脱線

25



「こんな所で遊んでてええんか?」

「トリプルデートをドタキャンされて悲しみに暮れている忍足さんを助ける為ですから」

「跡部が大変な時に余裕綽々やな」

「そういう時だからこそです。急がば回れは、世の常識ですよ」

さんは、歩いて行けるところに、わざわざ飛行機乗って地球一周して、あげく迷うタイプやな」

ドーム型球場に隣接されている遊園地内のコーヒーカップの上で交わされた会話だった。
ぐるぐる視界が回る中、三半規管が異常を訴えて、吐き気を催すが、がハンドルを回す手を全く止める気配はなかった。彼女が言うようにトリプルデートをドタキャンされて嘆いていた忍足を慰める名目で3対3のトリプルデートが行われていた。

「景吾さんの、お父さんの会社が倒産、した件ですが」

「そのダジャレ、全然笑えんわ」

景吾が尊敬して止まない祖父からの宿題で父親の会社を評価することになっていたのは、彼が見たこともない資料を読みふけっていた先週から聞いて知っていた。1企業を継続させるかどうか、跡部にその判断が委ねられていると聞いたときは、ただ呆気にとられたものだ。現実とは強者が弱者を玩具のように扱い弄ぶ世界なのかもしれない。

どの銀行も貸し渋るほどその企業の財務状況は散々だった為、当然、資金投入はしないという判断に至る。誰が考えても一つしかない結論を出すが、事実上、自分が報告し、父親の会社を倒産させることとなった景吾に襲い掛かった悪夢はそれだけではなかった。そこの社員が家族をまきこんで無理心中した事件が起こった。いくらメンタルの強い彼でも無情な現実に打ちひしがれているに違いない。


「気落ちしてるときに傍にいてやれば、さんの株はうなぎのぼりやで」

左手はコーヒーカップの縁にしがみつきながらも、右手をにょろにょろっと挙げて言う。

「不況の時は何したって株は下がりますよ。私は忠告したんです。決定はするなって、お祖父様とは話をするなって。子供がすることじゃないですからね。父親の会社は潰すしかなかったんですよ。銀行が融資しないって言ってるんだから、財務諸表逆さにして見たって、結果は変わらないんです。それをわざわざ、『資金投入する価値はありません』って言わせて、倒産させて、景吾さんを追い詰めて。跡部家流帝王学だかなんだか知りませんが、やり方が気に入りません」


いつもより長く饒舌なの話が耳に入ってこない。トイレがどこにあったか、確認したいが、景色が変わりすぎてもはや何も分からない。騒々しいはずの周囲からの声が聞こえなくなると、いよいよまずいと思って、忍足はに両手を挙げて白旗をふった。






*******





ある日、新米ハンターのあなたの元に届いた1通のメール。
ハンター協会主催イベント『グリードアイランドフェス』の招待状だった。

「ゲームを攻略し、カードを集めてください。すべてのカードをコンプリートでゲームクリアとなります」

このルールが告げられ、動き出すハンターたち。ゲーム内に数多く存在するクエストに挑戦し、それぞれカードを集めていく。しかし、カードを奪うために人殺しを繰り返す爆弾魔、ボマーの登場により空気は一変。命を賭けた壮絶なカードの奪い合いが始まる…。

あなたの知力と戦略で、クエストや迫り来る爆弾魔を攻略し、カードをコンプリートせよ!

これはハンターハンターの夢ではない。
東京都内にあるドーム球場に隣接する遊園地のリアル脱出ゲームのイベント案内文だった。

参加者の一人である橘杏は、受付に達するまでの長い待ち時間経て、やっとのことでその案内文を手に入れたのだったが、気持ちは既に帰路に立っていた。

前日に突然から電話を受け、「忍足さんがトリプルデートをドタキャンされて困っているんです」と突拍子もなく言われた時は、電話の相手を間違えているのではないかと思い、名前を名乗ったが、「知ってます。私が電話をかけているんだから当たり前じゃないですか」と返されて「そうですよね」と納得したかのように振る舞った。が、体は正直で眉の間に皺が寄っていった。人差し指と中指で皺を押し広げながら返事を続けると、勝手に待ち合わせ場所と時間を告げられ、今日にいたった。

初めて行く場所だからと馬鹿真面目に余裕をもって30分前に着いたのがいけなかったのか、そこで、杏は立海の幸村が横領している場面を目撃してしまった。最初美男美女のカップルかと思って見ていたら、男がUSBを彼女の目の前にぶらさげて、いかにも「悪役です」と主張するような低い声で話をしていた。

