脱線



中学受験をする際、氷帝に入るよう景吾さんに言われて、ごねてごねて、ようやく取り付けたのが、偏差値上位の中学で首席で試験を突破で来たら、氷帝以外でも入学を許可するという約束だった。



受験日当日、その日は雪が降っていた。


いつもは入念に持ち物を確認してくれる使用人が雪かきの準備に忙しくしていたことは言い訳にならないだろう。試験会場の席に着いて、筆箱を忘れた事に気づいた。

来る途中、雪で遊んでしまい、会場にはぎりぎりに着いたのでコンビニに行く時間もない。当日面接もある為、試験管に言って筆記用具を借りるのも変に目を付けられ、減点されそうだ。焦りながら無意味にガサゴソと鞄を探る。


「なんじゃ、受験票でも忘れたのか?」


後ろからかけられた声に、驚いて振り向くと、銀髪の少年がいた。少年はの机の上に無造作に置かれている受験票をみると、筆記用具か?と尋ねてきた。

試験監督に告げ口されるのではないかと怪訝な表情を浮かべると、安心させるように少年はニッと笑い、そして、自分の筆箱から、鉛筆1本と消しゴムを出し、消しゴムを半分にちぎり、に差し出した。


「ほれ」

「借りて良いんですか?」

「これも何かの縁じゃ」


彼の筆箱には鉛筆が1本とちぎられた消しゴムしか残ってない。試験中、鉛筆の芯が折れたらそこまでだ。はその少年の顔を改めてみて、お礼を述べた。

その数週間後、首席挨拶の時、は少年をすぐに見つけられた。

これは運命だと思った。



「そう、私たちの出会いを運命といったのは、雅治様なんですよ」

「え、ごめん。仁王は“縁”って言ったんだよね」


「私は、彼の無償の愛に感動したんです」


体育祭当日、二人三脚の準備時間に暇だからと、延々と仁王との馴れ初め話(付き合っていないので馴れ初めというのもおかしいが・・・)を聞かされていた幸村が最後に突っ込みをいれた。


仁王の彼女には適当なイケメンを紹介して去ってもらった。いったい何度すれば良いんだこのやりとり、体力には自信のあるでも最近は疲れを感じるようになっていた。良い加減マンネリ化してきた対策もやる事自体飽きてきた。セーラームーンやドラゴンボールなら、敵が味方に変わって全体的に強くなっていくのに、敵は増えるは、仲間は減るは、日に日に弱体化していく。

どういう事だ。

もしかしたら、自分はそもそも正義の味方ではなく、悪の組織側だったのだろうかと思いいたる。


次の行動に移すにも、柳生とつきあっているという噂があってはそれも無理というもの。テニス部の噂との話、仁王が信じるのは前者だろう。そんな手詰まり感を抱いている中、立海の体育祭は始まった。



体育祭で二人三脚をした男女は、カップル成立率が高くて有名だったが、仁王と組むことができなかったは、もはやこのイベントの意義を見出せずにいた。

邪魔ばかりする幸村に対しては苛立ちを覚えていたので、聞きたくもないであろう仁王との思い出話を延々として鬱憤を晴らす。


「噂が気になるんだったら、俺が否定してあげるよ」


互いの足に紐を巻き付けるため屈む幸村を疑いの目で見る。彼の足と、赤い紐でぐるぐる巻きにされていく自分の足が、まるで自分自身のようで気味の悪さを感じる。


「その代わり、今日告白して結果を出すこと。この条件を呑むならテニス部が全面的に協力するよ」

「雅治様と私の仲を取り持つとはどういう風の吹きまわしですか」


爪をかみながら怪訝そうな表情を変えないに対し、幸村は軽くため息をついた。


「仁王以外の部員と話し合って決めたことだから、途中で撤回はしない。テニス部を引っ掻き回されるのは、もううんざりしてるんだ」

「・・・部内公認ということですか?」


追加された説明には先程とはうって変わって、感心したように言う。


の執着と熱意で押してはいたが、幸村は部長だ。本気を出せばテニス部関係者と接触と絶たせることも、諸刃の剣ではあるが、諸悪の根源ともなる仁王をレギュラーから外すこともできる。試合前に混乱を招く危険因子はつぶすという理由で何とでもいえる。

