはにとやかく言わないことにしたのだ。


雨が降り出すと、それまで室内に響いていた紙を捲る音が消えた。
その頃には、もう夕飯時で、窓の外に並ぶ建物の煙突からは煙が上がっていた。窓をのぞくと外で遊んでいた子供たちが走りながら、家に帰っていく。滑って転んだ子供を母親らしき女性が抱き上げ宥めていた。

私は実際に、この子を愛せるだろうか?
ふと、そんな疑問がの頭をよぎる。



里のために子供を愛す。
果たして、それは可能なのだろうか?


自分以外の人生の責任を負うことは、もしかしたら、自分が考えているよりもずっと重く重要なことなんじゃないのか?

そんなことを思い、は憂鬱な気持ちになった。



そして、初めてこの不安や戸惑いを一人で抱え込まなければいけないのだと気付き、悲しくなった。カカシとの子であったら、こんな気持ちにならなかった、そう思ってから眉を顰めた。


この期に及んで、自己中心的なものの考え方しかしない自分に呆れる。


失態を犯したのは自分だ。責任は取らなければいけない。子供を生んで愛情を持って接し、立派な忍びに育て上げる。カカシのおかげで、里の人間はこの子が自分とカカシの子だと思っている。ナルトの時のような仕打ちは受けないだろう。この子供の本当の父親であるデイダラは暁のメンバーであろうとも、その暁が木の葉にこれからいかなる損害を与えようとも、カカシの子供だと突き通すことさえすれば、子供は安全だ。



カカシは意外と頼りになる男だったんだな、と感慨深く思っていると、イルカが唐突にはなしかけてきた。



、子供はかわいいぞ」

「え?」


「子供を持つ母親が3つ必ず思うことがあるそうだ。子供を育てられるか、愛し続けられるか、幸せにできるか、だ。育児にその悩みは常に付いて回る。そして、最終的に全員が同じ答えに行き着く」



は窓から目を逸らし、イルカを見た。
いつになく真剣みを帯びたの瞳に、イルカは苦笑して人差し指を天井に向けた。



「悩むのは無駄だ、とな」



得意げに言うイルカを見て、は、眉を顰め不満げな顔をした。



「究極を言えばな。親がいなくとも子供は育つ。そういう奴らを、たくさん見てきただろ?お前だって、そのうちの一人だ。カカシさんも、俺も、ナルトも自分に誇りを持って生きている」


「…イルカ中忍」


「アカデミーで沢山の親子を見てきた。特別な事情が無くとも子供を愛さない、愛せない親は意外と少なくない。理屈じゃないんだ。自分以外のもののために努力するとか、愛するとか、酷く難解で時に残酷なんだ。お前は一人じゃないし、俺も助けになれるはずだから、そんな悩むな」


…イルカ、私が育児放棄することを前提で話を進めるのはやめろ、と言いたくもなったが、そこは耐えた。子供はもとより降ろすつもりはない。ならば、生み育てるしかないのだ。


超感動したっ!子供の名前もイルカ中忍に決めてもらいたいくらい、バリ頼りにしてるっ」


「え、名前?いや、俺なんかが名前を決めるのは、ちょっと。カカシさんが考えた方が良いと思うぞ」


「えー、案だけでも良いからー」


「案って言われてもなあ。畑、はたけ、野菜・・・ベジタブル・・・、あ、べジータとか?」


「あは、昔流行ったアニメのキャラっ!えっと、スーパー野菜人だっけ?」


「いや、スーパーサイヤ人。でも、それは安直過ぎるから、えーと、畑の子、・・・畑と兎、兎とニンジン・・・カカロット?」


「ヤバ、超強そう」



「どこがじゃ!!」



二人が子供の名前について話を弾ませていると、自来也が勢い良く受付のドアを蹴り中に入ってきた。傘を持っているのに差さなかったのだろうか、何故か髪が濡れている。



、お前子供ができたんじゃってな!カカシから聞いて、驚いたぞ。」


驚きのあまりに傘を差すのも忘れてしまったわい、と豪快に笑う。


「名前のことなら安心せい。ワシが付けてやる」




自来也はナルトの名付け親である(何でも、ラーメンを食べている時に思いついた名前だとか、そうでないとかで)そのナルトはとても立派に成長しているし、彼自身その名前を気に入っていた。イルカは、「是非、よろしくお願いします」との代わりに頭を下げたが、肝心のは、先ほどまで高かったテンションを一気に下げ、書類に目を向け、自来也の申し出を断った。



「やめて下さい。『メンマ』とかにしたら、ぶっ殺しますよ」


!!」

「なんでじゃ?旨いだろ。メンマ」

「イジメにあいます。現にナルトはイジメられてました」

!!」

「あれは名前の所為じゃないわい」


の過激な発言に慌てるイルカを置いて、二人は会話を続ける。


「そうじゃ、カラスとかはどうだ?父親のカカシを超える存在っぽくて良いじゃないか?な?どうじゃ、名案だろ?」


そんな、畑を荒らしそうな名前付けられるか!と、が声を上げようとしたところで、ドアの外に二つの大嫌いな気配を感じては立ち上がった。



「受付、うるさい!!ごちゃごちゃ、しゃべってる暇があるなら仕事しな!」


バン、とドアが壊れそうなくらいの効果音を出して、室内に入ってきたのは、綱手とシズネだった。


「綱手様!!」


助かったとばかりに、イルカは安堵のため息を零し、綱手の登場を喜んだ。
シズネはを見ると目を大きくし、「あひィっ」と小さく悲鳴を上げ、ぎゅっと子豚のトントンを抱きしめた。一方、綱手はが座っていた椅子に座ると、足を組み、口端をあげた。



「おや、じゃないか?カカシから、任務先で酷い怪我をし、チャクラ切れも激しいから家で療養しているって聞いていたんだが、なんだ。ピンピンしてるじゃないかい」


「独学で挙仙術を習得したからな。幸い私は、そこにいる豚抱えてる女よりずっと有能だし?人を見る目がねーんだよ。この抜け忍が」


!綱手様になんて言葉の聞き方を!」


の口調がガラリと変わったことにぎょっとするも、イルカはすぐに嗜めるよう口を開く。


「破門されたことを根に持っているのか。お前もしつこいな」

「ダンゾウ様、バンザーイ!!ダンゾウ様、サイコー!それいけダンゾウ様!」

!!」


綱手と敵対しているダンゾウを応援し始めた、というか、応援歌みたいなものを歌いだしたの口をイルカは両手で塞ぎ、綱手に作り笑顔を向ける。


「綱手様、コイツちょっと疲労がたまっていまして、あの、本当すみません。許してやって下さい」


の頭を手で押さえ込み、自分の頭も一緒に下げたイルカに対して、自来也は同情の目を向けた。


「イルカ、やっかいな任務が一つあったよな?」

「え、あ、・・・草の里の人員交代の件ですか?」

「期間はどのくらいだ?」

「半年ですが」



怪訝に思って顔を上げたイルカが見たのは、人使いが荒いことで有名な木の葉の火影の満面の笑みだった。



、お前が行け」

「はあ!?」

「あひィ!」


綱手は、にやりと不適な笑みを浮かべ、殺気だったにシズネは悲鳴を上げた。


「火影命令だ。子持ちじゃ、ここにいても大して使えないしな」

「んだと、年増ぁ!!」



が両手に螺旋丸を出した所で、自来也は窓を開けてイルカを外に連れ出した。


「あひィー!!」


その夜、シズネの声が里中に響き続けた。


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