「これには立海メンバーのプロファイルが全て入っている。俺の言うことを聞けば帰りに渡してあげるよ」

「絶対だな」

不穏な雰囲気を醸し出していたが、女子の方もまんざらではない笑みを浮かべていたので助けに割って入る必要もないと判断し、時間をつぶすため、近くの店に入る。有名週刊連載雑誌のオフィシャルショップとあって開店直後なのに人であふれかえっていた。最近、日本映画興行収入ランキング一位を飾ったアニメの原作主人公とヒロインのイメージデザインである黒と緑の市松模様とピンクの麻の葉模様の商品が視界いっぱいに広がる。進撃の奇人だったか、鳥貴族の錬金術師だったか、二次元方面には疎い杏が作品の名前を思い出す前に、周囲から正しい作品名が聞こえてきた。続けて、自分の名前も聞こえ、ふりむく。

「橘杏と大馬鹿さん、北園寿葉と幸村さんをくっつけます。」

「鳳な。『元気出してください。トリプルデートは開催させてあげます』と言われて期待いっぱい胸いっぱいで来た俺の元気はどないするんや?」

「胸いっぱいにしまったままにしておけば、なんの問題もありません。大人しく私の横についてくれば、ウィットに富んだ会話であなたを楽しませましょう」

「俺はフリーの女子と話したいんや。内容は空っぽでもええ」

「私は自由です。むしろその象徴のような存在です。特に今日は、自由をこじらせて、意味をはき違え、ついには自制もきかなくなって、国会に乗り込んでしまうアメリカ人の気持ちで挑んでます」

「自覚はあったんやな」

「邪魔者は殲滅せよ。この『全滅の刃』作戦、全集中で協力してくださいよ」

「『自滅の刃』にならんよう気ぃつけや」

そんな会話が交わされた後で、待ち合わせ時間になるとその上級生4人と杏、それから時間ギリギリに到着した鳳が顔を合わせた。このメンバーなのか、と改めて集まった顔ぶれを見て、まず帰りたくなった。全員がにこにこと笑みを張り付けているが、よくわからないけど裏に何かあると知ってしまった杏には恐ろしく感じられた。まるで猛獣の折に入れられたウサギの気分だ。

「緊張して眠れなくて」と汗をハンカチでふいている鳳だけが、同級生でもあり、唯一安心して傍に入れる存在だった。と、思う時点での作戦に乗せられているのではないか、と不安になる。何故か知らないが、彼女は彼と私をくっつけたいらしい。


謎解きが始まる前に、受付で念能力性格診断があり、受付横のタブレットに表示された質問に答えるとレシートが出てきて結果を知ることができた。単純バカの代名詞である「強化系」の診断結果を受けたが何回も診断をやり直している間に、北園と忍足がパンフレットに書かれた謎解きにかかり次に行く場所を推測していた。

「まあ、私は、こういった診断とか占いとかは信じないタイプなので」

6回ほどやり直し、『強化系』の診断しか出てこなかったがタブレットを乱暴に振っていると「運命もですか?」と鳳が身を乗り出した。

「占いの館で言われた運命の人、本当は部長だったんですよね」

「福山じゃなかったんだ」

その会話にすぐに反応したは、幸村だった。

「俺の姉、彼氏と別れた後に、その占い師に文句を言いに行ったんです。そしたら、『13日の金曜日に運命の人が現れる』って新しい予言が出て舞い上がっちゃって・・・運命の人なんて本当にいるんですかね」

7回目となる診断を受け始めたがタブレット操作しながら、つまらなさそうに口をすぼめた。

「私も予言しましょうか?お相手の名前は『ジェイソン』です」

「どうして、名前がわかるんですか?」

鳳が目を丸くしていると、「で、ニュージャージー州出身だね」と興味がそがれた幸村がパンフレットに視線を戻しながら言う。

「出身地まで?えっと、外国人?姉は、英語しゃべれないけど大丈夫なんですかね」

「とにかく、出そろいましたね」

その場をまとめるようには手を叩いた。

戸惑っている鳳の横に、杏を呼んで立たせ、自分の『強化系』の診断書を押し付け「貴方たちは『強化系』の念能力者です」と言い聞かせる。杏は診断前だった。

「私は忍足さんと同じ『変化系』の念能力者です」診断では『強化系』だったのに、は忍足の横に着くと胸を張ってそう言い張った。

「そして、残りの人たち」と、幸村と北園を指さす。

「この3組のペアで回りましょう。同じ念能力を持っている方がきっと謎解きが楽なはずです」

「念能力関係ないじゃん」

不満をもらしたのは幸村だったが、他の人間はそのあんまりな押し付け方に反論する気にもならなかったので、そのまま大人しく解散となった。


*******



各ペアで謎解きが進められ、途中キャラクターの指示によって、遊園地内のアトラクションに乗ってヒントを得るなど、それぞれ楽しんでいたのだが、と忍足の2人は、冒頭のように忍足がコーヒーカップで胃を痛めてトイレから出られなくなってからは、メリーゴーランド近くの売店でクレープを食べて暇をつぶしていた。

