畑シリーズ

大根を正宗で切る



「冷えた体を温めるには、白湯が一番ええ」


そう言っての手に茶碗を持たせてやると、先ほどまでと違い警戒を解いた彼女は睡眠薬入りの白湯を口に含んだ。彼女の安心しきった顔に口端が歪む。愉快だ。ことが上手く運びすぎて、不安になるほどだ。変化の術によって皴がよった自分の手を、のお腹の上に置いて優しく撫でる。母体を傷つけないよう取り出さなければならないな、と最後の一仕上げを想像して心が躍った。

これで、も俺も解放される。やっと、自由になれる。
幸せな未来が待っている。
そう思った。




結論から言うと、俺とゲンマの戦いは、勝負にならなかった。
上忍である俺が特上の彼に勝つ隙を与えるはずも無く、俺はほぼ無傷でその場を後にすることができた。力の差もあったが、決定打は心構えだった。迷いが無い俺に比べて、ゲンマには明確な迷いがあった。同じ男だから俺の気持ちも少なからず理解できた。それが災いした。俺を説得しようと手加減して勝負に挑んだ彼は、あっけなく俺の術に掛かった。


気を失わせたまま、森の中に置いてきたから、風邪をひくかもしれないな、と場違いにも思う。

ゲンマを倒した俺は瞬身でこの寺院まで来た。もとより、人に使われていない場所で、ツヨシがこの日のために用意してくれたものだった。どこまでも準備の良い、嫌な男だ、と思う。より先に着つかなければ、計画は失敗していた。

一応、テンゾウを呼んでおいて良かったと思った。彼を仲間に入れるのは、の味方になる恐れがあったので多少のリスクを負う覚悟が必要だった。ツヨシが用意した計画については一切話さなかったが、の出産予定日と、彼女の子供の事情については話し協力を頼んだ。にただの好意ではなく、淡い恋愛感情を抱いていたテンゾウならば、意外と上手く立ち回ってくれるのではないかと思った。


彼は思った通り、俺の役に立ち、彼は思った通り、の子供を殺せなかった。


どういう経緯があったか知らないが、妊婦を相手に負けるような奴じゃない。だったから、テンゾウは油断したのだろう。


馬鹿な奴、お前の想いは届かないのに。
お前の想いは報われないのに。


そう、思った時、のお腹が動いた。
それが、テンゾウに対して思ったことを、赤ん坊が俺に対して言っているようで怒りがこみ上げた。の腹部から手をどかそうとした時、そこにポタリと水滴が落ちた。



「生まれたいって、生きたいって、言っているようじゃのう」


慰めるように肩を撫でると、彼女は泣きながら何度も頷き、また謝罪を繰り返した。何故、謝罪なのか、俺には分からなかった。


予定外の襲撃にあって本堂が壊されてしまい、近くの離れに、の身を移したが顔色は芳しくない。草隠れの任務で一度対峙したことのある忍だと、彼女は語ったが、できれば今日を避けて襲って欲しかった。こっちの都合も考えて欲しい。突然のことに驚いて、慌てて雷切を使ってしまったじゃないか。



「また、蹴った」
「ほんに元気な子じゃ」

もし、この子が自分の子だったら、俺は本当に大事にしたのに。
の次に大切な人間になったのに。
そう、考えて頭をふった。
考えるだけ無駄だ。


「間違いだったかもしれない」

がふいにそう呟いた。

睡眠薬が効き始めたのだろう。
が自身の腹部に置いてあった手をだらんと布団の上に落とした。目を細くさせ、今にも眠りそうだ。目尻から涙が零れ落ちる。それを親指で拭いてやると、彼女は苦しそうに眉を寄せ、もう一度謝罪の言葉を発し、腹部をなでた。






「自分の恋人も認識できない女なんて、って、ゲンマに言ったけど」



腹部を撫でた手を、そのまま俺の手に絡ませる。


「間違いだったのかもしれない」


血の気が失せた白くて冷たい手が、触れた部分が異様に熱を持ち始めた。

「カカシ」


血が逆流していくように、全身が熱くなった。




「私も、どんなことがあっても愛し続けるから」



言葉が途切れると同時に、ぱたりと重力に逆らえなくなった手が布団に沈む。ぽたりと、俺の涙が、畳に染みこんだ。拳を柱に叩いて、唇を噛み締めた。














*************




















「カカシさんにやられたのか!?」


解毒剤が欲しいが為に反射的に頷いた自分をどうか許して欲しい。


「しかし、俺はカカシさんを心底見損なった。まさか、こんな猛毒を同胞に使うなんて、一歩間違っていたら死んでいたぜ」

「本当に助かった。ありがとう」

「いや、礼はいらねぇ。それよりも先を急ごう。の子が危ない。アイツは意外と情に脆いから、きっとカカシさんの罠に掛かっちまう」


実は、その『意外と情に脆い』人間に猛毒を盛られたのだ、とは今更言えなくなった。できれば、彼女のどの辺が情に脆いのか、聞いてみたくもなったが、聞いたら最後、苛々が最高潮になった彼から千本が投げつけられ戦闘になるのは必至。毒の後遺症の痺れがまだ残っていた僕は探究心を抑えて、彼の後を追った。