体育祭の後は関東大会の予選が始まる。その前にこの件は片づけておきたいというのは、柳生の案だった。しっかりけじめをつけさせろ、と意外にも真田からも意見が出た。


「柳生との噂は否定するから正面から告白して結論を出して欲しい。チャンスは今日一度きりだ」


「告白の言葉は雅治様から聞きたかったのですが・・・、まあ良いでしょう。そこは妥協します」


手ごたえは感じでいた。嫌いじゃなければ誰の告白でも受け入れる仁王ならフリーの今なら絶好のタイミングだ。その上、幸村のYOUTUBE事件で、好感を持たせている。


「幸村さん、私は貴方を誤解していたのかもしれません。ご協力感謝します。必ずや正春様の心を射止めてみせましょう」


前の組が走り始め、スタート位置に着く。が幸村の腰に手を添えると、幸村がの肩を抱きよせた。互いに不敵な笑みを浮かべ、それからゴールを真っすぐ見据える。


2人の足を結ぶ赤い紐の端が、風邪でゆられて奇妙に靡いた。





***********






「相変わらず広いな・・・これだから田舎の学校は嫌なんだ」


ドーンドーンと次の競技を促す太鼓の合図が、校庭に鳴り響いた。

立海の体育祭に参加するのが3回目の景吾だが、無駄に広い校舎に辟易していた。大小あるが校庭が4か所、体育館が3か所あり、様々な競技が同時に行われている。から嘘のクラス名を教えられていた景吾は、未だに彼女を見つけられずにいた。


「ねえ、さっきの女の子も、ちゃんは仁王って人が好きだって言ってたよ」


有名だね、とのんびりした様子で、後ろからついてきた豪を見て景吾は舌打ちをする。

前日に幸村から学園でのYOUTUBE事件以外にも問題を起こしているの傍若無人ぶりを聞かされ、更に仁王を追いかけまわしているということを知らされた。

学校の誰もが知っている事だから、確認してみなよと言われ、有耶無耶にするのを嫌う景吾は幸村の提案に従ったのだった。


言われた通り、何人かにの噂を聞いてみたら、酷い有様だった。

外部の人に話をするのはと、始めは戸惑っていた女子たちも、景吾から半ば命令されるような強い口調で聞かれると、口を開かない者はいなかった。


話によると入学当初から仁王を好きで、付き合ったことはないものの、ずっと追っかけているらしい。毎年景吾につきあい、体育祭に来ていた豪もこの状況に驚く様子をみせた。


「僕、ちゃんはなんだかんだ言って、景吾くんのことが好きだと思っていた」


俺もそう思ってた。


「だって、景吾くんは女子の理想を詰め合わせた男子じゃん」


俺もそう思ってた(2回目)


「あれ、ちゃんじゃない?」


豪に指さした方に振り返ると、プールの敷地奥にある校庭で、玉入れ競技に参加しているの姿があった。が、どう見ても玉を投げてはいない。玉入れを見向きもせず、別の方をうっとりと見ていた。視線の先には玉入れに夢中な仁王がいた。



「ほらー、立海になんて入学させるからー」


笑みを浮かべながら茶化す豪の脇腹を、景吾はすかさず肘で突く。パパにも殴られたことないのに、と、豪はワザとらしくよろめいてみせた。


「あの熱視線を一身に受けている人が仁王君ね。まあまあイケメン?」


スマホで仁王の写真を撮り、指で画像を拡大し、景吾の顔と比較する。


「俺に及ばないだろ」


そこで豪は初めて景吾の目が腫れている事に気付いた。


「その目、どうしたの。花粉症だっけ?」

「発症したんだよ」


鼻をかみながら、仁王に目を向ける。


「悪い事は重なるねぇ。これ以上、悪くならないと良いけど」


哀れみの目でみてくる豪を、景吾はキッと睨み返す。


「お前は良いよな。何もしなくても将来が約束されてるし、変な婚約者もいない」

「花粉症でもない。あ、終わったみたいだよ」


ちゃーん、と、豪が大きな声を出して手を振ると、何人かの生徒がこちらを振り向き、豪と景吾を見た女子たちが顔を赤らめた。その様子を見て、景吾は改めて自分の何が不満なのか不思議に思った。よく分かりましたね、と笑顔で駆け寄ってくるに対し、すごい大変だったよと豪は軽く非難する。


