脱線

28



「わざわざ告白するんだ?」

「演劇祭が終わったらな。そこら辺の政略結婚する奴らとは違って、俺たちはもっと上を目指せる筈なんだ」

「ものすごく上辺だけの関係とか?」

を好きになったと言う報告を受けた豪は驚き、学食にいる生徒たちに視線を流しながら、景吾は月見そばをすする。

12時を過ぎた食堂には多くの生徒たちが押しかけており、混雑していた。今年の演劇祭の優勝候補のクラス、つまり景吾のクラスが、竹取物語をやると発表されると、しばらくして学食では時期外れながらも月見フェアが開始された。月に帰るかぐや姫とのコラボ企画らしい。

「最近、俺たちは仲が良いんだ。昨日は、台本の読み合わせでは俺の家に泊まったし、今朝は一緒に登校した」

「いつもと変わらなくない?テスト前なんて2週間は軽く軟禁してるよね」

やろうと思えば、押し倒すことだってできる。そう優越感に浸ったのは、つい昨日のことだった。寝巻き姿の彼女を見た瞬間、亜久津のような男に手を出される前に無理矢理でも自分のものにしたほうが良いんじゃないかと、という疑問が頭をもたげた。

はじめての感情に驚き、それでは犯罪者ではないか、とさすがに気がついた。

せっかく婚約者なのに、なんでそんなことを発想してしまったのか分からず混乱し、間違いが起きる前に気持ちを伝えなければと思った。


ちゃん、演劇祭では裏方長だよね。明日の準備でただでさえ忙しいのに、セリフの読み合わせに、つき合わせたんだ?」

「嫌がっているようには見えなかった」

「喜んでるようにも見えなかったでしょ?」

有力者である保護者たちが後援する氷帝の演劇祭は、著名人も多く来場し注目される、文字通りの大舞台である。演目で景吾は当然の様に帝役に抜擢され、面白がったクラスメイトから老婆役を押し付けられそうになったは一番キツイ裏方のまとめ役に立候補することで難を逃れた。

忙しい中でも、話しかければ嬉しそうに言葉を返してきたので、脈があると感じたが、連日受ける女子からの告白を断り続け、劇では前座でフラれる5人の貴公子たちを前に、自身も帝役として女に逃げられる役をしていると、次は自分の番なのではないだろうかという不安がよぎらないでもなかった。

「お前はロミオ役だろ。良いよな」

帝とかぐやとは違い、少なくともロミオとジュリエットは両想いだ。

「そう?ジュリエットが元カノで、気まずいったらないよ。『ああ、ジュリエット。なんで君がジュリエットなの?』状態だよ。景吾君も考え直した方が良いよ。婚約者と付き合ったら別れた後が大変なんだからね」

「別れた後って・・・そもそも、がまともに取り合うか。『はあ、そうですか』とか適当に生返事して流されそうだ」

「『はあ、そうですか』って、それ本当に言いそう。だいぶ間の抜けた声で」

「だろ?」

「事前にジャブふっとけば?」

「ジャブ?」

「ほら、急に告白しても、また企業活動の一環か、跡部財閥のお家騒動対策かなんかだって思われるだろうし、そうじゃなくて心から君に好意を持ってるんだよ、ってちょいちょいアピールするの」

景吾が冴えない顔をしたので、豪はハードルを下げてみる。

「景吾君なら、『かわいいね』って褒めるだけでも大抵の女子は気持ち傾くよ」

「そうか」

そのくらいなら言えそうだと思ったのか表情が明るくなる。

「楽勝だって。朝飯前だよ」

蕎麦湯を飲みながら、豪はウィンクを送る。


「何が、かわいいんですか?」

話を遮ったのはだった。彼女は月見バーガーが乗った皿を乱暴に置き、対面の席についた。添えられたポテトフライがいくつかテーブルに散らばる。

「噂をすれば影だねぇ」と、豪はにやにや笑い、隣に座る景吾の肘をつつくと、景吾は咳払いした後、彼のアドバイスに従った。

「お前のことだよ。かわいいなって・・・」

言ってから、鳳の二番煎じだったことに気づき、以前顔を真っ赤にしていた彼女を思い出した。が、景吾の前にいる彼女は顔色一つ変えずに「それはどうも」とつまらなそうに呟いた。それから、ノートパソコンを開き、ポテトをつまみながらキーボードをたたき始めた。態度は言わずもがな機嫌も悪そうだった。

