畑シリーズ

冬瓜の花の百一





「ほう、草隠れの里から来たのかえ」

「ええ、すみません。お休み中だったようなのに」


「いーや、気にせんで良い。人里離れた寺院に来る物好きなんぞ、おらんからのう。久々の来客じゃ、わしもうれしい。産婆の腕が鳴るっちゅーもんよ」



かかか、と老婆は歯並びの悪い口を大きく開けて笑った。年は80後半辺りだろうか、腰は随分曲がっているが、先ほどから食事の用意をしている彼女の手つきは良かった。

雨が降り始め、腹部が冷えないよう手を添えながら走ってきたが、体はずいぶん冷えていた。寺院に着く頃にはぬれ雑巾のように惨めな姿になっており、奥から出てきたこの老婆を「ひぇえ!河童じゃぁ!」と叫ばせた。




暖かい毛布と粥が与えられて、ほっと息をつく。しかし、これからが本当の勝負だ、とは思った。






「ちと、確認させてもらうぞ」


老婆がの腹部を触ろうとした時、は反射的に身を仰け反った。




「この婆やに、取って食われるとでも思ったか?安心せい。赤ん坊の様子を診るだけじゃ」


「すみません。ちょっと色々ありまして・・・驚いただけです」




老婆が腹部を触ると、じんわり人肌の温かさが伝わり、は眉を寄せ苦しそうに息を吐いた。






「ま、こんな所まで産みに来る奴は皆、訳ありじゃ」



生きとるのう、腹部に手を当てながら老婆がそう言うと、返事を返すかのようにのお腹が揺れた。中の子供が蹴ったのだろう。は小さく悲鳴を上げ、目を瞬かせた。そのの反応に老婆の方が驚いた。




「どうしたんじゃ?」


「お腹、蹴られたの初めてで」


「初めて?」


「反応示したこと無くて」




は鼻をすすった。




「私・・・、本当ごめんなさい」



顔を両手で覆い、老婆に向かって頭を下げたは何度も謝罪の言葉を口にした。嗚咽を伴うような彼女の言葉を聞き、老婆は自分の目尻に浮かべた涙を拭って彼女の肩をさすってやった。







火鉢の中で、ぱちぱちと時折火の粉を撒き散らす炭を見ながら、老婆とは静かな時を過ごした。老婆の顔に深く刻まれた皴が、火鉢に赤く照らされると濃い影を落とし、彼女が笑うたびにその皴は深く暗くなっていくように感じられた。 は老婆にアカデミーの先生をやっていたことを面白おかしく話した。


生意気で、我侭、無知で傲慢、そういう生徒たちだった。けれど、あれが、人間の本質だと思った。大人は上手く隠し誤魔化しているけれど、ふとした時、重要な場面で、それは表面化する。例えば、今の自分とカカシの状況は、ぴったりそれに当てはまるのではないか、そう思った。互いがもっと相手のことを思いやれたら、二人の関係は、もっと上手くいっていたのかもしれない。


「もっとよく話合っていれば、何か変わっていたのかも知れない」


私たちはちゃんと話し合っただろうか?
私たちは互いを見つめあっただろうか?
私たちは本当に理解しあっていたのか?



「自分の気持ちや要求だけを相手に押し付けて、相手の言い分には耳を貸さなかった」

「そう、気に病まんでも良い」


寺の隙間風が轟々と音を鳴らし、がぶるりと体を揺すると老婆は暖かい白湯を出した。


「結果は変わらぬよ」


そう悲しそうな目をして言った老婆に何か言い返そうと思っただったが、上手く言葉が出てこず、口を噤んだ。


話し合いで解決できると仮定すれば、それはどうしても、カカシが折れることが前提となる。私は子供を降ろすつもりが無いからだ。しかし、それでは、やはりカカシは納得しないだろう。結局の所、話し合いは上手くいかないのだ。つまり、今のこの状況は、必然であったということだ。彼も私も忍で「やる時は殺る」人間で、お腹の中の子供の運命は身勝手な私たちに翻弄される。なるほど、この残酷で滑稽な現実は変わらないのかもしれない。



そこまで考えて、はふと神経を天井裏に向けた。いずれ来るだろうとは思っていたが、思ったより早い相手の動きには息を呑んだ。自然と焦燥感が体を支配し、表情が強張る。陣痛が始まれば、自分は戦えなくなる。例え、戦えたとしても、子供を流してしまう可能性が高い。しかしながら、男は確実にそのタイミングを狙っているようだった。情報漏れが激しい里だな、と今朝方思ったことをもう一度思う。

外は土砂降りで、視界も悪ければ、足音も碌に聞こえない。そういう状況下で戦闘をするのを、は好んでいた。肉が切れる音を消し、血の匂いも色も流し、荒んだ心と体を一時的にでも清めてくれる雨は、嫌いじゃない。証拠隠滅にも適している。しかし、今日は心底その天候を恨んだ。



夜も深まり、寒さが厳しさを増してくると老婆は薪を取りに行くといって席を外した。完全に彼女の姿が見えなくなると、天井裏の男が動く気配を見せた。



「土遁・蟻地獄!!」


警戒して構えていると、急に野太い声が天井から降ってきて、足場が無くなり、は全身からぶわりと汗が噴出すのを感じた。


って、いきなり大技かよ!!普通クナイとか手裏剣投げて、相手のレベル図ってから、仕方無しに大量のチャクラを消費するような術をしぶしぶ出すんじゃないの!?それが基本ってもんじゃないの!?コイツ、バカ!?バカなの!?
心の中で相手に思いつく限りの罵倒を浴びせながらも、素早く印を組んで、安全な場所に避難する。非難した場所を読まれて投げ込まれるクナイを避けるが、身重で思うように動かない体に苛立ちを覚え、舌打ちする。