「へい、かーのじょ、お化け屋敷行かない?」

「かるっ。昭和のナンパ師ですか。すみませんが、昔、お化け屋敷で誘拐されたことがあって、以来トラウマなんです。他を当たってください」


「おもっ。引くよ、それ。もうちょっと可愛い断り方できないの?」

ノリ良く声をかけた幸村だったが、断られた内容が内容だっただけに、に注文を付け非難した。

「ジェットコースターならどう?」
「絶叫系はダメなんです」
「観覧車は?」
「実は高所恐怖症で」
「何しに来たの?」
「謎を解いて脱出するために」
「脱出するために、来たわけ?」
「そうです。脱出ゲームですから」

彼女が持っている謎解きの冊子に皺ひとつない所を見ると、とてもそうとは思えなかったが、幸村は気持ちを切り替えて「パートナー、交代したみたいだよ」と、遊園地の周囲を走っているトロッコ列車を指さした。北園を肩に抱き、こちらに手を振っている忍足がいた。

トロッコ列車が遠くに行ってしまってから、はっと気づいたように「裏切者」と大声で叫んだは、すぐ隣にあったモグラ叩きコーナーで、鬱憤を晴らしていた。スタッフが困惑するくらいの音を出して、モグラを叩いているを見ながら「そんな激しく動いて、左腕がよく傷まないね」と感心したように言う。

「今朝、痛み止めを飲んできました。それより、北園さんを誘惑できましたか?」
「どうだろう」
「立海に連れて行けそうですか?」
「さあ」
「何しに来たんですか?」
「北園さんの興味を惹いてくれって君に頼まれたから。あと俺も謎解きには興味があってね。でももう答えは出た」

そういわれて、は特に疑問を抱かなかった。

相当前に連載を休止してしまった漫画作品がテーマだったため、参加メンバー全員がほぼ原作知識がなく挑んだので、当然、謎解きは難航し、地頭が良い幸村だけが問題を解いていた。

他のメンバーは、園内のアトラクションに乗ってヒントを得て回答できる謎解きだけを楽しんでいた。

「では、答え合わせといかなきゃですね」

もぐらたたきを済ませたが、すっきりした表情で幸村を見た。差し出された手に、解いた回答が書かれた冊子を渡すと、近くのカウンターに座り自分の冊子へ答えを書き写していく。その隣に腰掛けて回転いすをぐるりと回り、幸村が膝をの膝にに当ててくると、は視線を動かして幸村を訝しげに見た。

「鳳君とはなにもないみたいだね。タイプじゃないもんね」

「タイプ?」

「仁王とはかけ離れてるし、もっと女慣れしてる自信家が好きだろ?」

馬鹿にしてくるように言う、幸村の言い方が癪に触って、不快感を浮かべる。

「確かに。例えば、あのシューティングゲームで最高得点を取ると宣言して、景品のぬいぐるみを私にプレゼントしてくれる人がタイプですね。貴方でないことは確かです」

相手を挑発するように、ゆっくりと、けれども逃げ場をなくすようなそんな言い方で反撃する。

声が大きかったわけでもないのに、暇だからか、こちらの様子を伺っていたシューティングゲームのスタッフが話題に上がったことを良いことに、目を輝かせて歩み寄ってきて、何も言っていない幸村に玩具の銃を渡し、鼻息を荒くしてゲームの説明を始めた。これは面白いことになりそうだと、その間に、は他のスタッフににやにやしながらプレイ料金を払う。

「最高得点を取った方にはあのぬいぐるみを差し上げてます!」と、写真に飾られた大きくまのぬいぐるみを指す。

に試すよう言われた幸村だったが、嫌な気はしなかった。ここは見せ場で彼女の気持ちを掴むチャンスだとさえ思う。会う機会が少ないのだから、確実に点を積んでいかなければならないことを自身が一番よく知っていたからだ。

さん、『最高得点を取る』よ。そして、君にぬいぐるみをプレゼントする」

に胸に向かって銃をつきつけながら、言う。

「期待してます」

が可笑しそうに笑う。

ずっと見ていたい、そう思う可愛いさがあったが、ゲームの画面に視線を移した。

俺は外さない。絶対に

ステージ5まであるそのゲームはステージをクリアする度に難易度が上がっていった。安っぽいつくりものの銃声が店内に響き続け、スタッフが実況中継を始めると、ギャラリーが集まってきた。幸村に声援が届く、汗もかくことなく口端を上げながら、確実に的に当てていく彼の姿はどこか人間離れしていて神々しさを放っていた。

