脱線

21









「・・・あ」




日吉と目が合うと、鳳は苦痛に顔をゆがませた。



部活が終わって時計は19時を指していた。部長会議に忙しい景吾に代わって、昼休みの間に彼の婚約者に委員会の資料を届けるようことづけられた事を今更思い出した日吉は3年A組にいた。当然、今日の授業はもう終わっていて、ほとんどの生徒が帰宅した後の教室は暗かった。

資料は机の中に入れておけば良い。以前から、トラブルに巻き込まれている日吉にとって、彼女と顔を合わせ会話する事は煩わしい以外の何物でもなかった。


日吉は、この行為が新たな事件に巻き込まれる発端になるとは思いもしなかった。





ひとけの無い教室から、激しい運動をしているような息苦しい呼吸が耳につくと、日吉は3年がまだ残っていたのかと思い、背筋を伸ばした。扉を開くと同時に、教室から廊下に向かって風がふくと、魚介類の腐敗臭に似た匂いが鼻をかすめる。



勘の鋭い日吉は、この時点で嫌な予感がしたが、直感に従って踵を返す前に、視界が捉えた光景に固唾を飲む。


満月の夜だったので、普段は暗い教室も、窓際の席が明るかった。そこに、女子のブレザーを握りしめ夢中で下半身を慰めている鳳がいた。


狭くない教室に敷き詰められた机と椅子が並ぶ中で、その席は日吉が資料を届ける筈の場所だった。


短い唸り声とともに、ぽたぽたと滴る音がする。肩で息をし、出すものを出して少し落ち着いたのか、そこで、よううやく自分以外に人がいることに気付いた様子だった。


「・・・鳳」


何してるか問いただすことに意味を見いだせなかった。行為は明白だったし、言葉として聞くことも憚られた。鳳も否定や言い訳を考える素振りを見せることもなく、耳を真っ赤にして俯いた。


日吉は小さくため息をついてから、教卓に置いてあるティッシュボックスを取り渡そうとしたが、彼のズボンまでが濡れていることに気付くとトイレに行って着替えるよう勧めた。

喚起するため教室の窓を開けると、大きな満月がそこにあった。通りで明るい筈だ。鳳を隠すように月の正面に立つ。



「あの人は部長のだ。諦めろ」


この無垢で、どうしようもなく愚かで、救いようのない可哀想な少年を照らしてくれるなよ、そう思う。


想いを寄せるのは仕方ない。でも、叶わない恋は諦めるしかないのだ。少し格好つけて、釘をさすつもりで言ってから、振り返る。



「・・・日吉さん?」


そこに鳳の姿はなく、代わりに席の持ち主が立っていた。


「・・・さん」


一瞬にして頭が真っ白になった日吉だったが、どうにか言葉をつむぐ。周りに鳳がいないと気づいて、少し遅れてから、トイレに行くよう勧めたのは自分だったとすぐに思い出す。







「・・・まだ、いたんですね」

「ええ、鶏小屋と美術室の掃除で遅くなってしまいました。日吉さんこそ、どうしました?」

「あ、俺は部長からさんに資料を届けるように言われて」


鞄から資料を取り出し、に渡しながら彼女の席を横目で見やる。ブレザーにはシミができ、床が不自然に濡れていた。


「人使いが荒い人が上にいると大変ですね。私も、生き物係と美術部に、こき使われたおかげで身も心もボロボロですよ」

「本当そうですよね」


確かに彼女が着ているYシャツは所々土埃がかかっており、鶏につつかれたのか、蚊に刺されたのか、服からはみ出ている肌は所々赤くなっていて、ボロボロというに相応しい恰好をしていた。ただ、焦りが先行して頭に内容が入ってこない日吉は、適当に肯定の言葉を返した。そうしておけば、ほとんどの会話は成立する。それだけは分かっていたからだ。