「何が、朝飯前だって?」

豪の肘をつつき返すと、彼は「昼飯前だった」と笑いをかみしめた。

「そういえば、昨日ちゃんのお父さんから電話あったよ」

「お前に?」

豪からの話題に敏感に反応したのは景吾で、自分から話しかけたにもかかわらず、は関心を示すことなく、片耳にイヤホンを付けて何やら音響のチェックをしだした。

気にはなったが、景吾にとっては彼女の父親が裏で動いてることのほうが重要だった。


「相変わらず、意味不明だったけど、ピンクレディーではどっち派かとか聞かれたよ」

「ピンクレディ?」

「ね、謎でしょ?何の話ですかって聞いたら、ため息つかれて、あの芸能人はどう思うとか、AKBの中ではどの子が好きかとか根掘り葉掘り聞いてきて、最後に『面食い野郎』ってキレられた」

「・・・面食い野郎」

「そう、面食い野郎。僕は内面を重視するタイプなのにさ。元カノたち見たって、普通の子しかいないじゃん?むしろ中の中から下くらい?芸能人で言ったら」

元カノの顔面偏差値について語り続けていた豪だったが、しばらくしてから、向こう隣に本人がいることに気づくと顔を真っ青にした。

「・・・というのは照れ隠しで、本当は面食いなんだ。いや、元カノが可愛すぎて、次の彼女見つけるの大変だよ!」

「ああ、そうだな。お前は面食いだ。俺が保証する」

訂正するように大声でしゃべり出した豪に、景吾は暗示をかけるように相槌を打ち、それから「の父親に改めて報告しておくから安心しろ。もう電話はかかってこない」と付け加えた。豪は頷いてから、逃げるようにしてその場を離れた。

小さく息をついてから、パソコン相手に格闘しているを観察する。いつものようなハリがなく、彼女に似つかわしくない暗さと疲れが滲み出ている。

「トラブったのか?助けてやるから、話してみろよ。俺は有能だぜ」

歯が浮くようなセリフを吐くよりも、彼女の悩みを解決できる頼りがいのある男と認識させた方が、効果があるのではないか、と思う一方で、好きな相手を褒めることすら容易にできない自分に失望する。

の手が止まり、目が合う。ぎゅうっと心臓が絞られ鼓動が早まるのがわかった。短い横髪をなでて赤くなってるだろう耳を隠し、ささやかな抵抗を示す。

「では、明日演劇祭が終わったら時間を下さい」

「ああ。俺もお前に用があるから、ちょうど良い」

「なんの用ですか?今、言ってください」

「アーン?」

「私は、明日重要な話をするんです」

「俺のも、重要な話だ」

「どれくらいですか?」

「どれくらい?」

「今、日本では円安に歯止めがかからなくなり、前代未聞のインフレが起きています。そして、明日、プレスリリースされますが鶏卵業界の腐敗が暴かれます」

がハンバーガーに挟んであった目玉焼きを抜き取ってひらひらと見せびらかしたので、釣られて、景吾はかけ蕎麦の上に浮かんでいる生卵を見る。

「世界をみれば、温暖化により海面上昇が続き、何年かで沈むと予告されてる国があります。先日はスエズ運河で船が座礁し、物資が運ばれず苦しんでる国があります。貴方がしようとしている話は、それよりも大事な話なんですか?」

そんなレベルの話、改まってしねーよと心の中で毒づきながらも、首を横に振る。

「なら、お前のは、どれだけのもんなんだよ」

「第三次世界大戦が始まるより、大変な話です」

ポテトフライで景吾を指す。先端についていたケチャップが跳ねて、景吾のワイシャツに飛んだが、謝ることもせず、は食堂の会計場所に並んでる生徒に目を止めると、一転して怯えた表情をした。笑顔でこちらに手を振っているミス氷帝がいた。

「むしろ世界が終わってしまえば良いのに」

と言っては頭をかきむしった。
ワイシャツについた汚れを紙ナプキンで落としながら確信する。



絶対くだらない話だ





*************************





―今は昔、竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり―


「始まっちまったな」

イヤホンから聞こえてくるナレーションを聞いて、宍戸が悔しそうにつぶやいた。

演劇祭が始まったと言うのに、宍戸とは第二校舎の倉庫で照明機器の交換用バッテリーを探していた。

裏方長となったは、ここ最近全ての空き時間を演劇祭に費やしてきた。万全の準備を進めてきたにも関わらず、今朝から問題がいくつも発生していた。衣装や小道具が紛失した、暗幕が破られていた、マイクが壊れていた、そして幕が上がる直前に照明バッテリーの不備が見つかったのだ。