ステージ4に入ると、騒ぎが大きくなり女性の観客が圧倒的に増え、黄色い声が辺りを支配する。それでも緊張の色を見せることもなく、淡々と点数を打ち取っていく。時折、の様子を見ては、目が合って、その度に微笑む。余裕を醸し出し、いかに自分が大物であるか見せつける。周りが騒げば騒ぐだけ、自分の価値は向上し、彼女からの評価が上がる。幸村はその仕組みを完全に理解していた。

最後のステージに入ってからも、一切焦る様子は見せず、完膚なきまで敵を打ち倒した。スタッフから感動の叫び声が聞こえ、銃を天井に向けて声援にこたえると、その場に拍手が沸き起こる。

「こちら最高得点の景品です」

に向き直り、スタッフから渡された景品を彼女に差し出そうとしたところで、想像とは違う冷たい感触に気づいて自身の手を見る。

「なにこれ?」
「バッジです」
「ぬいぐるみは?」
「店長に確認したら、さっき、ぬいぐるみは出ちゃったそうで。すんません」


30代半ばの男性スタッフは舌をペロッと出し、自分の頭を軽く叩いた。その横でも全く同じ動作をしていた。その様子から、ぬいぐるみが在庫切れということを彼女が知っていたと思い知る。



*******


「あちらのカップルは、成立したようですね」

満足気に頷くの視線の先には、大きなぬいぐるみを持った杏と照れて頭をかいている鳳がいた。キャラクターに指示されたアトラクション乗り場へ進むと、他の4人が列に並んでいるのが見えた。きゃっきゃっとテンションの高い2年生とは反対に、忍足はげっそりとした表情でしゃがんでおり、北園は謎を解いているのか鉛筆を鼻の下に挟んで冊子を睨んでいた。

「バンッ、バンッって、全部打っちゃうんだもん!本当すごい!」
「全然、大したことないよ」
「景品のぬいぐるみまでもらっちゃって、あ、お返ししなきゃよね」
「気にしないで。俺、もらっても困るし、橘さんがもらってくれた方がぬいぐるみも喜ぶよ」

ぬいぐるみが喜ぶわけないだろ、そう思ったのは幸村だったか、それともその様子をずーと見せつけられていた忍足だったか。

「鳳君、一発殴っても良い?」袖をめくって、幸村は忍足に確認する。
「ええで。先輩差し置いて美味しい思いをしてる奴は成敗すべきやし、立海が公式試合出場禁止になるのも大歓迎や。まさに一石二鳥」

そんな会話を交わしていると、順番が来てゲーム開始のアナウンスが流れる。会場は広く6人全員で参加できるゲームのようだった。

「今回のミッションは、敵対する組織のアジトに潜入して秘密金庫のセキュリティを解除することだよ。NO.1スパイは誰かな?」

ツンツン頭のアニメキャラが、そう言うと、「オイラだ!」と北園が張り切って拳を振り上げた。四方八方に張り巡らされたレーザー光線をかいくぐり、解除ボタンに向かっていく。足並み併せて他のメンバーが続いていく中、忍足はぬいぐるみを荷物置き場において出遅れていた杏に声をかけた。

さんとは、どこで会うたんや?」

「あ、えっと、不良に絡まれてる所を助けてもらったことがあって」

急に声をかけられた杏は戸惑いながら答える。絡まれるどころではなく、レイプされそうだったが、そこは言葉を濁した。

「なんやて、そんなことが。次からは俺が助けてやるさかい。すぐ呼んでや」

と言って、これが目的でしたっと言わんばかりに、携帯を取り出し連絡先を聞き出してきた。いつもの手口なのだろうと、思わせるくらいスムーズな聞き出し方だった。

だったら、まずはお宅の部長のナンパをどうにかしてくれません?と、言おうとして言葉を飲み込む。忍足の背後にがいて、同性が聞いたらあまりに傲慢な発言で、良い思いはしないということは容易に想像がついたからだ。「ちょっと良いですか」と後ろに引っ張られるようにして、忍足が会場の端に連れていかれる。

「話が違うじゃないですか。『貞子VS伽椰子』作戦はどうするんですか」

レーザー光線をくぐりながら、なんか作戦名が変わってると、すぐに気づいたのは、杏だった。まさか、その有名な悪霊たちは、自分と北園のことを指しているわけではないよね、と確認したくなる。

