00 / 唯々諾々
暖かい日差しが、部屋を照らす昼下がり、私はヒソカの服にアイロンをかけていた。その日、私はキキョウさんから頼まれてミルキ君とイルミ君を預かっていて、2歳になったばかりのミルキ君は昼ごはんを食べ終わるとすぐにベビーカーの中で眠りについた。
皴がなくなって綺麗になった洋服をクローゼットに入れた後、おやつの時間を知らせに二人がいる中庭に向かった。雲ひとつ無い青空の下、それと正反対の暗い雰囲気を醸し出すイルミ君とピリピリとした挑発的なオーラを出すヒソカを見て、私は慌てて二人のもとにかけよった。二人は腕を高く上げており、今にも戦闘を始めそうだった。
「何してるの!?」
「・・・?・・・気配消してたの?」
急に現れた私にヒソカは驚き目を瞬かせたが、イルミ君は無表情で「驚いた。全然気付かなかったよ。化け物みたい」と全然驚いていない様子で言った。まさか天下のゾルディック家長男に、化け物って言われる日が来るとは思ってもいなかった私は、しばし沈黙してしまったが、彼らが再び腕を振り上げた時に自分の仕事を思い出し、声を張り上げた。
「二人とも喧嘩しちゃ駄目よ!今日は大人しくしてるって約束したでしょ?ほら、ヒソカ、手をあげない」
「喧嘩じゃないよ。じゃんけんだよ」
「じゃんけん?」
「うん、どっちがの恋人になるか、じゃんけんで決めてたの」
「そう、じゃんけんで決めてたの」
こくこく、と、首を縦に振る二人を見て、可愛いなぁと思い、自然と頬が緩む。
そうか、喧嘩じゃなかったのか。
良かった。良かった。一件落着。
二人が子供特有の高い声で「あいこでしょ」と繰り返し言うのを見ながら、ほっと安堵のため息をついた私だったが、途中で、はっと気付く。
いや、かわいくない。決してかわいくないぞ。
本人の意思を無視して、男同士だけで、しかも、じゃんけんなんかで恋人を決定するなんてこと許して良いわけが無い。こういう行動を野放しにしておくと、きっと『男尊女卑』思想が芽生えてしまうのだ。今後、彼らが大人になった時に周囲の女性たちが迷惑するのは目に見えている。私は慌てて、じゃんけんに夢中になっている二人の腕を止めた。
「えーと、あのね、そういうのは相手の意見を聞くことがとても大事なのよ?相手の意思を尊重してあげることや、人を思いやることから人と人とのつきあいは始まるの」
私がゆっくり諭すように言うと、イルミ君はきょとんと丸い目を向けてきた
「おじいちゃんは、人と人との付き合いは金から始まり、金で終わるって言っていたよ」
ゼノさーん!やめてよ。そういう教育するの。世知辛い現実をまだ知らなくても良い年だよ。もうちょっと希望と夢を与えてあげて。この闇色の瞳に光を差してあげて!
ヒソカまで影響されたら、どう責任とってくれるのよ!!(←結局、それ)
いやーと、頭をくしゃくしゃとかいている私を見て、イルミ君とヒソカは不思議そうに首を傾げた。その様子が、『もののけ姫』に出てきた木霊のようで、「きゃー、可愛い!!」心の中で叫ぶ。いや、「、近所迷惑だよ」とヒソカがツッコミを入れたので、もしかしたら、口に出していたかもしれない。
「ねえ、は、ボクのこと好き?」
唐突にそんなことを言い出したヒソカに、私は少し戸惑いながらも頷いた。子供は親の愛情を確認するような行為をよくする。甘えてみたり、反対に怒らせてみたりして相手の反応を伺い、相手が自分をどう思っているのか確認するのだ。ヒソカだって例外ではなく、悪戯をしたり、家事の邪魔をしたりすることによって、私の愛情を確認してきた。けれど、ここまでストレートに聞いてくることは、あまり無かった。それが不思議だった。
「、俺のことは?」
「え?イルミ君?」
大好きだよ、とは言いづらい。彼はゾルディック家の人間で、人を殺める立場にある。彼自身に罪が無いという人もいるだろうが、やはり人を殺すような人間を好きだというのは憚られた。しかし、彼は11歳の子供だ。うだうだと考え、結局、深く考えるのはよそうと言う結論に至り、私は満面の笑みで頷いた。
「勿論、好きに決まってるじゃない」
大人は平気で嘘をつく。そういう生き物だ。と、自身を納得させた後、首を横に振る。
いやいや、嘘じゃない。イルミ君は可愛いし、嫌いじゃない。
「俺も好きだよ」
この骨がきしみそうになるくらいの罪悪感は何だろう。イルミ君のことは可愛いし好きだ。本心からそう思っている。うん。
でも、大きくなったら縁切りたいな、とも思っている。あ、これか、これが罪悪感の原因か。
少しばかり額に汗を滲ませた私が、イルミ君に笑いかけると、同時に、ヒソカが冷たい視線を向けてきた。ヒヤリと背中に冷たい汗が流れる。さすが、ハンターの世界の子供というべきか、彼はたまに背筋が凍るような視線をよこすことがある。これが、子供が母に向けるような可愛い嫉妬だということは分かるが、少しは自重して欲しい。でないと、私の寿命が縮む。
「じゃ、問題ないよね」と、イルミ君が無表情で言うと、二人はじゃんけんを再開した。
いや、ちょっと待て。問題アリアリだから!