「幸村から聞いたぞ。俺に隠していたことがあるだろ」

とにかく真実を本人の口からきくのが先決だ。そう思い、碌に挨拶もせずに景吾はにといかける。


「目、腫れてますけど、どうしたんですか?」

「お前に関係ない」

「確かに全く関係ない」


景吾は大きく深呼吸する。ここでキレたら、のペースに持っていかれる事はわかっていたので、呼吸を整えて冷静を保つ。


「何を隠していたか、説明しろ」

「実は昨日パパにお兄ちゃんから電話がかかってきまして」

「そういうやつじゃない」

いつもの調子でが別の話をしてくるのが分かったので、すぐに遮るが、は意に介さず、自分のチームの応援席に向かいながら話しを続けた。競技の準備や参加している生徒が多い為か応援席にはほとんど人がいなかった。


「なんでも、自転車の衝突事故にあったそうなんです。電話越しでも、むせび泣く様子が伝わってきて、パパはとても驚いていました。」


こういう類の話しが一旦始まると長くなることを、経験から知っていたので、苛立ちながらも景吾は腕を組んで待つことにした。その間に、仁王の件をどう問い詰め、非難し、更生させようか考える。

まず事実確認をする。証拠は十分なので問題ない。次に謝罪をさせる。それから、非の打ち所がない婚約者がいるのに他の男を好きになる事は、馬鹿げているし、約束事を違えるのは倫理に反すると教え込まなければいけない。


「詳しく状況を聞いてみると、大怪我をしたそうで」

「え、お兄さん大丈夫?」


相槌を打ちながら真面目に話を聞いていた豪が、心配そうな表情を浮かべる。は応援席に着くと、赤い帽子を取って椅子に置いてある制汗剤スプレーを体に吹きかける。もくもくと白い煙が立ちのぼり、強い桃の香りが鼻をさすと、傍にいた二人は同時に咳込んだ。


「ええ、お兄ちゃんは無傷です。ただ、ぶつかった相手が訴えると騒いでいて示談金を求められたみたいなんです。それで今日お兄ちゃんの知人がお金を取りに来るから家にいてほしいと言われてですね。パパは私の勇姿を見に来れないんです。せっかく、スポーツ万能の私の見せ所が多いイベントなのに・・・」


の言葉に、先程の疑問を再度抱く。

何が不満なのか。彼女とは違い、それこそ俺はスポーツ万能で、更に成績優秀、品行方正、容姿端麗の自分程の男が、傍にいながらよく外に目を向けられたものだと、思う。

そこで、ふと、一つの答えにたどり着く。
仁王は、詐欺師だ。

「・・・騙されているのか」

「それは否めません」

「それでお前は良いのか?」

「何事も経験です。そうして人は成長するのです」


オレオレ詐欺で取られたお金は暴力団の資金源になるから通報した方が良いよ、と呆れながら豪が提案するが、次の競技が始まったことを知らせるアナウンスによって、かき消された。


競技の内容を記した看板が「玉入れ」から「借物競争」に代わり、トラック中央に長机が設置され箱が置かれる。笛が吹かれて、スタートを切った生徒たちが箱から黄色の紙を取り出しては、蜘蛛の子を散らすように四方八方に分かれていく。


「豪君、携帯カメラの用意を」


そう指示してから、席に着いたは鏡を見ながら前髪を整え、体操着の皺を伸ばす。その様子に景吾は怪訝そうな目を向ける。彼女が身嗜みを整える姿は、デートの時ですら見たことはなかった。

そして、すぐ後ろから聞こえてきた声に、全身の鳥肌がたった。


「また、お前さんじゃよ」


振り返ると、「をお姫様抱っこで」と書かれた黄色の紙をこちらに見せて立っている仁王がいた。こちらの仕込みは上手くいったみたいですねと、つぶやくと、は満面の笑みを浮かべ立ち上がり、応援席からグランドにいる仁王のもとに歩いていく。

逆光で景吾からは仁王の表情は分からない。

が仁王の首に腕をからめ、仁王の腕がの足をすくう動作がスローモーションのように見え、景吾の目に焼き付く。

開いた口が塞がらず、ガツンと頭を殴られたような衝撃を覚える。二人の後ろ姿が見えなくなったあと、指示された通り写真を撮り終えた豪が放心状態の景吾に気が付き、声をかける。