「二人とも可愛ええ。俺には選べん」

「朝、私の話聞いてました?貴方のお相手はいません。選ばないんです」

「かんにんなー」

から逃げるように黄緑色に光る線を跨いでゴールを目指す忍足に杏は声をかける。

「忍足さん、さん、怒ってません?何かあったんですか?」

「かまへん、かまへん。いつものことや」

体の大きい人間の方が不利なゲームだったので、痩身で身軽な北園がひょいひょいと先に進むのに対して男子たちは苦戦していた。特に大きい鳳は少しでも動けばすぐにブザーが鳴るので、立っているのがやっとだった。

「でも、私にとっては恩人なんです。どうにかしてください」

「まかしとき」

にっと悪だくみをするような笑顔をした忍足が手が杏の腕に伸びると、「そうはさせません」との声が聞こえ、こちらに走ってくるのが見えた。

「一番到着!」

ゴール地点の解除ボタンを押した北園が大声で叫んだ。

その瞬間、周囲を囲んでいたレーザー光線が消え、辺りが真っ暗になった。ドタバタと足音だけが聞こえた後、再び明かりがつく。

その場には杏と北園しかいなかった。

「まさか、爆弾魔に攫われたのか?」

静まり返る会場で、綺麗な黒髪を耳にかけながら、真剣な表情で北園は呟いた。

「まさか」

そんなわけないでしょ、と半笑いになりながら、渾身のツッコミを入れたのは杏だった。



*******




ツインテール女子のキャラクターの指示に従って、お化け屋敷のチケットを買ったが、屋敷に入ることなく、はその近くにあった怨霊カメラという名のプリクラ機の中に入った。パシャパシャと機械音と共にフラッシュがたかれた後、落書きブースへ移動する。

「鳳です」

鳳の顔が映った画面に、「忍足」と書いたの間違いを指摘するように言う。当然知っているが、は眉を寄せたまま返事をせず、他の写真を選んでまた落書きを始めた。邪魔な忍足と一緒にあの場を抜けようと思ったのに、掴んだ腕が鳳のものだったは、自分の失敗を認められずにいた。

他のメンバーから離すべく、遠くまで走ってきたは良いものの、振り返れば、そこには忍足ではなく、鳳がいて、すぐに連絡を取ろうとしたが、昨日充電し忘れたスマホの電池はタイミングを計っていたように切れていた。

鳳のポケットから見えていたスマホを奪って暗証番号を聞いて打ち込む。

「へー、私の生年月日と同じですね・・・」

その、なじみ深い数字と偶然にくすりと笑いが漏れたが、待ち受けの画像が自分で、体操服姿だったので、は軽く悲鳴を上げた。ついでに驚いた拍子に携帯を落としてしまい、ガシャンとガラスが割れる音が響く。

「これは犯罪ですよ」と、過去の自分のことは棚にあげて、いけしゃあしゃあと言う。

「そんな大げさな。新しいのに買い替えるので心配しないでください」と、画面が粉々に割れてしまったスマホを拾いながら鳳は言った。

盗撮と器物破損、どちらのほうが、罪が重いのだろうかと考える間もなく、連絡手段は断たれたのだった。


さん、後でスカイフラワー乗りませんか」

「なんで」

「都内が一望できるんですよ」

「眺望なら観覧車が良いじゃないんですか?」

「剥き出しのゴンドラで、高い所まで上がるから風が当たるんですよ。遠くから見てもすごい気持ちよさそうでしたよ。さんのもやもやも晴れますよ」

「もやもや?」

「北園さんと橘さん、部長の周りにいられるのは不安ですよね」

「忍足さんが話したんですね。分かってるなら、話は早い。橘さんと付き合ってくださいよ。北園さんについては幸村さんと話がついてるんです」

「俺は好きでもない人と付き合いません」

「では、好きな人のために付き合ってくださいよ」

はプリクラ機のペンを置き、「私のこと好きなんですよね」と鳳の胸に手と馳せ、じっとその瞳を見つめる。必死だった。だからと言って、誰を傷つけても、良いという訳ではない、それも分かっていた。どうしようもない恋情に思考を奪われ、抗えない。景吾自身が手に入らないとしても、どんな手を使っても、安息だけは手に入れたい。心の平穏のためにはどうしても彼女たちは邪魔なのだ。

「お願い聞いてくれたら、私なんでもしますよ」

鳳は顔を真っ赤にさせながらぶんぶんと首を大きく横に振った。顔色からは縦に振ったほうが、説得力があったが、「ダメです」と全力で拒絶する。それからの体をつき離し、両手でその肩を持つ。

