あれは、地獄の一週間だった、と俺は幼いながらも記憶している。
あれは豪雨の日のことだった。朝、いつものように鉄面皮のイルミ兄ぃに釘を投げられて起き、歯磨き粉のイチゴ味が切れているのを知って癇癪を起こし、
弟のキルアをイジメ、それをママに見つけられ叱られて、我が家にはいつもと同じような光景が広がっていた。
天気は確かに最悪だったが、山の天辺に位置するゾルディック家にとって、豪雨という天気も日常的なものであった。
異常な事態が起きたのは昼過ぎのことだった。
が慌てた様子で、うちの門を叩いてやってきて、親父に会うなり頭を下げたんだ。
目元は真っ赤で泣きはらしたような痕があって驚いたが、横にいるイルミ兄ぃが、
あの無表情のイルミ兄ぃが目を丸くしたのを見てもっと驚いた。
親父は、に落ち着くよう、水を渡し(あれって、確か猛毒入りのヤツだ)、
は躊躇せず、それを一気に喉に流し込んだ(すげー)。
それから、また親父に唾と汗を飛び散らせながら、何か懸命に説明していた。内容はよくわからなかったが、(というのも当時7歳の俺には、彼女のまくしたてた言語を理解する能力が無かった)
とりあえず、緊急事態であることは分かった。それから、は親父の腕を引っ張って、門から出て行ってしまった。
ママが「さんったら、白昼堂々と浮気をなさるなんて!なんて大胆な方なの!おーほほほほほ」と言っていたから、きっと大人の事情があったのだろう。そう、納得して深くは考えなかった。
夕方になると、親父は帰ってきた。
と一緒ではなく、代わりにヒソカを連れてきていた。
ヒソカは、目をギラギラさせ、今にも噛み付かんばかりの表情をして、親父を睨んでいたけれど、口には猿轡を噛ませられ、両腕両足は念糸で動けないように固定されていた。
その体にも顔にも傷跡があったから、頭の悪かった俺は,安易にヒソカが誘拐された所を親父が助けたのだと思った。
でも、イルミ兄ぃの次の一言でそうでないことを知った
「の依頼?」
まさか、がそんな依頼をするわけがないと、そう思った。
けれども、親父は頭を縦に振ったのだ。
「へえ」
イルミ兄ぃは目を細めて、ヒソカを見た。ヒソカは芋虫のように動いて、この現状を打開しようとしていた。
俺は口答えできる立場にもいなかったけれど、口を開かずにはいられなかった。
「そんなの嘘だ。がそんなこと頼むわけが無い!本当は何を言われたんだよ!」
親父は恐ろしい人間で、息子の俺でさえ、睨まれれば足が竦んだ。
けれども、の頼みはもっと違うことだった筈だ。彼女はヒソカを溺愛していたし、彼女はヒソカに生きて欲しいと望んでいた。間違っても殺しの依頼なんてしない。しかし、親父は上から俺を見下して言った。
「俺は殺しの依頼しか受けない。」
頭が真っ白になった。それから、夕飯が運ばれてきたけれど、味なんか何も分からなかった。
俺はのことが好きだった。ママよりも、の方が俺に優しかったし、俺のことを見てくれていたから、だから失望したんだ。
あんな穏やかな目をして、ヒソカを見ていたのに。
理由なんか知らないし、どうでも良い。結果が大事だった。俺は失望したのだ。
片付けられていく皿を見ながら、今地下にいるであろうヒソカのことを思った。
彼はもっと、失望した筈だ。もっと、絶望した筈だ。かわいそうだから、その失望を共感できる俺が息を止めてあげよう、そう思った。
ヒソカに会いに地下の廊下を歩いていくと、奥から二つの声が聞こえてきた。
「イルミ、ここから出して」
「依頼だから、できないよ」
イルミ兄ぃがヒソカと会話していた。さっきとは打って代わって、ヒソカの声が落ち着いているようだった。
地下には雨音がない分、静かで、気味が悪い。風通しが悪く、年がら年中血の臭いが充満しているし、俺は早くヒソカを殺して自分の部屋に戻りたいと思った。
ノックもせずに、ドアを開けると、イルミ兄ぃが振り返った。<
ヒソカは牢のなかに入っていて、鎮静剤でも打たれたのだろうか、目が空ろで体はぐったりしていた。
「ミルキ?何しに来たの?」
イルミ兄ぃが珍しく顔の筋肉を使って眉を寄せ、俺に問いかけた。
「イルミ兄ぃ、俺にヒソカを殺させて」
「ダメだよ。これは、親父に来た依頼だから」
「誰が殺そうと一緒じゃねーか」
「ミルキ、ビジネスで一番大事なのは信用だよ。受けた依頼は忠実にこなさないと」
俺はヒソカを見た。ヒソカも俺を見ていたようで、目が合った。縋るように俺を見たヒソカは、憐れで、奴が本当にヒソカなのかどうか怪しいほどだった。
「それに、ヒソカを殺すにはヒソカを牢から出さなきゃならない。