ただ、考える間もなく、が机の上に置いてあった自分のブレザーを取ろうと手を伸ばしすと日吉は咄嗟にその手を強く握る。


「え」


月明かりに照らされて彼女の驚きの表情がよく見えた。目を大きくさせて動揺している。けれども、慌てていた日吉は構うことなく早口でまくしたてた。


「来た時に汚してしまったので、クリーニングに出します」

「ああ、ご心配には及びません。もともと綺麗ではありませんし」

「いや、すごい汚いんです。それはもう触らない方がいいくらい」

「はあ。でも今日は冷えるので、着て帰らないと風邪ひきます」

「だったら、俺のジャージ着ます?」

「貴方、部活の後ですよね?」

さんのブレザーに比べれば、だいぶキレイです」


何を言っても日吉が食い下がり、最終的には自分のジャージを半ば無理やり着させてきたので、が怪しむのもおかしい事ではなかった。けれども、この時、日吉はブレザーの異変に気づかれると思ったら、気が気ではなく、相手の気持ちまで考える余裕がなかった。

文字通り一所懸命だったが、窓から風が吹くと同時に、が顔を顰めて、くんくんと鼻を鳴らしたので、その場にピリッと緊張が走る。そして次の瞬間、彼女は濡れた地面に足を取られ、周辺の机を倒して転んでしまった。

立ち上がろうと床に手をつき、そのベタつく感触に眉を寄せ、自身の手を見てもう一度鼻を動かした。


彼女のこめかみから噴き出した汗が、頬を伝って顎に落ちる。次第に顔色が悪くなっていく。それに比例して日吉も顔を真っ青にしていく。状況が取り返しのつかない所まできているのは一目瞭然だった。


彼女の視線が、机に置かれたブレザーに、そしてそこから糸を引いて滴り落ちる液体へと移る。



目を瞬かせて息を飲む様子は、分かりやすいくらいの狼狽だった。立ち上がる事もできないまま、彼女が後ずさると背後にあった机がガタガタ音を立てた。


ゆっくりと見上げてきた彼女と目がかち合う。


その瞳が大きく揺れた。


途端、彼女は弾けるように教室を飛び出していった。





終わった。




俺の人生が、終わった。



そう思った。







*******








「と言う事があったんです。そう、私は罪な女なのです」

「顔色一つ変えず、よくもまあ、いけしゃあしゃあと話せるもんだな」



ふふふと、日吉の二文字がはいったジャージを着て自慢げに笑ったのはで、呆れ顔で言葉を返したのは荒井だった。いつもの事務所で、この2人と、亜久津を勧誘に来ていた壇は麻雀台を囲んでいた。



「氷帝の日吉だろ?そういうことをする奴には見えないけどな。本人に確認したのかよ?」

「私のブレザーでナニしてたんですか?って?」



話が信憑性に欠けるので、荒井が怪しむように質問するとはあからさまにヘソを曲げ乱暴に牌を捨てた。

「あのー、これ勝てたら、亜久津さんにテニスの復帰勧めてくれるんですよね?」

2人の会話に参加できていない壇だったが、大事なことは念を押しておきたいタイプなのだろう。おずおずと口を挟んできた。


「ええ、勿論」


口端をあげたからは見えないように、顔をぐいっと壇に向けた荒井は口をへの字にしてから諦めるよう手を振った。

亜久津から電話を着拒、SNSはブロックされたは、ここ数日ムシャクシャしていた。こういう時のストレス発散は、弱い者イジメに限るし、壇から金を巻き上げれば、亜久津が現れる。まさに一石二鳥。そう踏んでいたのだ。


「部員一同、亜久津さんに戻ってきて欲しいんです」

「そうでしょうとも。私も全く同じ気持ちです」


ハンカチを出して、涙をふくふりをする。その様子を見ながら、荒井はため息をついて、目の前の牌を揃えるのに集中する。壇が亜久津を部活に出させようと、事務所に顔を出すことは今までも何度かあった。しかし、気にかけてる後輩の真摯な呼びかけがあっても亜久津の心が動くことは無かったようだ。

「ピアノマン作戦も失敗しましたし、もう後がありません」

「アイディア自体は良かったんですけどね」

ピアノマン作戦とは、潜在意識に語りかける作戦として、ウォークマンでビリー・ジョエルのアルバムをかけるのはどうか、と面白半分にが壇に提案したものだった。

事務所のBGMにピアノマンが流れた時、亜久津は嫌な顔をしたが、すぐに文句を言うことはしなかったが、5分ほど経ってから、ウォークマンに繋がっている電源コードをハサミで切った。ピアノマンは、場末の酒場でくすぶる人々を歌った曲で、聞きようによっては、本当にそこにいて良いのか、問いただしている内容だった。


見えすいていたかな、と壇は反省していたが、荒井は同じアルバムの中にあったアップタウンガールが気に入らなかったんだろうと思った。下町の男が上流社会の女に恋する曲だった。