ビー玉のような透き通った目で「自信持ってください。さんは素敵です」と訴え、相手を安心させるようににこっと微笑んだ。無機質のプリクラ機の中だというのに彼だけが陽だまりにいる雰囲気だった。



鳳に勧められるがままスカイフラワーのアトラクション乗り場に着くと、可愛い名前とは裏腹に空に届きそうなほどの高さに上るんだな、と思い足が竦んだ。が、にこにこと期待するような目で見てきた鳳を前に足を動かざるを得なかった。高い所は苦手だが、幸村に語った恐怖症というのは嘘だった。ゴンドラが地上を離れてゆっくりと浮かび上がる。

「俺ね、部長のこと、尊敬してるんです。でも最近はもてはやされたり、褒められてたり、試合でも凄かったりすると、その、イライラしたりするんです。あり得ないですよね。すごい人を見て嫌な気持ちになるんですよ?普通は尊敬とか、崇拝とか、そんな気持ちしか湧かないじゃないですか」

その方がおかしいだろう。妬み僻みはある、そう思うが否定せず黙ったまま話を聞く。

「でも、悪口を言いたくなるような、そんな気持ちになるんです。今までこんな気持ちになったことなかったんです。もやもやするんです」

薄い色素の鳳の髪が、太陽の光を受けて綺麗に輝く。風がふわふわと柔らかい香りを運ぶ。空の色が映って、瞳があおみがかる。もやもやなどとは、無縁の存在のようにみえる。

「でも、さんが走ってるの見ると嬉しくなって、毎日会えるのを楽しみにして、話してると有頂天になる。今だって緊張してて、でもやっぱり楽しい。なんかもう、そう、あのジェットコースターみたいなんです。それで、いま、頂点にいる感じですね」

音を立ててゆっくり上っていくジェットコースターは頂点で止まる。その後、悲鳴とともにすごい勢いで下に落ちていった。よくもまあ、あれを例えに出したな、とは額を抑えながら、鳳の言葉選びのセンスを疑い、先週彼にやらせた国語の宿題を思い出して一抹の不安がよぎる。

「俺、応援してますよ。2人ともお似合いです」

ゴンドラが頂上を目指す間、鳳は延々と景吾の良さを語った。全部その通りだと思ったし、よく見てるんだなと思った。真南に上る太陽よりも輝き、晴天の空よりも更に澄んだ美しい目で語る。

隣にいるだけで、人を引きずり落とすしか考えてこなかった自分を恥ずかしめ、こういう生き方しか、考え方しかできない自分を惨めにしていく。

でも、と、鳳は諦め切ってるからそう考えられるんだ、自分のように婚約者の立場だったら、その地位にしがみつく為に汚い手だって使うはずだ、とむくむくと反論したい気持ちが沸いてでてくる。そう思って口を開いた時に、鳳がその目でこちらをみた。

さん。俺、さんで良かったですよ」

何がとは言わなかった。

「部長の隣にいるさんはいつも楽しそうにしてて、その時のさんが、1番好きです」

鳳は眉を八の字にして、くしゃりと笑った。
こちらが呼吸を忘れてしまうほど、苦しくなる笑顔だった。

彼はレギュラーを他人に譲れる人間だ。

激しい競争に身を晒し、辛い練習を重ね、努力して掴んだそのレギュラーの座を他人に渡すことができる、人間だ。


彼だったら、笑顔でお別れできるのかもしれない。

例えば、婚約者じゃなくとも、幼馴染の好きな人が恋をして、自分から離れて行ってしまう時も笑って見送ることができるのかもしれない。自分が嫌な思いをしても、相手の幸せを願って、背中を押して送り出す。そんな、不愉快で、理不尽で、不平等極まりない事実を受け入れるのだろう。


ゴンドラが一番高い所に着く。

風が吹く。生暖かく、優しく、それまでとは違う新しい空気を運んでくる。





*******




「いやいや、自分途中でわかったやろ。なんで付いてくるかな」

勝手に人の手首を掴んで、逃避行劇を起こした奴に言われたくなかった。レーザー光線の部屋が暗くなって急に手を引っ張られたその場から連れ出されたが、脱出ゲームの演出なのかもしれないと思い、素直に従っていたら説教が待っていた。最初はスタッフだと思っていたので、明るい所に着いて相手を確認すると幸村は目を三角にした。

「あー、杏ちゃーん、どこー!この際、北園さんでもええ。誰か出てくれ」

居場所を確認したくとも、グループラインが既読にならず、はぐれたことを知る。野郎二人でいる遊園地ほど悲しいものはない。ベンチでコーヒーを飲みながら、必死になってスマホと向き合っている忍足を横目で見る。時折、通りすがりの女子たちに合流しないかと声をかけられるが、連絡をとるのに必死で気づいていないのか、それともわざ気づかないふりをしえいるのか、とにかく反応を返さないので、幸村が断る役割を担った。