「どこまで人を馬鹿にすれば気が済むんだ」


肩が震え、じわじわと怒りが込み上げてくる。
苛立ちを抑えられず、応援席の椅子を蹴り倒していると、近くを歩いていた教員が注意してきた。

焦った豪が景吾を止めるが、聞く耳を持たず暴れるものだから、そのまま職員のテントに連行され説教を受けることとなった。景吾の代わりに豪が謝り続けたが、聞き入れてもらえることはなかった。


その間も、景吾の目は校庭に向けられていた。






借物競争が終わり、綱引きが行われた後、騎馬戦が始まる。

が赤、白、黄色の髪色をした悪目立ちする女子たちが組んだ手に乗り、身振り手振りで指示を出している。あまり仲が良くないのか、意思の疎通ができておらず、敵が周りにいないにも関わらず今にも崩れそうだった。

誰にも相手にされず、右にも左にも動けない状況だったが、残り時間が僅かになると何枚もの帽子を手にしている強そうな騎馬隊に正面から突進されて、あっという間に赤い帽子が取られた。その拍子にが短い悲鳴をあげ、勢いよく地面に叩き落とされる。

つられて立ち上がった景吾を、まだ話は終わってないと教員が叱りつけたが、気にせずテントから出た。が、騎馬戦が終わる合図とともに、起きた目の前の光景に足を止める。

赤い帽子をかぶったチームメイトたちがわーとを囲んだのだった。労って頭をぐしゃっとなでる者もいれば、手を差し伸べるものもいる。文句を言ったり、小突いたり、負けたくせに何故かハイタッチをする者までいた。男女関わらず、周囲に人を集めていた。


ちゃん、ここでも人気者なんだね」


後ろにいた豪が懐かしそうに言う。

ああ、そうだ。アイツの周りにはいつも人がいる。小学生高学年になってからは、大人を交えてか、2人きり、または豪を含めた少人数でしか一緒にいたことがなかったから、気にしたこともなかった。

昔から、人を惹きつける人間だったことを思い出す。


その後、豪が平謝りしたおかげで解放された2人が応援席に戻ると最後の競技であるリレーが始まった。赤組の列の最後尾に並ぶを見て、景吾は眉を顰めまた不機嫌になる。

一緒にいる事に疲労感を感じた豪は少し離れた席に座り、イケメンがいると近づいてきた女子たちも、景吾から剣呑な空気を感じるとすぐに立ち去って行った。そのうちの何人かは近くにいた豪に声をかけ体育祭そっちのけでおしゃべりを楽しんでいた。


毎年恒例の体育祭のリレーで、毎回はアンカーを務めていた。リレーに選ばれるのは学年関係なく各組の足の速さに自信のある者だけだ。全国に行くような部活に所属する生徒が選ばれている。鍛え抜かれた躯体を持つ選手たちを、が次々追い抜いていく姿は圧巻だった。彼女は羽が生えているかのように速く、景吾はその姿を美しいとさえ思っていた。


この日も、は速かった。3番手にいた赤組を、他の追随を許さない圧倒的な速さで勝利に導いた。


両手をあげてゴールテープを切ると、騎馬戦の時よりも多くの人が彼女の周りに集まっていった。去年、一昨年と比べても、その輪は大きくなっていることに気づく。


その様子を見ていて、当に怒りは収まっていたが、代わりに言葉にできないもやもやとした感情が渦巻く。


集まってきた赤組の生徒たちがを胴上げする。何回か、宙に浮き、お約束のように最後は地面に落とされていた。そして、もう一段大きな笑いがどっと起こる。


もし、同じ学校に行っていたら、彼女はこんなに自由にできていただろうか?
自由な友人関係、制約のない恋愛、ゆるい規則、成績順じゃないクラス分け、他からの評判に鈍感な教師、少なくとも氷帝とは何もかも違う。