さん、ここにいたんですね」

事務所のドアからノックが聞こえ、あいさつをしながら鳳が入ってきたので、と、は興醒めしたように手を顎に添えた。

「ここは児童館じゃないんですけど」

「えっと、すみません。ブレザーを返しに来ました。あの、クリーニングにも出しました。本当にすみませんでした」

「本人が来ない所は問題ですが・・・。まあ、良いでしょう。あそこの青い箱の中に入れといてください」

紙袋をずいっと差し出して何度も頭を下げる鳳に、ゴミ箱を指さして暗に捨てるよう指示すると、は荒井に「ほら事実だったでしょう」と言わんばかりに胸を張った。何故、鳳が頭を下げているのかには、そういう性格なんだろうと思い、興味を示さなかった。それよりも、先程まで小馬鹿にしてきた荒井に真実を突き付けることに精を出す。


「私だって、モテるんですよ。小6の時には真田さんに告白された事もあります。3時間後に撤回されましたけど」

「撤回、はやっ!つーか、小学生の頃の話を持ち出すってことは、中学3年間何にもなかったんだな」

「そうですね。貴方がベンチを温めていた期間とちょうど重なります」

「何もなかったんだな」
荒井が反撃するようにせせら笑うと、腹が立ったは乱暴に「トイレ!」と叫んで、その場を離れた。その後ろ姿を鳳は眺めながら、持っている牌の組が良いのか機嫌よさそうにしている荒井に声をかけた。


「その制服、青学の人ですよね?さんに婚約者がいるの知ってます?」

「ん?ああ、跡部だろ」

「知ってて、焚き付けるような事言わないでくれませんか?特定の相手がいるんだから、何もなくて当然なんです」

「彼の言う通りです。下手に焚き付けるのはやめてください。亜久津さんに火の粉が飛んできそうです。そんなんだから、万年ベンチなんですよ」

「壇、お前、言うようになったな!お前だってレギュラーなれたことないくせに」

「僕はマネージャーですから」

「あ、俺、氷帝の鳳です。3年生が抜ければ、レギュラーになりますよ」

壇に対しては睨んでおきながらも、荒井は背が高くしっかりした体つきの鳳を見上げると、世の中の不平等を感じ、眉を垂らす。スポーツというものは、日頃、努力や礼儀にうるさい割には、体格差で勝負が決まる。先日、亜久津がラグビー強豪校のスカウトマンに声をかけられたと聞いた時には開いた口が塞がらなかった。その人、ワン・フォー・オールとか絶対無理ですよ、と親切に教えてやろうか迷った程だった。


がトイレから戻るのを真面目に信じて待っていた3人だったが、30分が経ち18時を伝える鐘がなると、壇と荒井はが持ち牌をこっそり覗き込んで、それから彼女の鞄がなくなっていることに気が付いて同時に項垂れた。牌の並びから彼女の負けは明らかで、この席にもう戻ってこないことは明白だった。


気落ちした2人を鳳が慰めながら、部屋を片付けていると、セーラー服を着た女を連れた亜久津が事務所に入ってきたが、3人からの挨拶に返事をすることなく、そのまま部屋を横切ると奥の部屋に消えてった。

その間、鳳は不躾にも2回も振り向いて女の顔を確認した。以前、廃墟で亜久津たちとつるんでいた女子だったのだが、鳳が2度見してしまったのは、それだけが理由ではなかった。彼女の雰囲気が、あまりにもに似通っていたからだ。

それは、一瞬、が戻ってきたのかと鳳が錯覚するほどだった。顔は化粧で似せているのだろうか、髪型、香りは同じだった。

事務所を出た3人がエレベーターに乗ると、壇がボタンを押し、隣にいる鳳を見て徐に口を開いた。


さん、正義感も強いし良い人ですよね」

「あ、うん。君もそう思う?」

「はい。亜久津さんが一緒にいるのも分かります」

「結構、一緒にいるんだ?」

「小学生の時から仲良いみたいですよ」


荒井はエレベーターに備えられている鏡を見て眉を整えながら、下級生たちの話しを聞く。たどたどしく話す壇が、鳳に何を伝えたいのかを察する。これ以上、彼女の被害者をつくりたくないのだろう。まわりくどい言い方は、鳳への配慮ではなく、彼の癖だった。