悪意のある何者かの仕業に違いなかった。バッテリー以外に関しては、全て予備を用意していたから舞台の幕あけに影響はなかったが、生徒たちの間には言い知れぬ不安が残った。

歩けば室内にも関わらず砂音がし、段ボールは開ける度、埃が舞う。口元にハンカチを巻きつけ必死の捜索を行うが、先ほどからお互いくしゃみが止まらない。蜘蛛の巣を箒で取り払い、雑箱のラベルにかかった汚れを雑巾で落としながら、片っ端から箱を開けていく。

「なあ、ミス氷帝が跡部に告白するって話が噂になってんぞ。大丈夫なのか?」

作業に疲れた宍戸が話題をふるが、は手を止めずに箱の中身を漁り続ける。

「宍戸さん、真剣に探してください。なければ、今日を楽しみにしていた保護者、今日まで頑張ってきたみんなの努力が報われません」


既に知ってる噂話ほどつまらないものはない。の耳には、イヤホンからの劇中のナレーションが届いていた。こちらも劇の練習が始まってから何度も聞いた内容だったが、今回は一緒に歓声が聞こえてくる。かぐや姫の登場シーンだろう。






「舞台が終わったら告白しようと思うの」

ミス氷帝にそう宣言されたのは、リハーサルの最中だった。彼女の視線の先には、宍戸に着付けされている景吾がいた。

「ああ、宍戸さんのことですか?硬派で優しいですよね。私も大好きです」

はぐらかそうとすると、「本気?」と眉を吊り上げてきたので、そっちこそ、本気で私とやり合おうと思ってるのか!と、歯ぐきを見せて野良犬のように威嚇したくなった。

人間離れした美貌で男たちを魅了するかぐや姫。ミス氷帝の彼女がその役を快諾し、続いて帝役を景吾が引き受け、が裏方長に決まると、クラス全員がイベントの成功を確信した。

彼女とは同じ陸上部で互いに注目されることも多く、比較的懇意にしてきた仲だった。そして、彼女はが景吾に好意を抱いていることも当然知っていた。


「意外ですね」

友人が好きな人を横取りしようとするなんて、と嫌味を込めて言う。恋愛感情と言うものは思い通りにいかないものだと言うことを嫌なくらい知っていたので、彼女が景吾を好きになったとしても責められなかった。責められないけど、嫌みの一つや二つ言っても構わないだろうと思った。


「私って、美人でしょ?男子なんて向こうから勝手に寄ってくるものだって思ってたの。でも違った。が転校してきて現実を思い知ったわ。私は傲慢だった」

発言自体が傲慢だったが、そんな発言が許される美貌を彼女は備えていた。

主演の2人は、劇の練習が始まってからというもの、密に連絡を取り合っていたし、朝早くから遅くまで芝居と振付練習をしていた。思春期の、しかも容姿の良い異性同士が長く時間を共にすればどうなるか、予想がつかないわけではなかったが邪魔立てしてこなかった。他者は関係なく純粋に景吾と向きあいたいと思ったからだ。だが、結果はこのザマだ。

が来るまで、特定の女子と会話することなんてなかったの・・・」

自分が転校する前の景吾がどのように学校で振る舞っていたか知らないけれど、婚約者がいる手前、特定の女子とつるむ行為はきっと避けていたのだろう。

辺りでは生徒たちが、大道具を運んだり、スクリーンや音響チェックをしたりと各々黙々と作業をおこなっているように見えたが、実際にはこちらに好奇の目を向け、耳をそばだてているのが分かった。

気持ちをおちつかせるため咳払いし、そのつもりもないのに対抗心から「では、私も告白します」と言ってみる。

近くでパイプ椅子を広げていた双子が「じゃあ、私も!」「私も!」と、からかって交互に手を上げたので一にらみすると、2人はわざとらしく手を下げて「どうぞ、どうぞ」と可笑しそうに笑った。他人の不幸は蜜の味というが、彼女たちの大好物であるのは間違いない。