もし俺が傍にいたら、彼女の行動はより制限されていただろう。


立ち上がったは、覚束ない足取りで歩き始め、肩にかけていたタスキを取って係の者に返そうとした。

が、タスキが渡される前に、彼女はそのまま静かに倒れた。


周りの雑音で彼女が倒れたことに気づいたのは、見ていた景吾と、目の前にいた係の者だけだった。


*******






「リレーまで出す必要はなかっただろ」





騎馬戦で捻挫してたんだぞ。人の婚約者を何だと思ってんだ、と合流してから文句しか言わない景吾に、ごめんごめんと、幸村が軽い調子で謝る。



「で、計画は上手くいってるのか?」

「ああ、今、医務室に仁王の幼馴染を呼んでる。彼女はずっと仁王の事が好きだったんだ」

「なあ、それ、あの動画のシナリオと似てないか。本当に大丈夫なんだろうな」

「問題ないよ。今回はの目の前で告白させる。そしてに残されたチャンスは今日だけだ。未練は一切絶たせる」


保健室向かう廊下を2人は歩いていた。

窓の外を見ると、片づけと閉会式の準備で忙しそうだ。校舎には、ひとけがなく、とても静かだった。自分たちの足音だけが聞こえ、長い廊下が更に長く感じられる。


「動画の件だけど、あのマネージャーはと初めから組んでいて、仁王の事を好きでもなかったんだ。」


体育祭開催前日の電話で仁王とを引き離すと、言ってきたのは幸村だった。勿論景吾は快く了承した。具体的な計画は聞かなかったが景吾からも1つ案を出した。幸村は少しの沈黙の後、それに同意した。


「だけど、今回の幼馴染は幼稚園からのつきあいで、相当年季が入ってる」

「どうして、今までくっつかなかったんだ。仁王はフリーだったら誰とでも付き合うんだろ?」


仁王の相手役として宛がわれた幼馴染の存在に疑問を持つ。一番近いはずの存在が何故想いを胸に秘めていたのか。


「そうだね。基本断らない」


なら、さっさとつきあっとけよ、そしたら俺がここまで足を運ぶ必要もなかったと、見たこともない仁王の幼馴染に八つ当たりする。


「でも、それが嫌だったんじゃないかな。」


片思いを拗らせたのだろうか。それとも、小さいころから一緒に過ごしてきた相手とは男女関係に発展しにくいというウェスターマーク効果が作用したのだろうか。

ふとの顔を思い浮かべた。幼馴染かつ婚約者でもある関係のと景吾の間ですら、恋愛感情が芽生えなかった。

そう思い、胸が小さく痛む。

努力はしてきた。一般的な女子が好きそうなステータスは一通り身に着けた。顔はもともと良かったが、背が伸びるよう牛乳だって飲んでいた。テニスだってきっかけはがつくった。

互いの未来を考えて、好きになってもらえるように、できる限りのことはやってきたんだ。

そりゃ、少しは強引な所もあったかもしれないが、そういうのも含め女子受けは良いはずだ。

でも、は俺じゃなくて仁王を好きになった。


「彼女はつきあいたいんじゃなく、好きになってほしかったんだよ」



君には難しいかな?子供に教えるような諭す口調の幸村に、引っ掛かりを覚える。見下されているように感じた。

幸村が察している通り、景吾は恋愛には疎い方だった。両親や親せきの期待に応える事にいっぱいだったこと、元々の存在もあり、そういった事は無意識に避けてきていた。



「だけど、のせいで仁王の交遊関係が荒れ、元凶の女と付き合う可能性まで出てきて、そうも言ってられなくなった。」

「『元凶の女』とか言うな。言葉を選べ」



景吾の言葉に耳もかさず、上機嫌に鼻歌を歌い始めた幸村は、あそこが保健室だよ、と廊下のつきあたりにある扉を指さした。扉のくもりガラスからは鈍い光が漏れている。

今、保健室では仁王の幼馴染が仁王に告白しているところだろう。

カーテンで仕切られているベッドからはその様子は見えずとも、は状況を理解する。リレーのアンカーを務めあげ、限界になるまで使った足は動かせない。二人の間に割って入る体力も元気もない。

2人が恋人になったのを見計らって、幸村が部屋に入り、仁王にと柳生はつきあってないと説明し、そのままに告白を促す。既に今日がラストチャンスと伝えてあるので、告白するか、告白を諦める、という2択しかない。