「いや、俺は諦めへん。顔の良い女子がいて、なおかつライバルがいないこのデートで収穫ゼロはあかん。勝てる試合で勝てへんなら、どこへ行っても勝てへん」

熱いスポコン精神論を唱えながらも、言っていることはこの上なく軽薄だ。

「いや、・・・あの2人組に声かけられたら、応じるで」

長身でほっそりとしたモデル体型の女子たちが近くを歩いていることに気づくと、メガネの淵を持ち上げ、それまでのおしゃべりを止めたが、素通りされると小さくため息をついて、携帯画面に視線を戻す。

「鳳君も忍足くらい女好きだったら良かったのに。あれは橘さんにもなびいてないね」

さんに夢中やからな」

「でも、さんの方にその気がなさそうで安心したよ。こないだ、鳳君がの下敷きになって怪我したでしょ。それがきっかけで進展あったら嫌だなと思ってたけど、杞憂だったね」

「なんや、自分さんに気ぃあるん?」

携帯を操作しながら忍足が直球で質問を投げてきても、幸村は穏やかな笑みを崩さなかった。忍足が介入してくるとは思えないし、さらにいえば、冗談ばかり言う彼の話を鵜呑みにする者が少ないことも知っていたからだ。

「おしゃべりに花を咲かしている所、申し訳ないのですが、あっちで貞子と加弥子が絡まれてますよ」

ベンチに座っていた2人の後ろから割って入ったのは、だった。手にはポップコーンを持っていて、強烈なバターの匂いが鼻に着く。驚いて身を引いたのは幸村で、忍足はが指した方を見て、再び眼鏡のツルの部分をつかむ。噴水近くで金髪、茶髪、銀髪のいかにも不良を体現しているような男たちに囲まれた北園と杏がいた。

「助けに入ったらモテますよ。行ってきなさい」

無表情のまま、音を立ててポップコーンを食べながら、座っている男子二人に命令する。


「怪我したらどうするねん」

「モテのためなら怪我なんてどうってことないでしょ」

「テニスプレーヤーは試合に出られなくなったら、モテへんよ。それは幸村が身を持って実証してるんや」

「入院中はまあ減ったよね。まめな子は来てくれたけど、でも数はね。コートの上に立ってる時の方が断然多いよ」

「ほらな」

「今にも連れてかれそうですけど」と3人の不良が杏の腕を掴んで、もめているようすを指摘しながらも、は真剣に助けたいと思っていないのか「のど乾いてきました」と自分の欲求を満たすため辺りを見回した。

「モテのためなら、俺は非情になれる男や」

「真剣交際の申し出かもしれないしね」

「せや、結婚前提で考えてるかも知れへん。ポップコーン少しくれや」


開いた手を伸ばしてきた忍足を見ながら、は、カップを横にして口の中に残りのポップコーンを流し込むと、「うえ、しょっぱい」と舌を出し、空になったカップを忍足の手の上に置く。

「賭けをしませんか?私が不良たちを追い払えたら、忍足さんと幸村さんが、女子全員のチケットと飲食代、それからお土産代全て持つのは、いかがでしょうか」

「もし、追い払えなかったら?」

「本日かかった代金、私が全て持ちましょう。女子たちには、貴方がた二人がお金を出した、と説明してあげます」

「その話、乗った!今月、小遣いピンチやったんや。助かるわぁ」

不良たちのほうへ向かうの後姿を見ながら、忍足は指を鳴らして喜び、それとは対照的に不安の色を浮かべた幸村は辺りに目を配り警備員を探した。彼女が喧嘩に強いのは話に聞いてはいたが、左腕を怪我している今、真っ向から不良の相手にして勝てるはずもない。しかも相手は3人もいる。

「なんで、貞子と加弥子?」

「ツッコミ遅いで」

忍足は喜びをかみしめながら、幸村の疑問に答える。

「このトリプルデートな。表向きは『デートをドタキャンされた忍足君を慰める会』やけど、さんの目的は跡部に憑いている怨霊たちを殲滅する鬼退治や」

「ごめん。色々便乗し過ぎててよく分からない」

「跡部な、橘杏をナンパしたことがあるんや。それから、北園寿葉は毎日手作り弁当を跡部に差し出してる。まあ、さんにしたら跡部に憑いてる悪霊みたいなもんや。せやから、悪霊同士呼んで決着つけるぅ言い始めて、『貞子VS加弥子』作戦が開始されたんよ。まあ、杏ちゃんは、ただの被害者やけど」