「私が、先にしますからね。貴方はその後にどうぞ」

「ダメ。の告白なんて待ってたら、おばあちゃんになっちゃう。劇が終わったらすぐするわ」

圧倒的に不利な相手を前に目頭が熱くなる。それまで丁寧に扱っていた着物を掴んで乱暴に押し付けると、ミス氷帝は嬉しそうに笑った。氷帝には性格の悪い女しかいないようだ。

「私は美人だし、きっと上手くいくと思うの」

それは自慢というよりも、自身に言い聞かせているように聞こえた。細い眉毛を寄せ、悩まし気に宙を見やる横顔は、ため息が出るほど絵になっていた。








「演目に竹取物語を推薦したのは、かぐやが誰のものにもならないからなんです。誰も不幸にならないでしょ」

「台本読んだか?男たちは、散々な目にあってたよな。死んだ奴もいたぞ」

が中身を荒らした段ボールをガムテープで閉じながら、宍戸が指摘する。

「景吾さんも誰の告白も受けないでくれたら良いんですけどね」

無駄口叩くなと宍戸に注意しながらもつい昨日のことを回想してしまい、本音を吐露してしまう。気が弱くなっているのだ。底の深い箱に懐中電灯をかざしながら、気持ちは更に沈んでいく。


「おっ、あったぞ!!同じ型番のやつ!」

急に出された大声にイヤホンを外して振り向くと、汗だくの宍戸が重そうなバッテリーをビニール袋から出していた。踏み台に置いていたリストを取って型番をなぞり、互いの目を合わせて頷く。

「照明係の所へ持ってく」

「関係者に周知します」

どこかに置いた携帯を探しながらそう言うと、「俺の使え」と投げられた。ロックもかかっていない不用心なスマホで待ち受けは鳳とのツーショットだった。

「お前なら、 かぐや 跡部 の要望に応えられるだろ。朝からありえないトラブルが続いたけど、全部解決した。お前がいなきゃ、今日、幕は上がらなかった。違うか?」

「応援するつもりなら、今すぐに、ミス氷帝を誘惑してくださいよ」

「そういう汚い手を使うのを止めたらな」

頭に手を置かれると、カビの匂いが鼻をかすめ、は即座に宍戸のそれこそ汚い手を払った。

「お前の努力は認めてやる。応援でも協力でもなんでもしてやる」

小さく「長太郎の為にもな」と付け加えると、顔を歪ませたを見て宍戸も同じような表情をした。それから2人は言葉を交わすことなく演劇祭が行われているホールに足を向け走った。




と、宍戸と友情をちょびっとだけ深め、ほんの少し感動的な出来ことがあったのが、数分前のことで、は今、男女6人に囲まれてブレーカーを握らされていた。

さん、やってくれ。アンタなら、みんな納得する」

バッテリーも無事交換出来て、プロジェクター係に最終的な指示を終えたが観客席へ移ろうと廊下を歩いていると、電気室前に人だまりができていて足を止めた。に気づいた女子が背中を押してきて、配電盤前で立っていた男子に手を取られ、レバーを握らされる。

訳がわからず、その場にいる人たちの顔をまじまじ見返すと、全員が葬式に参列しているような暗い表情をしていた。それから、男子はミス氷帝に、女子は景吾に気があるメンバーだと気づいた。

「複数犯とは思っていましたが、あなたたちですか」

「わたしたち、ミス氷帝の子が跡部君に告白するって話を聞いたの。それで、演劇祭が失敗すれば良いって思って」

涙ながら訴える女子は、バトミントン部で可愛いと評判の子だった。その横で苦虫を潰したような顔をしているのは、熱血男子で名を馳せている演劇祭実行委員長だ。

他も良い噂を聞いた事がある有名人揃いだ。そんな彼らが、保護者も教師もそろってる一大イベントを台無しにしようとしていた事実に衝撃を受ける。

「俺らも辛いけど、婚約者のお前の方が辛い立場だよな。ブレーカーを落とす役はお前が、一番相応しい」

こんなにも相応しいと言われたくない役周りもあるんだな。と他人事のように思う。

「お言葉ですが、この劇が終わったら先手を打って告白するつもりです。私が彼とくっつく可能性だって残されています。それは良いんですか?」

が首を傾げると、彼らは顔を見合わせ、それから、同情するような、気まずそうな目を向けてきた。

「跡部君とが一緒になったなら、それはそれで納得できるの」

「お前だって、イケメン俳優がアイドルと付き合ったら、文句言いたくなるだろ?結局、顔かよってなるし、俺らもアナウンサーが金持ちやスポーツ選手と結婚するのは気に食わないって、思うんだよ」

