「また、お前さんか」
「そのようですね。短い間かと思いますが、よろしくお願いします」
うっすらと微笑み、軽く会釈をした少女からは、微かに男物の香水とタバコの匂いがした。
現在、100%の確立でという少女は仁王雅治の隣の席に着いていた。3年になり彼女と同じクラスになってからというもの、仁王の隣は彼女の指定席と化していたのだ。このような事態にに対して、仁王のファンたちが行動を起こすのも時間の問題だと、仁王は考えており、かつそれを期待していた。
生きていれば生理的に受け付けない人間というものが必ず現れる。仁王にとってそれはだった。
仁王が彼女の存在を意識し始めたのは、中学校の始業式のときだった。最優秀合格者として朝礼台に立った彼女は、ごく普通の女子生徒で回りの注目を浴びるような素質は一つも見当たらなかった。ただ、彼女が朝礼台に立ちマイク越しに話し出すと、校長や上級生たちが話していた時と違い、沈黙が降りたのだ。
別に彼女の言葉や内容が素晴らしいものだったわけではない。声が綺麗だったというわけでもない。ただ、紙を読むのではなく、自身の言葉で自分たちに語りかけている彼女がとても新鮮で物珍しく見えたのだ。
同じ代表だった幸村は彼女の後ろで眉間に皺を寄せて原稿を読んでいて、真田は彼女のスカートのたけをしきりに気にしていたようだが、その他の生徒は皆彼女の演説に聞き入っていた。
背筋を伸ばし、堂々と真っ直ぐに物を語る彼女に誰しもが好感を持ったのだ。所謂、カリスマ性というものが彼女にはあった。演説中、彼女と目があったような感覚を抱いた仁王は、自然と胸に手を当ててしまい、そんな自分の行動に愕然とした。本能的に「食われる」と思ったのだ。
柳生の言葉を借りれば、それは同属嫌悪であった。自分と同じように言葉巧みに人を操る彼女の存在に仁王は次第に嫌悪感を抱くようになっていったのだった。
彼女が表舞台に立つことはなく、人への影響力も発揮される機会は全く無かったのだが、仁王はそれすらも何か裏があるのではないかと怪しみ、一方的に警戒を強めていった。そうして、2年が経ち、最終学年に上ると、彼女は再び仁王の前に現れたのだった。
「おんしは・・・」
「今日から隣の席に着くです。短い間かと思いますが、よろしくお願いします」
まるで運命のようだった。席替えを頻繁に行うクラスだというのに、彼女は必ず仁王の隣に座ったのだ。厳密に言えば彼女が入院していた2ヶ月間は彼の隣は空席だったが。
くじを引くと必ずそれは彼女に繋がっていた。くじを引く必要が無いと思うくらい必然的に仁王は彼女とペアになったのだ。そして、今回社会の授業で彼女とグループを組まされたのもまた必然のように思えた。課題は、歴史的建築物、博物館、工場、国会などを見学してレポートを製作するグループワークで、彼女と共に作業をしなければいけないことを考えて彼は憂鬱な気分になった。
彼にとって唯一の救いは、担任の頼みで来週退院する幸村も同じテニス部のよしみでグループの中に入ったことだった。
かくして、翌週の日曜日、仁王たちは国会議事堂に見学へ行くため、校門に集まった。
仁王が集合時間の5分前に校門に着くと、先客がいて彼は軽く手を振った。幸村と真田だった。
「何で真田がここにおるんじゃ」
挨拶もせずに仁王が真田を見ると、彼は眉間に皴を寄せた。
「幸村は退院したばかりだ。体調を崩した時のため、俺も付いていく」
「真田は過保護だよね」
クスクスと笑う幸村の顔色は入院時よりもずっと穏やかで明るく、仁王は思わず笑みを零した。学校の時計が集合時間の10時を指し、鐘が鳴ったと同時に最後のメンバーであるは校門に着いた。私服の三人と違い、公式な場に行くためか、授業の一環だからか、制服を着ていた彼女は、真田の姿を捉えると同時に「げ」と一言放ち、頭に拳骨を食らうことになった。
「、たるんどるぞ!!最低でも待ち合わせ時間の5分前に着くべきだ!」
この言葉を聞いて、早めに家を出てきて良かったと仁王は胸を撫で下ろし、は「どこの国の常識ですか。それ」と口を尖らせた。
「私もですね。時間に余裕を持って家を出たんですよ?でも、駅前で妊婦さんが倒れていたので、病院を呼んだり旦那さんに連絡を取ったりしていたら時間ギリギリになったんですよ」
「そうか。ならば、仕方ないな。殴って悪かった」
おいおい、そんな胡散臭い言葉を簡単に信用するなよ、と真田にツッコミを入れる仁王の隣で、幸村は目をこれ以上ないくらい見開いた。そして、に人差し指を向けた。
「君が、・・・?」