私はすぐに二人を止め、二人を家の中に入れると手洗いとウガイをさせた。リビングに用意してあったアップルパイにナイフを入れて三枚の皿に丁寧に乗せて、彼らにお茶を振舞う。落ち着いて話し合わなければいけない。
10代の情操教育はとても大事だ。その後の人生を左右するのだから。
家庭の事情からイルミ君の考え方を変えるのは難しい、というか原作の流れもあるだろうし、無理だと思うが、ヒソカの世話係は私で、なおかつ彼の未来は無限の可能性を秘めている。道を踏み外そうとしているのであれば、全身全力で止める義務が私にはあり、そして、彼を一人前の大人、・・・つまり、人様に迷惑をかけない人間に育てる責任があるんだ!
私は頼まれてもいないのに、熱い闘志をメラメラと燃やした。
「あのね。二人とも、恋人はじゃんけんで決めて良いものじゃないのよ?人の気持ちは、もっと大切に扱わなくちゃいけないの」
アップルパイを口に入れる二人を見ながら、そう言うと、「だから、殺し合いにしようって言ったんだよね」物騒な言葉が聞こえてきて、ぎょっとしてイルミ君を見た。
「俺は、最初命を賭けて戦おうって言ったんだよ。なのにヒソカがダメって言ったんだ。じゃんけんで、の恋人を決めるなんて、本当ふざけているよね」
そう思わない、と同意を求めるように、イルミ君は私をくりくりの可愛い目で見つめ返した。つられて頷きそうになった私だったが、すぐに我に返って首を横に振る。
ちょ、流されるな。自分。
私は慌てて振り返り、ヒソカの無事を確認した。燃えるような赤い髪が窓から差す光によって、輝くが、怪我は無いようで胸を撫で下ろす。
「殺し合いなんか、絶対しちゃダメよ。絶対に」
なんか、嫌だ。こんなことを教えなきゃいけないのが、嫌だ。自分の口から物騒な単語が飛び出てくるのが嫌だ。
「分かってるよ。イルミ殺しちゃったら、が悲しむもんね」
「そうね」
にっこり笑うヒソカにつられて、頬を緩ませる。
「って、いやいや、おかしいよね。それ、イルミ君のこと殺す気満々じゃない。おかしいよね」
「「何が?」」
「前提がっ!!」
ちょ、怖っ。二人とも、なんか恐ろしいよ!行く末が心配だよ!
約一名決定済みだけど、本当心配になってきた。ヒソカの将来が!!
常識や宗教、世界観や価値観の違う人と理解を深めるという作業は骨が折れる。やっかいで、面倒だ。だから、グローバル化が進む今日、コミュニケーション能力が問われるのだ。いや、グローバル化が始まる前から、五・一五事件で犬養毅は『話せば、分かる』と言っていたな、とどうでも良いことを思い出す。
イルミ君がいるから生死に関する道徳は、この際置いておこう。とりあえず、貞操観念や恋愛感情とかそういうソフトな面から責めていこう。
「あのね、二人とも。よく聞いて。『好き』っていう言葉には種類があるのよ。例えば、二人ともアップルパイは好き?」
「別に、特には」と言ったイルミ君に内心傷つきながら、こくりと頷くヒソカを見て身悶える。
「じゃあ、ヒソカ。その好きと私に対する好きを比べてみて?」
「アップルパイじゃ比較対象にならないよ。は人間で、アップルパイは食べ物だし」
・・・正論だ。例えを間違えたな。これは、ちょっと恥ずかしい。
「それにが作ったアップルパイが好きなんだ」
胸がキュンとなる。
「ボクは、だけが好き」
ガラス細工のように綺麗で華やかな色彩を放つヒソカの瞳に目を奪われる。テーブルの上に置いてあった自分の手にヒソカの手が重なって、それから彼は私の手の甲に唇を押し付けた。
きっと、シルバとキキョウたちの仲睦まじい様子を見ながら学んだのだろう。本当に可愛いな、と思いながら、彼の柔らかい髪を撫でると、彼はぽつりと呟いた。
「他の生物は、皆死んじゃえば良いのに」
・・・。
いやいやいや、ちょっと危険思想が入ったよ。
待て、それは、いきすぎだ。そこまで、考えちゃダメだよ。かなり危ない発想だ。
だからと言って、ヒソカの好意を否定するような注意できず、私は咳払いをして話題を逸らした。
「イルミ君は家族のこと、とっても大事に思っているし、好きだよね?でも、その好きと私の好きは違うはずだよ」
「そんなことないよ」
・・・。マジで?いやいや、それってどういう意味よ?私が家族同然好きってこと?それとも、家族が他人の私同然、そんなに大事じゃないってことなの?