先程すれ違った女は、ここ最近事務所に入り浸って亜久津の相手をしていた。特定の相手を作らない亜久津にしては珍しいことだった。

驚くほどに似せられた姿の彼女を見た時、仮装か何かかと疑って笑ったが、亜久津が何も言い返してこなかったので、荒井はそれ以上何も言わなかった。壇も女を見た時は目を丸くして驚いていたが、すぐに同情するような眼をした。

2人の間に何かあったんだろう。友人関係を揺るがすような何かが。荒井と壇から見れば、亜久津が必死で何かに耐え、ギリギリの所で踏ん張っているように見えた。

は確かに喧嘩に強いし、頭もキレる。だが、不良とつるむことも多い彼女が、無垢なままでいられるのは亜久津あってのことだった。お嬢様の彼女が、誰にも手を出されない、なんて事があるわけがない。綺麗なものは汚したい、それが不良だ。実際、彼女に興味を持つ奴は後をたたなかった。手に届かないタイプだから、余計かきたてるものがある。

が、亜久津の存在が周囲を牽制していた。そして、結局今日まで誰にも手をつけられていない。彼女には似合わない言葉だが、けれども、そう純真無垢なのだ。少なくとも、汚されたブレザーを見てビビッて逃げるくらいには。


「遠く先を読む力があって、なんでも卒なくこなして格好良いですよね」

「それ、すごい分かる」

「ただ」

「ただ?」

「困ったことに、近くが見えてないんですよね」




精一杯の忠告なのだろう。鳳はハッと気づいたように顔を上げて神妙な面持ちをした。


さん、遠視なんだ?」


チンと音を立てて、エレベーターが1階に着いた。

その後、後輩に紹介された眼科の話をし始めた鳳に、こいつも、ちょっと大変そうだぞ、と思ったのは、壇だったか。荒井だったか。










*******








「だーかーらー、どうやってこんな山裏まで飲物運べってんだよ!」

「熱中症予防対策だって。すっかり忘れてたんだ。300本くらいで良いから頼むよ、日吉」

「300本もどこに売ってんだよ!!」



肝試し大会の第3受付所では日吉と美化委員の男が言い争いをしていた。各受付所では通った証明として判子を押してもらえるのだが、景吾は2人がいつまで経っても話を切り上げる様子を見せないので、自分でスタンプカードに判子を押した。「大変よくできました」と桜型のスタンプがつく。


の目論見通り、肝試し大会は開始し順調に進行していた。裏方にはあまり携わらなかった生徒会メンバーも、当日は忙しなく動き、スタート地点となる体育館で誘導や安全管理、ゴール場所の「蛍の会」の準備に追われていた。

先行組の一年生は日が明るいうちに出発し始め、暗くなる前には目的地に着くことができる予定だ。肝試しとしては物足りないかもしれないが、セキュリティ面では万全だった。幼い男女のペアが顔を赤くしながら並んで歩く姿が微笑ましかった。

3年の順番がまわって来て、4番ペアが出発する時間になってもが現れることはなく、景吾は1人寂しくスタートをきることになった。しばらく歩くと、お化け役の忍足が釣り糸に吊るしたこんにゃくを投げてからかってきて、虫の居所が悪かった景吾が反撃して軽い喧嘩になった。

指定された第1、第2受付所を通過し、第3受付所で口論している男達を置いてゴールに向かおうとしたところで、日吉の携帯がなった。着信音は「ダースベーダー」だった。


「あっ、さん」

名前を聞いた景吾は、ぐるりと日吉へ向き直った。顔を強張らせた日吉が背筋をピンと立て、電話に出ていた。

「はいっ!熱中症対策ですね!大事ですよね!勿論、ペットボトル300本用意します!あ、ウォーターサーバーですか。ええ、はい。分かりました!なんとかします!」

電話が切れると、美化委員の男が日吉の先程と打って変わったような態度に文句を言い、2人がまた口論を始めたので、景吾が間に割って入った。

は今どこにいるんだ?」

「ゴールにいます。って、あれ、部長、いつの間にいたんですか?」

「さっきからずっといた。受付のお前らが判子を押さない代わりに、自分で押してしまうくらい前から、ここにいた」

「あ、すみません。スタンプ押しましょうか?」

「話、聞いてたか?」

「えーっと、はい。さん所行くなら、これ渡してもらって良いですか?」

先程電話で指示されたことで頭がいっぱいで余裕がないのか、会話になっていなかった。景吾は話を続けることを諦めて、渡されたメモ帳を受け取り、頭を下げた後、校舎に向かって走っていった日吉を見届けてから、メモ帳を開いて反対方向にあるゴールへ歩き始めた。