は小さく笑い、「無事退院したようですね。おめでとうございます」幸村の人差し指を優しく掴んで下ろした。
「まだ完治したわけではない。再入院の可能性もあると、医者は言っていた」
いつも通り、ムスッとした顔で真田がにそう教えている間、幸村はじっとを凝視し、もう一度人差し指を彼女に向けた。
「女の子だったの?」
幸村のこの発言に、真田は「失礼だろう」と怒鳴り、怒りの矛先を幸村に向けた。そして、第三者である仁王は腹を抱えて笑い、は目を細め「確かに、再入院の必要性があるようですね」と真田に対して言った。
休日だからだろうか、子連れの家族が多く、満席とまではいかなくとも車内はうるさかった。 仁王たちは適当な席に座り、が今日の予定を事務的に話した。 気まずい時間となると思われた電車内であったが、意外とと真田は仲が良く、彼らは授業態度、委員会活動に対する意識などについて語り合っていた。まあ、一方的に真田がに対してであったが。
仁王はそれを見ながら幸村に声をかけた。
「さっきのはどういう意味じゃ?」
「仁王たちが言う『』は、男だって思ってたんだよ。まさか女子だとは思わなくて」
「そういう割には面識はあったようじゃが?」
「まあ、色々とあってね」
「なんじゃ、気になるのう」
言葉を濁す幸村が珍しかったため、仁王はニヤニヤと笑みを浮かべたが、幸村は彼の一枚上手だった。
「それより、彼女のことが大嫌いな君が、どうしてペアを組むことになったんだい?」
「不可抗力じゃよ。とは縁があるようなんじゃ。のう、」
不機嫌そうに仁王がに声をかけると、真田がと仁王の顔を順に見て首を傾げた。
「また、席も隣同士になったのか?」
「ええ」
「いつものようにのう」
と仁王の不可解で奇妙なくじ運について、真田が幸村に説明すると、幸村は眉を寄せてを見た。
「仁王のファンの子たちには気を付けなよ。ファンクラブの会長は冷酷非道なことを平気でするから」
「なんでお前さんが、そんなこと知っとるんじゃ」
「僕のファンから教えてもらったんだよ『怖いよねー』なんて言いながら、彼女たちも似たようなことやっているんだろうけどね」
霞ヶ関にある国会議事堂前に着くと、はカメラを取り出してレポートに提出する写真を撮ると言い、仁王たちは外国人観光客に混じって国会議事堂をバックに何枚かの写真を撮り、それから手荷物検査を受け入館した。
レッドカーペットが敷かれた館内は、厳格な雰囲気を醸し出していて、ここで国の方針が決められ、人々の生活を変えられていくのだなと仁王はいつにもなく感慨深く思った。
それから、を先頭にして本会議場傍聴席、御休所、皇族室、中央広間まで歩いていった。辺りを興味深げに見る三人に対して、はひたすら安っぽいパンフレットに対する批判を零していた。
中央広間に入ると、説明書きを読んでいるの隣に幸村は立った。
「国会議事堂って意外と広いんだね」
「ええ、無駄に大きいのでレポートも面倒になりそうです。課題が『少子化と人口爆発』でしたら楽でしたよね。サブタイトルは『解決策は愛と狂気の狭間にある』で決まりです」
「・・・昼ドラの副題と間違われそうだね」
「求められているのはセックスと殺人です。それを誘発させれば、地球に平和が訪れるのです」
「いや、これグループワークだからね。僕の目が黒いうちはそんな結論には導かないから」
そんなくだらない話をしながらも見学場所を全て回ると、幸村は時計を確認して三人を昼食に誘った。その時だった。後ろから声をかけられた。
「?」
赤い絨毯の上、高く積まれた書類を持った20代後半の男が、そこに立っていた。値段の高そうな背広を着ながらも、その顔はやつれていて幸薄そうだった。ただ、メガネの奥にある目だけがギラギラと光っていた。
「お兄ちゃん」
の言葉を聞いて、仁王と幸村は驚いたようにを見た。連日、テレビで与党批判をしている男だったからだ。彼は仁王たちを見ると薄く笑った。
「良かった。あの片親の不良少年を『親友です』って紹介された時は心臓が止るかと思ったけど、普通の友人もいるんだね。お兄ちゃん、安心したよ」
「そうですか。それは良かったです」
「ああ、付き合う人間は選べよ」
「安心したついでに、彼らを紹介しますね。一番左にいる帽子を被って硬派ぶっている人が、三ヶ月前、私の生足に欲情した真田弦一郎さんです」
「な、何を言ってるんだ!!」
「そして、その隣にいるワカメ頭の彼は、つい先日まで同じ病院に入院していた方で、暇を持て余していたからという理由で、無理やり濃厚な接吻をかましてきた幸村精市さんです」
「あー、そういう紹介しちゃうんだ」