けれど、あれからかなり時間が経っていた。もうカカシ先輩は子供を始末しただろう。僕らがいくら急ごうと無駄足に終わるということは分かっていた。僕の最後の仕事は、彼の口封じだ。適当な場所で彼を木の箱に入れ、暗部の知り合いで記憶を消せる奴に後処理を任せる。それで、真実は闇の中。誰にも知られること無く、子供は処分できたことになる。全ては順調にいっていた。



「あと、もう少しだ。間に合うと良いけど」


そう思っていた。




「ああ、間に合わなきゃ悲劇だ」



彼の言葉を聞くまでは



の子供、カカシさんの子なんだよ」




軽快に枝の上を走り続けてきたが、彼の言葉を聞いて踏み外した。地面に落ちる時には、さすがに受身を取ったが、驚きのあまり声も出ない。



「草影が嘘をついていたんだ。それから、に子供がいるって最初に伝えたイタチも」

「・・・そんな」

「本当はカカシさんの子供なのに」

「・・・嘘だ」

「本当なんだ!」



もし、それが本当なら、僕はカカシ先輩の子供を殺す手助けをしたことになる。
もし、それが本当なら、カカシ先輩は自分の子供を殺したことになる。
そんな現実、受け止められるか?



頭が真っ白になった。

しかし、すぐさま立ち上がって、地面を蹴り、再び走り始めた彼を追う。
ザーと、雨音が耳を支配する。無心になって先を急いだ。






「もしも、既に子供が死んでたら、本当のことは言うなよ。絶対に」


分かっている


「あの人の父親は自殺してんだ」


知っている


真実を知れば、父親のように・・・とは、さすがに思わないが、可能性はある。


寺院まではそう遠くない距離にあった僕らはすぐに目的地までついたが、その様子に目を疑った。本堂は見る影も無く人為的に壊され、泥で覆われていた。誰かが土遁の術を使ったことに思い当たる。雨で薄くはなっているが、若干血の匂いと、何か焦げたような匂いが鼻を擽る。



「そういえば、さっき、こっちの方から雷みたいなのが・・・」



千本を揺らした彼は目を細めた。



「まさか、雷切とか発動したわけないよな」

「まさか」


ありえなくもない、と思ったが、さすがに口には出せなかった。辺りを見回すと、奥に離れがあり、そこの煙突から煙が出ていた。


「あそこだ」

「ああ」


近づく度に、血の匂いが濃くなっていく。それに比例して、僕の顔には諦めの色が浮かぶ。踵を返して、このまま木の葉に帰りたい、どう思うほど、直視したくない現実が今目の前にある。何で、真実を僕に教えたんだと千本を加えている隣の男を逆恨みしてみるが、気持ちは沈むばかりだった。



僕がカカシ先輩を止めていれば、と、今更思う。
しかし、とどのつまりは、それだ。
自分のことしか頭に無かった。




この悲劇を生み出したのは、神でも運命でもない。
悲劇は、常に人間の利己的で傲慢な考えが招いた結果だ。




血だらけのクナイを手に持ち佇んでいるカカシ先輩の姿と 布団の上には彼の子供が目に浮かぶ







神はいない。
僕らが計画した。
そして、これが、僕らが望んでいた結果だった
























扉を開けて立ち止まる。
室内に入ると雨の音が止んだ。
中は暗闇で何も見えなかった。














うっうっと呻きに近い、男の泣き声が聞こえてきた。

絶望と混乱と入り混じった悲鳴のような、獣の咆哮のような叫び声が響く。

聞くもの全ての心を揺さぶるような、そんな響きを持っていた。







「・・・カカシ先輩」




自然と、眉間に皴がより、歯を食いしばる。その場に張り詰めた空気に飲み込まれて、体が硬くなった。


けれど、彼の嗚咽のような叫び声の中に混じる音を拾い、眉間の皺を解いて目を見開いた。ついで、口が自然と緩んだ。体から力が抜けて膝をつく。両手で顔を覆い、大きく溜息をついた。











確かに聞こえた。











産声が、耳に届いた
Index ←Back Next→