「土遁・土龍弾!」



そう、相手が印を組むと先ほどの術で抜け落ちた床底が盛り上がり、雨で十分水を含んだ泥が一斉に天井に向かって飛び出す。崩れ落ちる屋根を起用に避けて大黒柱の上に上ると、今まで鋭利な刃物のような形をしていた泥が龍の頭に変わり、 の周りを囲んだ。


「おいおい、マジかよ。これキツイだろ」

屋根が無くなり、勿論も男もびしょ濡れだ。軽く腹部に触れてみるが、反応は無い。体に負担がかかると思っていても、やるしかねーな、と決心してチャクラを両手に集める。竜の口が開いて、自分に弾丸を放つ前に息を吸って覚悟を決める。



「螺旋連弾!!」



一瞬で泥の竜を一掃し、男と対峙する。大したことは無い。私の方が圧倒的に強い。そんな自負があった。敵にもならない、そう自分に言い聞かせた。


けれど、もうタイムリミットのようだった。雨が滝のように体を痛めつけ、足先から頭のてっぺんまで全ての神経を鈍らせる。全身を冷やし始めた。瞬間、背筋に悪寒が駆け巡る。腹部に鈍痛が走る。はその場に膝をついた。


「・・・何で今なのよ」


陣痛が始まった。





「悪いのはお前だ」


頭上から冷たい言葉が降ってくる。否定したくとも、口から出るのは息を整えるのが精一杯だ。水溜りが、泥まみれで地面に這い蹲っている惨めな自分を映す。



最悪だ。本当に最悪の結末だ。




朦朧とした意識の中、視界の端に自分にかけよってくる老婆が見えた。









「雷切!!」


意識を失う寸前、冷たくなった耳にカカシの声が届いたような気がした。

















*************







「男は倉庫の中で眠らせとる」


しかし、ほんに危機一髪じゃったのう、と穏やかな笑みを浮かべたのは老婆だった。気付けば、は暖かい布団の中で眠っていた。先ほどのことは夢だったのではないかと思うくらい、辺りは静かで穏やかな空気が包んでいる。は目覚めてすぐに腹部を確認したが、まだそこには子供が宿っているようだった。小さく安堵のため息を零すと、老婆もうれしそうに笑い、自分が昔忍だったことを明かした。

「それにしても、あの男は一体何者じゃ?」


そう問われて、は里に来た経緯と彼の素性を老婆に話した。


「そうかえ、お前さんもえろう苦労したんじゃのう」


苦労を労うようにしみじみと言うと、老婆はの白い手の上に、自分の手を乗せた。 深く皴の刻まれた手はとても暖かく、は涙を零しそうになった。






「安心せい。お前さんのことは、わしが守るからのう」













*************















陶器が割れる音が響いて、待機所のソファに足を組んで座っていた紅は眉を吊り上げた。床には綺麗に真っ二つに割れた灰皿が落ちてあり、待機所にはアスマと自分以外以内と知っている彼女はすぐさま彼を非難した。




「ちょっと、アスマ、何やってんのよ」

「手が滑っただけだろ。そんな目くじら立てるなよ」


カカシの代打として待機組みに入れられた紅は貴重な休暇を潰されて、いつもよりずいぶん沸点が低くなっていた。少しの物音にも敏感に反応し、注意してくる。アスマは無断欠勤をしているカカシを心底恨んだ。


「カカシは何処行ったのよ?」

「十中八九、の所だろうな」

「何しに?」

「知るかよ」

「じゃあ、何で彼女の所だって思うのよ」


「半年もあってないんだ。ふと会いたくなることもあるだろう?夫婦なんだから」


「待機だって任務のうちなのに、それを放棄して?あり得ないわ」


「じゃあ、アイツは何処に行ったんだ?」

の所よ」

「おい」



肩を落とすアスマを、紅は雑誌を畳んで居住まいを正し、真剣な表情で見た。



「アスマ、あの時の質問のことなんだけど」

「あんな質問するもんじゃねえ。あ、・・・お前が答えたら、答えてやるっていうので、どうだ?」

「・・・私だったら、殺して欲しいと思うわ」

「はあ?」

「自分の子供は殺せない。だから、殺して欲しい。できれば、嫉妬にかられた愛する人に」



それなら仕方が無いって諦めがつくかもしれないじゃない、今まであった真面目な空気をかき消すかのように、あっけらかんとそう言った紅に、アスマは火を点けたばかりのタバコを落としそうになった。






「・・・お前って、本当ずりー女」


ソファの背もたれに体重を乗せて背筋を伸ばす紅を見ながら、肺の奥まで吸ったタバコの煙を外に出す。真っ白で穢れの無さそうな煙は実はとても有害だ。それを知っていても自分はまたタバコを口に加えるのだ。



紅が窓を開けて、室内に立ち込めていた煙が外に出て行く。




「アスマはどうするの?」

「お前がそう考えるなら」

「考えるなら?」












「お望み通り、産婆にでも化けて子供を殺しに行くさ」






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