周囲が頷いてから、バトミントン部の女子が続ける。

「それに、大人の事情がからんでる方がまだ納得できるんよね。ああ、跡部君、嫌々だけど家のためにくっついたのね。責任感強いもんね。真面目だもんね。そんなところも好きだったなって、・・・って、そう思えるでしょ?」

失礼な人たちだな・・・って、そう思える。

「まあ、お前は逃げ場がなくてつらいよな」

「おかまいなく。フラれた場合は、『実は我々は生き別れの双子の兄妹で、彼はその事実を知っててフッたのかもしれない』と思い込もうと思ってます」

「全く似てないのに?」

「親公認の仲なのに?」

ポケットからマジックペンを取り出し、目の下に点を書いて泣き黒子をつくる。

「人類皆兄弟なんです。そうやって人は折り合いをつけ、納得し生きてくのです」

その後も色々ツッコミを受けながらも、は彼らの説得を考えていた。気持ちが分からないわけでもなく、一時前の自分を見ているようで親近感も沸く。一方で、鳳の価値観に感化された後のにとって、彼らの行動は間違いのように思えた。

「ちょっと貴方たち!!ここで何やってるの!?」

つんざくような甲高い声に驚いて振り返ると、サーバ室の扉の前で腰に手をあて仁王立ちしている教頭がいた。走ってきたのか、いつもはピシッと決まっているタイトスカートにしわが寄っており、髪が乱れていた。

「今朝から立て続けに起きた事件の犯人は、貴方たちね」

教頭は赤い眼鏡の縁を触り、並んでる生徒たち全員に対して鋭い視線を向けてきた。

「誰が首謀者なの?」

確かに、彼らの行動は、多くの人の努力を無下にする可能性があった。どこまでも利己的で、おおよそ他者を愛する行為とはかけ離れている。

けれども、鳳が自分に教えてくれたように、彼らだって誠心誠意込めて説いていけば分かる。人を陥れないこと、相手と自分に真摯に向きあう事、当たり前のようで難しいことが、いかに重要なのか。

「誤解です。私たちがそんなことするわけがないじゃないですか」

鼻息を荒くし、鬼の首を取ったかのように問い詰めてくる教頭を、落ち着かせるように両手を上げ、歩を進める。

「メンバーを見てください。皆、各分野で秀でた秀才揃い。人の足を引っ張る必要もない。演劇祭実行委員長もいて、私は舞台をまとめる裏方長。このイベントを成功させたい側の人間なんです」

相手の怒りを鎮めるように、ゆっくり、丁寧に言葉をつむぐ。

「何が楽しくてトラブルを起こすんです?ありえない。そうですよね?みなさん」




同意を求めて後ろを振り返ると、全員に指を刺されている状態だった。



・・・あ、そういう感じ?




*************************







結局ブレーカーが落ちることはなく、犯人たちが事務室で事情聴取されていたことにより、舞台は無事に幕を閉じた。濡れ衣を着せられたが教頭に捕まり、一連の事件が生徒たちに面白おかしく伝わると、笑い話になった。

保護者が会場を後にし、代わりに生徒たちが観客席に着くと、映画好きの教頭が提案し数年前から始まった授賞式が始まった。アカデミー賞を彷彿させるレッドカーペットがホール中央を横断し、花台にトロフィーが置かれ、先日全国優勝を果たした吹奏楽部がトランペットを吹くと会場は活気づく。

安堵と達成感に包まれ、無駄なおしゃべりと雑音が会場を支配する中、司会を務める忍足は、式を進行させることに気楽さを覚えていた。さっさと役目を終えて、実行委員の女子たちと打ち上げに行きたいと思いながら、事前投票で決まった受賞者の名前を読んでいく。

「監督兼助演男優賞、 跡部 景吾」

景吾の名前を出すだけで、わあと歓声が上がり、会場は一気に盛り上がった。

主演男優賞の男を差し置いて、王者のごとく堂々とレッドカーペットを歩く間、「氷帝!氷帝!氷帝!」と生徒たちが足音を鳴らし、氷帝コールが続く。注目されているのに、あまり自分の行動を気にしないのか、司会台の横を通るときに忍足が握っている紙を堂々と覗き見て満足気な表情をした。