告白すれば、当然、幼馴染と恋人同士になった仁王はその告白を断る。ジ・エンドだ。

告白を諦めれば、それはそれでハッピーエンドだ。

立海テニス部がやろうと思えば、から仁王を離すのはもっと単純で簡単に行えたかもしれないが、告白する機会を与えてやったのは、せめてもの真田の温情だった。


鼻歌がまるでレクイエムのようだと思い、深い溜息をつく。

が仁王に恋したと知ってあふれ出てきた感情は怒りだけではなかった。悔しくて、認めるのも癪だが、悲しかった。

悲しいという感情を抱くのが久し過ぎて、最初はその気持ちに気付けないほどだったが、ベッドに横になり頬に冷たい感触を覚えて、それが涙だと知り自覚できた。

昨日は眠れなかった。朝、俺の腫れた目を見た母さんは口を開けて驚いていた。



幸村が保健室の扉に手をかける。



努力ではどうにもならないことも、ある。

知らなかったわけではなかった。

けれど、自分とは無縁のことだと何処かで思っていたんだ。










*****






トンネルの向こうは不思議の町でした。




扉を開けるとそこには、仁王の幼馴染は見当たらず、仁王としかいなかった。


ベッドで上半身を起こしていたの顔と、すぐそばの椅子に座っている仁王の顔が一瞬重なり合っているように見え、背筋が凍る。



「何してるんだ!」


咄嗟に自分でも驚くほど大きな声を出してしまい、幸村は慌てる。声に反応した仁王は、振り向くと、幸村と他校の生徒である景吾を見て不思議そうな顔をする。

腫れているの足には、仁王がアイスノンを当てていた。それを満足そうに見ていたの視線がゆっくりと幸村に向けられる。その口端には笑みが浮かんでいた。



「幸村さん」

彼女の冷たい声が頭の中でこだまする。

保険医に伝え、閉じられている筈のカーテンは何故か開かれていて、どこを探しても仁王の幼馴染の姿も見えなかった。動揺を隠しながら質問をする。


「誰か他に来なかったか?」


仁王とが同時に目を合わせ、首を傾げる。何かを思い出したように、が握った右手を左手の掌にポンとのせる。


「そういえば、来てましたね。仁王さんのお知り合いでしたっけ?」

「ああ、わしの幼馴染じゃ。来とったが、なんじゃ用でもあったか?」


計画が実行されていたことに胸を撫で下ろすが、2人の間に流れる穏やかな雰囲気に嫌な予感がしてくる。


「あのさ、彼女何か言ってなかった?」


仁王をじっとみて探るように聞く。何か言っとったかのう、と戸惑う表情をみせず真剣に思い出そうとする仁王を見て、心臓が早鐘のように打つ。


「今、・・・彼女はどこにいるんだ?」

「私の幼馴染と意気投合したようで、映画館に向かわれましたよ」



が笑顔で答えると、閉会式はこれからなのにのう、と仁王が呆れた声を出す。



計画がばれていた?

いつからだ、どこからだ?と自問自答する。

頭が真っ白になる。


思わぬ事態に一歩下がると、跡部の足を踏んでしまい振り返ると厳しい目で睨まれた。が、足を踏んだことを怒っているのではないことは一目瞭然だった。


唇を噛みしめ、再度に向かいあうが、その余裕の表情を見て怖気づく。



には仁王にキッパリフラれてもらい、ゆっくり時間をかけて距離を縮めていこうと考えていた。が、ここで仁王とつきあってしまったら、これほど執着してきた相手だ。その後、別れないかもしれない。


「仁王さん。幸村さんから大事なお話があるようですよ」


ね、と口端を上げ俺を真っすぐ見て、ゆっくりと右手を仁王に向けた。柳生の件を今話せと指示されているようだった。

先程の雰囲気から察するに、ここでと柳生の関係を否定し、が告白したら、仁王は受け入れるだろう。今身に起こっている最悪の状況を知り戦く。

もう後がないと思い、ちらりと跡部を見る。助け舟を出す素振りも見せず、壁に背中を預け高みの見物を決めているようだ。この状況に何故そんな態度が取れるのか分からないが、婚約者をここまで野放しにしてきた男だ。もしかしたら、そこまで興味がないのかもしれないと思いいる。

・・・何しに来たんだこいつ、本当に見てるだけなのか。


時間よ止まれと願いながら、なるべく時間を稼ぐように、不自然に口籠りながら、ゆっくり柳生との件を説明しはじめると、は腫れている自分の足をさすりながら、アイスノンを持っている仁王の手に触れそうな距離で手を止める。