多くを話さないイルミ君の思考を追うのはとても大変で、私は懸命に頭を抱えて悩ませた。しかし、イルミ君はそんな私に痺れを切らしたのか、いや、もしかしたら助けるためかもしれない、珍しく口を開いた。
「が言いたい『好きの種類』って、つまり家族愛とか恋人に対する愛とかのことでしょ?」
「うん。そうそう。それのこと!イルミ君、よく分かったね」
「常識だよ」
イルミ君は紅茶にミルクと砂糖、それから持参の毒を入れて、スプーンでかき回す。それを見ながら、私は「・・・知らないと思ってたよ」と呟いた。
語尾に「常識を」と小さく付け足して。
イルミは紅茶の香りを楽しむかのように鼻にカップを近づけると、ヒソカをチラリと見た。そして、彼を諭すように淡々と言った。
「ヒソカ。これって、どういう意味か分かる?ヒソカはしか好きじゃないけど、にはたくさんの好きな人がいるってことだよ」
「え?」
それじゃあ、私がまるで尻軽な女みたいじゃない。そんなことを言われるとは思ってもいなかった私は驚きのあまり口をあんぐり開けた。
イルミ君の言葉を受けてヒソカは動揺し、私を不安げに見てから再びイルミ君のほうに顔を向けた。
「つまり、役割分担があるってことだよ。は既に親父の愛人で、ミルキの母親だ。残っているのは、恋人と夫の枠だけ」
ヒソカとイルミはちらりとベビーカーを見た。陽だまりの中、ミルキ君が幸せそうに眠っている。
「あいつ、いらないよね?」
「ミルキは、世界でたった一人の俺の弟だよ?」
「じゃあ、他に弟ができたら、いらないよね?」
「考えとく」
私は耳に手を当てて、あーあーと声を発し、彼らの会話が聞こえていないフリをした。もう、駄目だ。私には彼らの世話は荷が重過ぎる。キキョウさん早く帰ってきて。お願いだから。
「母さんが結婚相手を見つけてくると思うから、俺はの夫にはなれない。だから、恋人の枠をもらうね」
「ダメだよ。ボクだって籍が無いから、と結婚できないもん」
「じゃあ、やっぱり、じゃんけんで勝負だ」
騒ぐ二人を横目に、私は、『話せば、分かる』と言った直後、犬養毅が殺されたことを思い出した。話し合いとは、なかなか成立しないものである。
その後、勝負に勝ったヒソカが「ボクがの恋人になったよ」と報告をしにきた。あどけない笑顔でそう言う彼を見て、昔自分の父親に『私、将来はお父さんのお嫁さんになる』と言っていたことを思い出した。
「そうね。ヒソカが大人になったらね」
そう言って頭を撫でると、彼が拗ねるように表情を曇らせた。馬鹿にしたわけではないが、たぶんそういう風に聞こえたのだろう。子供は『子供』扱いされることを酷く嫌う。
「あ、ヒソカが強くなって私を守れるようになったら、恋人になるね」
機嫌を悪くした彼に私が慌てて取り繕うようにそう言うと、彼は私の顔をじっと見た。お前は何様だ、と思うような台詞だったが、彼は目を輝かせ、満足そうに頷いた。
「ボク、強くなってを守るから」
ぎゅっと抱きついてきた彼を抱き返すと、耳元で「約束だよ」と囁かれた。
子供の戯言だと思っていた約束は、それから15年の月日を経て果たされる。
人の想いを軽く見積もっていたのは私の方だったのだろう。
人を愛するとは、どういうことか。 私は彼等から学んだ。