「だよな。当然だ」

その視線は技術部門に記載された「 」の名前を捉えていた。

「俺らが、受賞に相応しい」

誰が想像できただろう。彼の隣にいるのはいつも忍足だった。彼の大きすぎる存在によって、誰もが引き立て役になるか、いない人物のようになってしまうかのどちらかで、肩を並べて立とうと思う人間はいなかった。それが今はどうだ。


「技術部門特別賞、  

声に悔しさが滲んでないと良い、そう思いながら、彼女の名前を呼ぶ。

少し間があいてから、主要部門の生徒が呼ばれた時よりも、大きな喝采が沸き起こった。観客席から生徒たちが順々に立ち上がり、見事な波が作られる。周りの生徒に背中、頭や肩を小突かれながら中央のレッドカーペットまで着くと、再び氷帝コールが始まった。無表情の彼女が右手を軽く上げると、景吾の時と同様、それ以上の歓声が上がる。

彼女が来て数か月だ。誰も予想だにしてなかっただろう。カリスマ性というものをまざまざと見せつけられた瞬間だった。


全ての受賞者の名前を呼び終えてから校長へマイクを渡し、トロフィーの授与を任せる。後幕まで下がると、座っている受賞者たちを改めてみた。技術部門の数人はレッドカーペットを歩いている途中だったが、主要部門の生徒たちは既に緊張感をなくし、雑談に花を咲かせていた。



「何それ、もっとマシな断り方はないわけ?」

突然、穏やかな空気を壊す声が上がった。聞いたことのないミス氷帝の荒ぶった声に驚き、放った言葉の相手が景吾だと知って、ぎょっとする。

「好きな奴がいるんだ」

そう言葉を返されると、彼女は泣いて走り去って行ってしまい、他の受賞者が唖然とする。そこで、トロフィーを受け取ったさんが自分のすぐ隣にいることに気づいた。彼女の体は小刻みに震え、目が座っていた。

これ、自分のことやで、と声をかけても、持っているトロフィーで殴られそうだ。退屈な話を得意げにし出した校長から、慌ててマイクを奪い、得意の話術で観客の興味を引く。


これは大きな修羅場になるぞ。

直感が働いた。












ミス氷帝が自分の横を走り抜けたとき、その瞳から落ちていった水滴が肩にかかった。

「すげーな」

脚本賞受賞者が、そう一言、脚本家らしくない感想を述べた。映画のゴジラとモスラの対決シーンを見た時も同じことを言いそうだ。それくらい彼にとっては他人事で別世界の出来事なのだろう。

忍足が今日の演目の素晴らしさについて軽快に解説する中、の頭の中は真っ白になっていた。

劇が終わったら告白すると言っていたので、当然授賞式の後のことだと思っていた。なんで、式の最中に告白してるんだ?と、驚く間もなく、もっと大きな問題が出てきた。景吾に好きな人ができたことだ。



「はは、かぐや姫が逃げちゃいましたよ。追いかけなくて良いんですか?」

笑うのはミス氷帝に対して失礼だと思いながらも、他にどんな表情をすれば良いのか思いつかなかった。景吾の隣の席について、腕と足を組む。声が震えてないだろうか、と気を配りながら息を吐く。

「かぐやと帝はくっつかない、そういうシナリオだろ」

じゃあ、帝は誰とくっつくんだ。

まずい、ますい、まずい。そればかりが頭を木霊する。

彼は要領が良いし、短気だから、すぐ結果を求めに行く。まだアクションを起こしていないことが不思議なくらいだった。もしかしたら、教師や既婚者、はたまた同性のような、付き合うことに障害がある相手なのかもしれないと、考えを巡らす。

「・・・なんだ。その泣き黒子は?」

「ペンで書いたんです」

「作り方を聞いたわけじゃない。俺を馬鹿にしてんのか?」

「まさか、兄弟のように思ってます。で、弟よ。好きな人って誰です?」

「兄弟?俺はお前をそういう風に、思ったことは一度もない」


ばっさり退路が断たれる。

「・・・そうですか、お兄ちゃん。で、好きな子は誰なんです?」

「馬鹿にしてるだろ」

いつかこういう日が来ることは覚悟していたけれど、想像以上に苦しく辛い。今にも心臓が押しつぶされそうだ。

邪魔しないと。

まず最初にそう思ってしまい、羞恥心で顔から火が出そうになった。鳳の陽だまりのような笑顔がちらつく。人間の質が違い過ぎる。好きな人の恋の応援も傍観も無理だ。なんで向き合えると思ったんだろう。私はどうしようもないくらい利己的で、友人がフラれたことを喜んで、告白なんて到底できず、人を貶めることしか能がない。