「え、ちょっと待って。、あいつ仁王の時も同じような馬鹿やってたけどさ、なんでまた?しかも跡部相手に?」

ベンチから立ち上がり、彼女を呼び捨てにするほど狼狽する幸村の様子を見て、忍足は愉快そうに口を横に広げた。

「こないだの練習試合、落ちてくるチアを助けるためにさんが鳳を下敷きにしたの、見てたやろ?あれは、さんが、跡部じゃなく、鳳の方へ転んでいったからや」

「彼のが大きいしクッションになると思ったんじゃないの?」

「ええか、あれな、さんは『怪我しても良いほう』を、選んだんや」

「・・・いつから?氷帝に行って心変わりしたの?仁王は?」

「跡部が婚約者で、仁王に惚れてるて、ほんまに思ってたんか?跡部が隣にいて、よそ見なんて、できへん。ちがうか?」

謎解きの答え合わせが、必ずしも自分を幸福にしてくれるとは限らない。正解したからと言って喜べることばかりではない。解き明かされる不都合な真実だってあるのだ。

顔色を悪くしていく幸村を見ながら、忍足は背筋がぞくぞくと震えるのを感じた。神の子と言われる立海の幸村が、絶望に浸っていく表情をみて、感情が昂る。いつも雲の上で余裕をかましている人間の、慌てふためくさまを観察できるのは愉快だった。

「あー!いたいた!!」

「探しましたよー」呑気な声で鳳が2人に声をかけ、抱えていたペットボトルをベンチにおいて「どうぞ」と差し出した。それからキョロキョロと辺りを見回して、女子たちを見つけると、「無事に合流できて良かった」と嬉しそうに言い、忍足もにやにや笑いながら上機嫌で後輩の肩に腕を回した。

「鳳、今日かかった金、ぜーんぶさんが持ってくれるさかい、ぱーっと使うで。ぱーっと」

「え、どうしてですか?」

「女子たちに絡んでるあの不良たちを追い払えるかどうか、賭けをしたんや。追い払えなかったら、さんが奢ってくれるっちゅうわけ。怪我してるし、喧嘩は無理やろ?だから勝負は決まったようなもんや。」

よほど嬉しいのか忍足は手を開いたり閉じたりしながら「ぱーっと使うで。ぱーっと」と繰り返して言った。


「・・・あの男の人たち、さんの知り合いですよ」



その後10分ほど、ベンチで項垂れる上級生2人を、鳳は首をかしげて困った様子で眺めることとなった。



*******




「また助けてもらっちゃって、その上お金も払って持って頂くことになって、すみません」

「いえ、私が呼んだんですから当然です」

何故か肩を落とした忍足と幸村が帰ると言うと、その空気を読んだわけでもなく、相変わらずのマイペースさで、鳳は「俺もピアノのレッスンあるんで、ここで」と頭を下げてから、上級生たちと一緒に帰路についた。残された3人の女子は、疲れた足を癒しに園内にある喫茶店に入り、フロア奥にある4人席を陣取る。

杏は染みついた体育会系の習慣で、上座である窓際に上級生の2人を座らせ、注文する役を買って出た。そんな気遣いを、他の2人は感謝することも気にすることもなく、頬杖をつきながら、先ほどから、ぼぅとガラス窓の外を見ていた。夜の帳が下りて、太陽が隠ると星が一斉に輝き始める。確かにいつまでも眺めていたくなるような景色だった。

「謎解きもアトラクションも楽しかったです。幸村さんって頭良いんですね。見るからに知的でしたけど、原作も知らないのに、ポンポン答え出しちゃってさすがだなって思いました。でも、素敵なお兄さんって感じで恋に発展はしなさそうです。あの、お二人はどうでした?」

2人が話をしないため、自分が会話を続けねばならず、その責務に重圧を感じ、捲し立てるように話して、ひどく口が渇いた。会話のボールを投げたところで、誰か口を開いてくれと祈りながらストローに口をつける。

「侑士のこと、良いなって思った」

誰それ。

突然つぶやいた北園に顔を向け、男子全員の名前を思い出してから、忍足のことだと分かると顔を引き攣らせる。飲み干したコップから、からんと、氷が落ちる音がした。

三角関係じゃん、泥沼じゃん、と思って、杏は口を震わせる。朝から仕切りに忍足と組みたがっていたの前でする、その空気を読まない発言に驚く。

3年って怖っ。

そんなことを思いながら、気まずそうにの方を見る。その視線を感じた彼女からぽつりと言葉がこぼれた。

「わたしは景吾さんに向き合うと決めました」

誰それ。

もう一度杏は思った。








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