王手だ、とでも言うように。

話が終わると仁王は驚いたようにを見た。





「なんじゃあ、付き合ってなかったんか?」



「ええ、未だ、みんな大好きバージンで」


みんな大好きアンパンマンをもじって全て言い終わる前に、仁王からアイスノンを取り上げた景吾が、の頭を叩く。仁王は気にせず話を続けた。


「恋愛はええよ。世界が変わるんじゃ」

「わかります。わかります」


うんうんと頷き、目を輝かせる。勝負は見えてきた。

今だ。今しかない。は鼻息を荒くした。


すぐ隣に景吾がいるのは分かっていたが、問題はなかった。親親戚同士の未確定な遠い将来の約束事だと、言えばそれまでなのだ。これまでも短期間で彼女が替わってきた仁王なら、それこそ問題視しないだろう。


「私も、仁王さんに恋をして世界が変わりました」


一つ一つに想いをこめて言葉をつむぐ。仁王の目が見開かれ、は、そっと彼の手をにぎった。

耳を塞いでしゃがみ込む幸村を目の端に捉えた後、仁王を見つめると、夕焼けのせいか顔が赤みがかって見えた。


「好きです」


勝った。

声を上げて笑い転げそうになるのを、口をぎゅっと結んで必死に抑える。

今日この日まで用意周到に計画を進めてきた。たくさんの人を巻き込み、一丸となってこの結果を出した。遠回りだったけれど、全ての過程は必要で大事だったんだと素直に思えた。


これこそ、努力・友情・勝利の集大成だ。


窓から閉会式が始まるアナウンスが流れてくる。

チーム毎の得点が知らされ、発表されるたびに、生徒たちから歓声があがる。そして、最後に赤組の得点が発表されると、わあっとより一層大きな歓声が上がった。

完全なる勝利に胸が高鳴り、目を瞑って達成感に浸る。



「すまぬ」


「嬉しいです。明日からはって呼んでください。私は雅治って呼び・・・え?」



仁王は困ったような顔をして、の手を自分の手からゆっくり外す。握っていた手が離れていくのを見て、は唖然とし、それから、サーッと顔を青くした。


「昨日、新しい彼女ができたんじゃ」

「昨日?」


昨日の午後は体育祭のリハーサルが夕方まであって、その後夜までテニス部の会議があって、女子と会っている余裕もそういった展開になるような時間はなかったはずだ。そもそも誰だ?学校関係者は全力で抑え込んだ。他校との接触なんて、学校と部活依存度の高い彼には難しい。

腫れている足が感覚を取り戻し、熱を帯びて痛みを訴える。リレーが始まる前に飲んだ痛み止めの効果が切れたのだろうか。

思考が逃避を始めたところで、ベッドが軋む音が聞こえ、はっと振り返る。

すぐ側に立ち、こちらを見下してくる景吾の姿があった。そして自分のスマホ画面をの顔にぐいっと近づける。



「新しい仁王の彼女だ」


画面の向こう側で、氷帝の制服を着た清楚系女子が微笑んでいる。


「昨日、ラインで紹介してやったんだよ」


しゃがみ込んでいた幸村は、ありがとう、信じてたと、言いながら景吾に向かって拝むように手を合わせていた。

ふんと鼻をならしてから、景吾はスマホを閉まうと、少し屈み、に視線を合わせた。



「残念だったな」



立海への通学を許していたのは、自分の将来の為に縛り付けていることの後ろめたさを感じてからだった。

結婚する前くらいは自由にしてやりたいと言う良心も働いた。

でも、それも、ここまでだ。



彼女から、あらゆる自由を奪う俺は好かれるどころか、嫌われるだろう。互いが成長し、行動範囲が広がれば、それに比例し制限は、これからも日に増していくだろう。

それでも、祖父の決め事は絶対だ。婚約者に逃げられるわけにはいかないのだ。

他の奴を好きになったら、俺は躊躇せず引き離す。


「それから、今日、転学届も出しておいた」

告白に敗れ、青い顔をしていたは一層表情を暗くした。

そのの額に、人差し指を強く押しあてる。


「来月からは氷帝に通え」



それは命令だった。


こういう強引で一方的な考えや態度で、人を思うままに操ってきた。ずっと上手くいっていたんだ。



だけど、何事にも限界がある。














気づいた時には既に取り返しのつかないことになっていた。



Index ←Back Next→