「聞いてどうするんだ?」

校長から順々にトロフィーを受け取る生徒を後ろから眺めながら、会話を続ける。

「勿論、お手伝いしますよ」

「手伝う?」

鼻で笑われたのが分かった。想像以上に、惨めな気持ちになる。

「私は有能なんですよ」

「第三次世界大戦がはじまる話より重要な情報を抱えてるらしいしな」

配電盤の前で立っていた同級生たちの顔を思い出す。彼らは利己的だった。多くの人に迷惑をかけることをした。恋をして、報われない想いに気づいて、苦しみもがいていたんだ。

「2年もかけて仁王を落とせなかったお前が、どう俺を手伝うんだ?」

「失敗から学べることは多いんです。それに、権威主義的な氷帝の生徒の方が動かしやすい。それこそ私の本領が発揮できるんですよ」

得意の薄っぺらいおしゃべりを続けると、景吾がこちらに視線を寄越したのが分かった。視線を観客席の方から離さないよう気を付ける。目が合ったら、泣いてしまいそうだった。

「まあ、興味あるよな。お前の人生も変わるもんな。俺はお前と違って、愛人をつくるなんて発想はないし、たぶん一途だ」

景吾が、自分以外を選んだとしても支えるつもりだった。家の人脈は広く強いから、きっと彼の役に立てる、そう思っていた。でも、同じ学校にいる時くらいは、せめて誰のものにもならないで欲しかった。鼻がツンと熱を持っていく。

「仁王とは連絡とってんのか?」

そう言って、景吾がこちらの前髪をすくってきたので、反射的に身をのけぞる。

「こないだ練習試合しに来てたろ。あの後すぐ、彼女と別れたらしい」

「へえ」

驚くことはない。彼の交際が長続きしないところが気に入っていたんだ。距離をおいて、過去を振り返ってみると、彼には悪いことをしたなと反省はしている。交際期間が短かくなる傾向に拍車をかけたのは間違いなく自分だった。

「へえって、なんだ」

「なんだって、なんですか」

「好きだったんだろ」

「ああ、そうでしたね」

「イイカゲンな奴だな」

「イイカゲンで、何か問題あるんですか?」

「問題だらけだろ。お前は俺の目の前で仁王に告白しただけじゃない。亜久津には体も許した」

「最後まではしてませんよ」

目の前には校長もいて、最前列には写真部や新聞部もいる。観客席には友人も後輩も一堂に集まっていると言うのに、恥も外聞もなく、言い合いを始めたら止まらない。

今更なんでそんな話を持ち出すのか。自分に好きな人ができた途端、婚約者の私が邪魔になって、他の男に押し付けようと言うのだろうか?いや、話の流れからすると、他の男に目移りしたことを理由に、関係を解消したいと言おうとしているのかもしれない。確かに、こっちに非があるけれど、だったら、氷帝に来る前にそうすべきだった筈。それこそ、もっとマシな断り方を考えて欲しい。

「アイツらの何が良かったんだ?」

「都合ですよ。ある程度女子にモテて、交際経験が豊富で、切り替え上手なところ。それから、あと腐れなくて、束縛することもなく」

質問の答えを羅列しながら、脳内では景吾に近しい人間のリストを上げていく。どれだ、どこの誰だ?と、思考を巡らしていると、胸を強く押されて、パイプ椅子ごとひっくり返った。

バッターンとそれなりに大きな音が出たが、忍足の面白話で盛り上がっていた会場では目立たなかった。


「恋愛初心者で、重い束縛男で、悪かったな!」

上から怒鳴られ、仕返しにパイプ椅子を投げつけると、舞台下まで飛んで行くと、さすがに最前列から悲鳴が上がった。体をひねらせて避けた景吾の足を狙って蹴飛ばす前に、逆に痛みの残る左肩を強くつかまれ、幕裏まで転ばされる。