学校の裏山は、普段人が入らないから自然がそのまま残っている。耳を澄ますと、小川からせせらぎの音が、草むらからはカエルの鳴き声が聞こえてくる。一方で景吾が鬱蒼とした木々に目を向けると、そこには不釣り合いなほどの夥しい数の監視カメラが連なっていた。生徒を危険にさらすことはできないと共感したが、父親に頼んで業者に付けさせたものだった。


メモ帳は最近が携帯しているものだった。開くと殴り書きされた『人助けリスト』がびっしり書かれてあり、そのいくつかは達成されたのか既に取り消し線が付いていた。右端には小さく日吉の名前が書かれている箇所があった。察するに、何かの弱みでも握って、仕事を押し付けているのだろう。

ゴール地点もとい「蛍を見る会」の会場につくと、浮かれた生徒たちの騒ぎ声と音楽が聞こえてきた。騒ぎの中心にいたのはウサイン・ボルトのポーズをして周囲を笑わせていただった。先日、彼女の陰口をたたいていた陸上部員たちが周りを囲み、その周りに多くの生徒たちが集まっていた。




「集客をさんにお願いして良かったよ。まさか全校生徒に来てもらえるとは思わなかったけどね」


すぐ隣にいた男子が声をかけてきた。理屈っぽく気難しい事で有名な美化委員長だった。


「今、目の前で自然が破壊されているが、美化委員として問題はないのか?」


大自然が台無しだと思ったのは、景吾だけではないだろうが、ふと自分の肩に止まった蛍を見て瞬きして驚く。それから、もう一度周囲を見渡すと、生徒たちと戯れるように傍で光を放っている存在に気付く。見上げれば、満天の星空が広がっている。


「圧巻でしょ?自然は1日やそこらで壊せないよ。でも人間が長い年月をかけて壊していく。山を切り空気と海を汚して」

「学校だけでなく、地球の事まで考えてるのか?美化委員の仕事は大変だな」

「事実大変なんだよ。我々はこんなに傍にいる尊い存在に気付かない。大切なものに気付くのはいつも失ってからだ。地球にスペアはないのに。人間は本当に愚かだ」

その男子が世界自然保護基金なんかに送る手紙に書くようなあくの強い話を続けるので、視線をとその周囲に戻した。そこには、修学旅行の参加も拒否している受験組の顔ぶれがあった。短時間だからという理由で来たのかもしれないが、最近は常に眉に皺を寄せて人や物に当たっていた連中が、夜空を仰いで歯を見せて笑っている姿に驚く。

準備にあたっていた生徒会や美化委員、放送委員のメンバーは、その顔に達成感をにじませていた。皆が肩を寄せ合って感動を分かち合いかみしめている。

この短期間で、これだけの人を、心を動かせる奴が果たしてどれだけいるだろうか。


「・・・樺地か」

「ウス」

背中に暑苦しい気配を感じて、振り向かずに用件を聞く。普段話さない樺地が口を動かしているところを見ると、美化委員長も自分の話を止めて耳をそばだてた。そして、樺地の報告が終わると、委員長はの方に向かって走っていった。


「盗撮犯が見つかったぞーーーー!」


その後を景吾もゆっくり歩く。大きな輪の中心にいるまでの道が自然と開かれた。

角がすり減っているメモ帳を再び開く。変質者が出る為、日が落ちると怖くて歩けない。部活の夕練ができなくなった。いつも覗かれているような気がする。どれも女子生徒たちの切実な訴えだった。それぞれに取り消し線を引いていき、署名と一緒にリストの最後に文言を書き加える。


周りの視線を集めて、の隣に立つと、メモ帳を彼女に渡した。
景吾がの肩を抱き寄せ、人差し指を夜空に向けると、周囲がしんと静まりかえった。


「氷帝は犯罪者に決して屈しない!・・・我らが勝者だ!」


その場にどっと声援が響いた。ノリの良い男子たちが大声で叫び、女子たちが泣いて喜んだ。隣では驚いた表情をしていた。


サポートしてやらないといけないだって?