自分の番が回ってきた仁王は他の二人のように汚名を着せられるのは御免だと思い、意味もなくパンフレットで顔を隠した。
「で、一番右にいる方がテニス界のホープと謳われ、立海大付属で今一番輝いている男子生徒の仁王雅治様です」
「・・・え」
ただ単にと仁王の関係が浅いだけの理由だったのだろうが、肯定的な紹介をされるとは思っていなかったので拍子抜けした。が、しかしながら、テニス部の部長、副部長を差し置いてプッシュされても気まずいだけだった。仁王は内心で舌打ちし、あゆを恨んだ。
の兄は額に手を当て「だから、僕の出身校であるルドルフに入れと言ったんだ」と呟いた。
「ルドルフは、お兄ちゃんみたいになると困ると言ってパパが反対したし、都内の学校に通ったら景吾さんに言い訳できません」
「まだあの碌で無しの糞親父の指示に従っているのか!?しかも、あのデキスギ君とスネオとジャイアンとシズカちゃんを足して4で割ったような奴とも、本当に結婚する気なのか?」
唾を飛ばしながら吠えるように言う兄を横目に、は首を傾げている三人に通訳でもするかのように「婚約者のことです。頭の良い、金持ちの、俺様な、女顔の、彼のことをお兄ちゃんは嫌っているんです」と補足説明をした。
「どうして母さんの所に行かないんだ」
「ママが離婚裁判でパパに負けたからです」
「・・・。ああ、そうだったな。最低の父親に最悪の婚約者を持ってしまったかわいそうな俺の妹」
「パパに反抗して野党にまで落ちた貴方ほどではありませんがね」
「お前は父親がやっていることを理解していない」
「興味ありませんね」
「お得意の無関心か。まあ、それも良い。無力感を味あわずに済む」
「あ、皆さんにも紹介しますね。万年野党席から野次を飛ばしている私の兄です。3ヶ月に一度は『僕、パン屋になる』というメールを送ってくる少し病んでる次期党首候補です」
「余計なことを言うな。・・・君たち、日本の将来のことを思うなら次の選挙では我が党に一票入れることをお勧めするよ。今の政権は腐敗しきっている!」
彼が拳を高く振り上げて熱弁をふるう中、幸村が「あの僕たち選挙権ないんで・・・」と男に言いづらそうに言葉を放ったが、それは第三者の野太い声に遮られた。
「文句を言うしか脳の無い野党に言われたくねーな」
仁王たちは突然現れた男に目を見開いた。そして、が駆け寄って「パパ」と言うと、いよいよ三人の驚きは頂点に達した。日本の官房長官だったからだ。
「なんだ、。学校の課題か?」
「はい。私は『少子化』に興味があったんですけどね」
「少子化担当大臣でも呼ぶか?」
「いえ、課題は『国会議事堂』なので必要ありませんよ」
「そうか。前々から思っていたんだが、『少子化』なんて問題は、コンドーム売買禁止条例でも作れば解決できるんじゃないのか?」
「画期的なアイディアです」
手をパチパチと叩くとガハハを笑う彼女の父親、そして隣で嘆いている男を見ながら、立海テニス部に所属する三人は日本の将来を憂いた。そして、仁王はやはり彼女を好きになれず、むしろこの件で嫌いに拍車がかかったのだった。
そして、もう金輪際あゆと話したくないと改めて思った仁王は、自分のファンクラブの会長に彼女のイジメをけしかけようとした。できれば使いたくない最終手段だったが、くじを引く度に彼女の隣になることやペアを組まされることにはイイカゲン嫌気が差していたのだ。自分に気がある女子たちを使って、彼女を敬遠させることは自分に近づけない最良の手だと考えた。 翌日、部室に訪れその計画を相棒の柳生に打ち明け、柳が持っているファンクラブの名簿や情報を渡してくれるよう頼んだ。データ収集家の柳はデータ愛好家でもあった。彼は不純な動機で自分が集めた情報を他者に使われるのは好まなかったし、情報漏えいの恐ろしさをよく知っていた。そのため、柳のロッカーは鍵がかかっており、真田と柳生がその合鍵を持っているのだ。石頭の真田に話を持ちかけるほど馬鹿でもない仁王は、かくして、柳生に相談したのだった。しかし、彼は迷わず首を横に振った。
「せめて、会長の名前だけでも知りたいんじゃが」
「無理です」
「やっぱ、テニス以外のデータは取っとらんか」
うーんと唸りながら部室を後にした仁王を横目で見ながら、柳生は柳のロッカーの中から分厚いノートを取り出して頁を捲った。そして、「真実は小説より奇なり」と呟き、あるページを破り近くにあったライターで火を付けた。
仁王雅治ファンクラブ会員 ?001
役職:会長
「ファンを敵に回すと怖いですからね」と苦笑し、柳生はメガネをメガネを中指で軽く押した。