騒動に気づいた受賞者たちが、景吾を取り押さえたが、睨まれると一人二人と怯んで最終的には全員が後ろに下がった。授賞式の顔であるミス氷帝が逃げ出し、メインの2人が喧嘩を始め、数人の受賞者がそれを取り囲む状況に、大きな笑い声が響く観客席とは違い、舞台上では緊張が走る。

唯一、忍足だけが、舞台にいながらも、ひょうきんな態度を変えず司会の進行を進め、一心に注目を浴び続けていた。

「俺はもともと出来が良かったけど、お前が婚約者になってから、全方面抜け目なく、理想の男としても振る舞ってきた。お前が、テニスプレーヤーが格好いいって言ったからテニスだって始めた。髪型、私服、匂いだってずっと気を使ってきた」

「坊主になった時ありましたよね」

「話の腰をおるな!考えてみれば、俺はお前のご機嫌取りを、ずっとやってきたんだ」

苦し紛れに茶々を入れるても、何の意味もない。冷たい地面に伏したまま、両手で顔を覆い背中を丸くする。景吾がすぐ傍でひざまずいたのが分かった。互いの乱れた呼吸が聞こえる。

「これ以上、どうしろって言うんだよ」

景吾が小さい声でつぶやいたので、とうとう涙がこぼれた。濡れた頬が熱い。

「・・・誰も好きにならないで下さい」

「アーン?」

「好きなんです」

ああ、言ってしまった。

こんな勢いに任せて勝算もないまま、なんでこんなことになるんだろう。でも、何もなかったことにされるくらいなら、打ち明けて後味悪くしてやる、そんな思いだった。相手の幸せの為にそっと気持ちを閉まっとこうなんて、これっぽっちも思えなかった。

「他の人で満たせば、この気持ちが収まると思ってたんです。貴方が女子たちにちやほやされてる氷帝なんか来たくなかった。無理やり転校させて、私をこんな目に合わせて酷いじゃないですか。私は、勝手に一方的にこうなったわけじゃない、そうさせたのはそっちなのに。わがまま、自己中、ナルシスト、女顔、性悪。大嫌い。大っ嫌い!!」

みっともなく地に伏し、目もつむったまま、両手で耳を塞いで言いたいことだけを放つ。告白1割、恨み言と悪口9割の内容に、自分でも呆れながら、口も涙も止まらない。プライドもズタズタにされて、こんなこと納得なんていかない。本音を言ったところで、すっきりもしない。

相変わらずしゃべり続けている忍足に聞こえたが分からないが、舞台上にいる受賞者や教員には丸聞こえだ。観客席からは蹲っているは見えないだろうが、トロフィーを受け取った受賞者たちが席に着くことなく、蹲っている彼女を囲んで狼狽している姿を捉えていることだろう。

カメラのシャッター音が最前列から聞こえた。きっと明日の学校新聞の一面だ。とんだ黒歴史だ。


「悪かった」

謝罪してきた景吾に悲しみよりも憎しみが勝ってくると、顔を覆った手で涙を拭う。

立ち上がらないと、まだ幕は閉じてない。氷帝の生徒たちは簡単に裏切るけど、根は優しいから、良い余興だったと笑ってくれるだろう。

ハンカチを取ろうと頑なに丸まっていた体勢を崩した瞬間、腕を引っ張り上げられ

驚く間もなく、唇を押し付けられた。




キ―――――――――ン


忍足が落としたマイクの音がホール全体に響き渡り、静寂が訪れた。











平静を保てていないということを自覚していた。公衆の面前でキスをするなんて、それこそ芝居か結婚式の時くらいだと思っていたのに、全生徒と教師の前で勢いに任せてやってしまった。




いつもふてぶてしい態度を取ってきたが、本音を吐き出し、望む答えをくれた。

周囲を気にできない程、気持ちが高ぶった。

こうなることを全て分かっていたんじゃないだろうかと不審に思うほどのタイミングだった。こちらの気持ちが育ち、好きだと自覚して告白までしようと決意した直後だ。

掌で踊らされている恐怖感を抱きながらも、突き進む衝動を抑えられない。


「お前が、好きだ」

ゆっくり口にする。

耳を真っ赤にし、感情を露わにするに、心が揺すぶられる。なんて愛おしい存在なんだ、湧き出る高揚感に体も心も支配されていく。

体を強く抱きよせ、再び口づけした。





ホールにいた全員が目撃者だった。少ししてから、再び氷帝コールが始まった。会場全体が揺れ重低音の地響きがなりはためいた。

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