誰を?何のために?


気づけば、いつも隣にいる。

それが、だ。

そこにお膳立てなど必要ない。







**********









「っちゅーわけで、7番目の盗撮ビデオ手に入れてきたでー!!!」



忍足の掛け声に、テニス部の部室で男たちの歓喜の声が上がった。以前見せてもらった盗撮ビデオの内容が刺激的だったのだろう。ま鑑賞したいと思う奴がいても不思議ではなかった。ただ趣味が悪い上、そもそも犯罪行為になる可能性もあるのだが、中学生の彼らにそういったことを考える頭は無い。

部長である景吾が委員会などで不在時は、部活終了後にしまりがなく、基本的にはなんでも許されていた。宍戸は鍵閉めの当番だった為、待つ羽目になり、そっち方面に興味がなさそうな後輩たちには早めに声をかけて帰らせた。樺地と鳳が大きな鞄を持って帰っていく姿を羨ましそうに見て、深いため息をつく。


「犯人は警備員だったらしいぜ!」

「それ聞いた。肝試し大会で他の警備員が裏山に駆り出されている間、手薄になった校内にカメラを設置していた所を逮捕!だろ?」

「そうそう。そうなることを予想してた部長が予め警察を呼んでおいたんだよ!頭良いよな。裏山でのあの演説も、しびれたぜ」

さんの肩抱いてな。最初はどうかと思ったけど、今やお似合いのビッグカップルだよな」


2年生の話を聞きながら、忍足はUSBをパソコンにさし、動画を立ち上げた。夜の映像の為見づらかいが、そこには鶏小屋が映し出されていた。月明かりが射す場所と小屋の影が伸びる暗闇のコントラストが激しかった。期待外れの画面にその場にいたメンバーが気落ちするのが分かった。興味をなくした3年生を中心に部員が帰っていく。忍足も「お後がよろしゅうようで」と宍戸の肩を叩いて、部室から出て行ってしまった。

蒸し暑い部室に残ったのは、好奇心旺盛な1年と2年生で、その中に責任感丸出しの日吉もいた。おそらく、3年が帰ったのだから、自分がこの場を抑えねばと思ったのだろう。宍戸は鍵閉めの係を彼に託そうか迷ったが、さすがに何かあっては問題だろうと、帰宅したい気持ちを抑え様子を伺う事にした。


「卵が孵化するのを見たかったのかな?確かに見てみたいよな」

「秘密の財宝が隠れているのかもしれない」


盗撮されている事にも気づかず、呑気に餌をつついている鶏が延々と映し出され、無名探偵たちの無邪気で無責任な推理が始まる。


「あ、さんだ!」

「あー、本当だ!さんじゃん!」


それは知り合いがテレビに出た時の反応だった。ほうきとちりとりを持って鶏小屋の中に入ったが掃除を始めていくと、わいわい騒ぎだしてにぎやかになった。が、盛り上がったのもつかの間、束なっていた干し草に腰かけてそのまま寝入ってしまい、その場が白けた。起きろよー、動けよー、掃除しろよー、変顔しろよーと、不満げな声が上がる。部長の婚約者なのに、普段からフランクなに親しみの方が勝っているのだろうか暴言が目立つ。


宍戸がそろそろ帰るぞと、声をかけようとした時、部員たちが再び興奮して叫んだ。


「あ、鳳さんだ!」

「あー、本当だ!鳳じゃん」


つまらない動画に少し飽きてきていた部員たちが気持ちを持ち直し、興味津々に画面を食い入るように見る。知り合いが2人もいれば、面白い会話を聞けるかもしれない。皆、目を爛々と光らせていた。


画面越しの鳳は鶏小屋に入って、を軽く揺さぶって起こそうとしていた。


さん、起きてください』

『ん・・・景吾・・さん?』


それを見て、不安になった宍戸は手に変な汗をかいた。勘の鋭い日吉も、この時点で再び嫌な予感がして目を瞑った。

そうだそうだ!起こせー!と2年生から野次が飛ぶ。


「あ、ちゅーした」

「あー・・・本当だ」


そこから数分間、寝ているの手首や首筋に口づけを落としていく鳳の姿が映されていた。



蒸し暑かった部室が一気に氷点下まで下がった気がした。





それは、肝試し大会よりも怖い呪いのビデオとして、後に語られることとなった。






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