出した時点で、お前の命は無くなるだろうし、俺の命も危うい」
こんな顔をしているヒソカに俺やイルミ兄ぃが殺されるとは考えにくかったが、イルミ兄ぃの言うことはいつも正しかった。きっと、今回も正しいのだろう(ムカつくけど)
「が本当に親父に依頼したの?」
「うん」
「ヒソカを殺せって?」
「うん」
「ヒソカをいつ殺すの?」
「100年後」
「・・・え」
俺は耳を疑った。
怪訝そうな目をイルミ兄ぃに向けるが、イルミ兄ぃは他人の感情に無頓着でこちらの顔色を伺うということを知らない。だから、俺は説明を求めるため疑問を投げかけなければならない。俺はイルミ兄ぃのそういう面倒くさい所が嫌いだった。
「100年後って、どういうこ「お願いだから、ここから出して」
この時、ヒソカの懇願を俺は初めて聞いたのだ。最初で最後のものだったが。
「さすが、ヒソカ。すごいね。あの薬を打たれて、まだ口を動かせるなんて」
「ここから出して」
「ダメだよ。あと1週間はここにいてもらうよ。」
何がなんだか分からなかったけれど、イルミ兄ぃが声を掠らせていることだけは分かった。何故だか知らないが、その声が震えていることも分かった。そして、それが異常だということも分かった。
「君に今死なれたら、100年後、君を殺せないだろ? からの依頼は『100年後の正午ぴったりにシルバ=ゾルディックがヒソカを殺すこと』なんだから」
そういうと、イルミ兄ぃは部屋から出て行った。俺もその後を追う。
なんだか、変な依頼だな、と思った。だって、それは不可能に近いから。この依頼を実行するには100年後までヒソカも親父も生きていなきゃならない。
でも、多分100年後だと親父は死んでるんじゃないかな。
ああ、ひいジィちゃんが生きているんだから、100年後でも生きてる可能性はあるのか?
でも、そんな不確かな依頼、は何で頼んだんだ?何で親父は引き受けたんだ?
そこまで、考えてハッとした。
そうだ。うちは暗殺一家だ。人助けを頼まれても、動かないし、動けない。
それがルールだ。うちは、人を殺す商売を営んでいるんだった。だからは殺しの依頼しかできなかったんだ。
妙に納得したが、不可解な点が多すぎて頭が混乱した。
ドアを閉める際、ヒソカをもう一度見たが、彼が蹲っていたのでその表情は全く読み取れなかった。
キィと金具の音を鳴らして、重いドアを閉め、イルミ兄ぃの背中を追う。
長い地下廊に二人分の足音が響いた。
イルミ兄ぃは階段を上る時、ふと思い出したようにポツリと呟いた。
「なんで、は、自分のことも依頼しなかったのかな」
イルミ兄ぃの渇いたその声が、湿った地下に悲しく響いた。
その1週間後、の遺体を持って、一人の男がゾルディック家を訪ねに来た。
門を叩いて、数分後に彼の命も尽きたのだから、訪ねに来たっていうのはおかしいかもしれないけれど。
は眠るように死んでいた(どうせなら、死んだように眠っていて欲しかった)
何でも綺麗に心臓に一発、銃で殺されたらしい(意外とあっけない)
男の方は、とは逆に、多くの傷を負っていて、死因は大量出血だったらしい。
約束の一週間が過ぎたから、親父はヒソカを地下牢から出した。ヒソカはの死体を見ると、を抱き締め狂ったように叫んで泣いた。
うちの敷地いっぱいに彼の声は轟いたと思う。の名前を何度も叫んでいた。
三日三晩それが続いたけれど、誰もそれを止めなかった。
だって、俺たちだって悲しかったから。
親父はのために立派な棺桶を用意した。
ママはそれに白いバラの花をいっぱい詰めた(棘とか付いたまんま・・・)
イルミ兄ぃはのために白い着物を用意した(ジャポンから取り寄せたらしい)
を運んでくれた人は、ヒソカに似ていたけれど、知らない人だったから、そのまま放置した。
たぶん、執事がいつも通り掃除してくれただろう。
の遺体は、ゾルディック家の敷地の中でも、もっとも日当たりの良い土地に埋められた。
ヒソカはを埋めることに反対したが、親父が「安らかなる死をあたえてやりなさい」と言うと黙った。
死体は腐敗していく。それをずっと見ているほうが何倍も辛いだろう。
親父はヒソカの世話をする気でいたが(というのも、イルミ兄ぃの訓練には持って来いの人物だったから)、ヒソカは、知らぬ間に出て行った。
それから俺はヒソカと一度も会っていない。
イルミ兄ぃとは、客と依頼人と言う形でたまにあっているらしいから、ヒソカがまっとうな道を歩んでいるわけではないのだろう。
それでも、の命日になると必ず、墓石の前にカーネーションが添えられているのだ。