畑シリーズ

芋の煮えたもご存知ない



「この女子の調子が悪い今、堕胎は危険じゃ。子供はほんにすくすく育っているしのう」





を里に連れ帰ってきて、一番最初に訪れたのは親しくしている医療忍者の家だった。綱手様への報告も、公的な病院での怪我の治療も後回しにして、俺が真っ先に行おうとしたのは堕胎だ。が意識を失っている間に子供をおろしてしまい、原因を戦闘とストレスによる「流産」ということにして納得してもらおうと思っていたのだ。

里の中心から少し離れた場所に住んでいる医療忍者の家は古く今にも潰れそうなほどであったが、木の葉崩れの影響は受けていないようであった。俺の前にいる老婆は50を超え、今は前線を退いているが、昔は里一番の医療忍術の使い手だったと言われている。俺は彼女が「意に沿わない」子供を授かったことを話し堕胎を頼んだが、彼女はの下腹部を触って首を横に振り、冒頭の言葉を述べたのだ。

目の前が真っ暗になったような気がした。の中に醜く恐ろしい化け物が巣くっていて、それがこれから成長していくと考えるだけで、身の毛がよだった。

これから、彼女の腹が膨らんでいって、10ヶ月も経たないうちに人の形をしてこの世に降り立つ。

あの金髪の男にソックリな容姿の子供が、を母親と呼び、彼女に抱きついて離れず、彼女の世界の中で色づいていく。初めて、俺は恐怖に襲われた。自分の子供を愛さない母親なんていくらでもいるし、彼女もそのような人間であることを切に願ってはいるけれど、けれども子供は彼女が求めていたものだ。しかも暁のメンバーの子供であるなら将来が期待できる。

そう、腹の中にいる子供は、彼女が考える非の打ち所のない「理想的な子供」なのだ。

紙っぺら一枚の関係と、血がつながった親子の関係。

どう考えても俺が不利だ。未だ、生まれてきてもいない子供に嫉妬を覚えるのはおかしいと他人は言うかもしれないけれど、生まれてしまってからでは遅いのだ。子供が住民権を獲得する前に始末しなければ、木の葉の法によって罰せられる。彼女が言ったように、同胞殺しは極刑だ。









綱手様への報告を済ませて帰り、ゲンマを追い出すと、俺は久しぶりにを抱いた。優しくするつもりだったけれど、苛立ちを不安から酷く乱暴に扱ってしまい、体調を崩している彼女は抵抗できずに、ただ歯を食いしばって痛みに耐えているようだった。

彼女はもっと苦しむべきなんだ。
泣いて縋ってくれれば、もっとやさしくしてやったのに。


なんで、いつも俺だけが、辛い思いをしてるんだ。眉を顰めた彼女の顔を見ると、自分がそうさせているのにも関わらず悲しくなる。それすら理不尽だ。そう思った。

鳥のさえずりが聞こえ、窓から日が差し出す頃、俺はやっと彼女の体を開放してやった。そして、ぐったりしている彼女に「だいじょーぶ?」と、どう見ても大丈夫じゃ無さそうにしているのに、わざわざ聞いた。彼女は目を薄く開けると俺の顔を見て、苦笑した。


「酷い顔」


俺がこんなにも苦しんでいるのに、笑う余裕さえある彼女を俺は心底憎んだ。



「カカシ。無理しないで、私を捨てて」


「なーに言ってるの。俺がを捨てるなんて、ありえなーいよ。」



の額に軽くキスを落としてから、ベッドから起き上がりシャワー室に向かった。


コルクを捻ると湯気で視界が白くなり、辺りを水音が支配する。



「私を捨てて」


彼女が言った言葉を反芻して、口を歪ませる。

違うだろ。
捨てたいのはお前で。捨てようとしているのもお前だ。俺じゃない。
彼女の最優先事項が、子供になった?
俺はその事実に衝撃を受けた。冗談はよせよ。嘘だろ。



剣呑なチャクラが全身から湧き上がるのが分かった。抑えきれない怒りと込み上がる殺意が自身を支配するのを感じた。あふれ出した涙を、どうすれば止められるのか。俺には分からなかった。




母体に傷をつける恐れがある堕胎は避けなければならない。
ならば、チャンスは一度だけしかない。

彼女が子供を産んだ直後。彼女に知られないよう、子供を始末する。


プライベートのことだろうと、俺の指示で動く医療班なんて腐るほどいる。任務で何度も仲間の命を救ってきた。里を守ってきた。俺は、誰もが認める木の葉の業師で、英雄でもあるのだ。その俺の頼みを喜んで聞く奴は少なくない。



子供が死ねば彼女は悲しむだろうが、心配ない。
俺が傍についている。
必ず幸せにする。

















**************












「草の里に半年も?」

ボロボロになって帰ってきたを見て一瞬目を疑った俺だったが、彼女の話を聞いて今度は耳を疑った。しかし、彼女が持っている委任状に押されている判は綱手様のものだったし、なによりも里屈指の忍びである彼女をここまでボロボロにできるのは綱手様以外に思いつかなかった。彼女が綱手様機嫌を損ねるようなことを言って、面倒な長期任務を押し付けられ、激怒し乱闘になったのは想像に易い。


判を押されたということは、変更不可能な決定事項なのだろう。草の里の治安は、今の木の葉と比べてかなり良い。それに特派員の仕事は、そんなに難しいことを強いられるわけでもなく、情報交換と意見交換が主な仕事内容になる。上忍にとっては面倒で退屈な任務だから敬遠されがちだけれど、今の彼女にとっては打って付けの任務であると俺は思った。


「いつ出発するの?」

「今すぐ」

「本気?もう夜だよ」

「『火影様』の御意思だ」

「あー。ま、の足なら半日で行けるだから、大丈夫じゃなーい?俺も暇を見つけたら様子見に行くから。あんま、無理しないで頂戴よ。だけの体じゃないんだから」

そう言いながら、彼女の腹部を撫でると彼女は小さく頷いた。


も子供も、俺がちゃんと守るから、心配しないで良ーよ」

「カカシ、・・・ありがとう」


そう呟いたの頬に俺は唇を落とした。


「安心して。どんなことがあっても、俺はを愛し続けるから」




果たして、彼女が長期任務に就いたことは、俺に味方した。彼女がいない間に親しい医療班を集めて計画を進められることとなった。計画は慎重に、決して悟られないように、しなければならない。時間は半年、十分すぎるほど与えられた。万全の準備をした後は、彼女が里に帰ってくるのを待てば良いだけだ。


人知れず子供を殺めることなど造作もないことだ。
不思議なことに罪悪感はこみ上げてこない。迷いも生まれない。
むしろ、己の英断に心が躍るくらいだ。












『・・・知っているか。カカシ。人は、それを狂気と呼ぶんだ』



綱手が言っていた事を思い出して、首を振った。俺は正気だ。
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