ヒソカがいないと知った時点で、さっさと試合放棄して帰ればよかったのかもしれないけれど、「まいった」を確実に噛まずに言う練習をしていたら、その機会を失ってしまった。明らかに判断を間違えた。
凡ミスだ。凡ミス。
落ち着け、自分。と、早鐘を打ち続ける心臓に声をかけてみるが、その効果は全く無い。
「頑張れ!」などと声援を送るクラピカとレオリオを恨めしい目で見返す気力もなくなった。
試験官に呼ばれて、条件反射で会場の中央まで歩いていったが、ピエロと向き合って、とうとう私は身動き一つ出来なくなってしまった。こうなってくると、舌を噛むどころか、口を開けるのかどうかすら怪しい。
外回りをしているサラリーマンのごとく首元と額に汗をかく。
重いリュックを試験官の足元に置き、ハンカチを取り出すが、ピエロの視線を感じて汗を拭くことにも戸惑いを感じる。緊張と不安と恐怖が、心を支配し正常な判断力を鈍らせる。何をどうすれば良いのか、全く分からない。
両者とも位置に付いてくださいと、試験官の無情な声が会場に響き、重い足を引きづりながら、指をさされた位置に向う。
「やあ★」
ピエロに上から声をかけられたので、私は軽く会釈し目を向けた。「挨拶は目を見てしなければならない」と一度言われたからには、それを実行しなくてはならない。彼の意に逆らったら、その時点で殺されるだろう。理不尽だ。
「まさか、君と戦えるなんて思ってもみなかったよ」
そんなことを飄々というピエロを見て、嘘が彼の専売特許だったことを思い出す。
「運命感じちゃうね★」
それは、私がどうあがいても死ぬ運命にあるということだろうか?
いや、そうなのだろう。この男は確実に私を殺すつもりでいる。彼にとって私の存在は言わば食べ残しの果実なのだろう。飛行船に乗っていた時に殺せなかった私を今この会場で試験中に殺す。
何故、そんなことわかるのか?
なんとなく、だよ。
ただ、適当な理由付けをしていかなければ、わからない事だらけで、足が竦みそうになる。
知っていたけれど、奇跡なんて起きない。
試験官の一声で試合は始まった。
ピエロはニヤリと口の端を歪めると、大量のトランプを具現化した。
これ、念能力ですよね。ちょ、なんですか。無駄に全力投球?
ボクはどんな時もベストを尽くすんだ、なんて、甲子園目指す野球少年のごとくのたまった。いや、爽やかじゃないよ。君がそんなこと言っても、全然爽やかじゃないから。
「大丈夫、一瞬だよ★」
一瞬って、何が!?
ツッコミを入れる前にトランプが頬を掠め、視界の端に自分の血を捉える。この世界に来て、反射神経も動体視力もよくなった私だが、ピエロみたいな神様レベルの奴と渡り合えるものではないのだろう。
次々にピエロから放たれるトランプを必死に避けるが、体にどんどん傷が付いていく。
体力にも自信があるが、集中力が途切れたらアウトだ。血が足りなくなって貧血を起こした場合もアウトだ。泣きたくとも、泣いて視界が悪くなったらそれこそアウトだ。
なんだ、これ。
全身から噴出す汗と血で、嗅覚がおかしくなる。
周りからの声援や野次も聞こえなくなった。
「まいった」と言うことさえ出来ればいいのだと、思いついて、拳を床に叩きつけ、後ろに飛ぶ。
拳を叩きつけた床の半径15メートルに穴があき、当然のことながらそこに立っていたピエロも床と仲良く下の階に落ちていった。それを見届けて、私は試験官の方を向き、渇いた喉を鳴らして、腹の底から声を出した。
「まいった!!」
しかし、勇気を振り絞って出した声は、崩れる床の音と、私の予想外の行動に驚きを隠せない部外者の驚嘆でかき消された。・・・って、そんな馬鹿な!
崩れ落ちる瓦礫の上を飛んで、ピエロが私の目の前に現れ、トランプを構える。とっさに後ずさったが、この距離ではもはや回避不可能だとわかった。
万事休す、そう思って目を強く瞑る。
最後に瞼の裏に見えたのは、赤く燃えるような髪を揺らして笑う少年の顔だった。
ヒソカ、ごめん。お礼、言えなかったね。
ガッと壁を抉るような音が耳に届き、自分の死を悟る。他の人より、死ぬことには慣れている。二度目だ。そう、自分に言い聞かせた。
けれど、いつまでたっても、心臓の音が鳴り止まないことを不思議に思い、うっすらと目を開ける。
「え」
目の前の光景に目を見張った。
イルミ君がピエロの前に立ち塞がり、全てのトランプを釘で跳ね返していた。沈黙が支配する中、私は掠れた声を出した。
「「・・・どうして」」
おいおい・・・ピエロと声がかぶったよ。
ピエロの方も同じ事を考えたようで、私をちらっと見た。しかし、私はすぐに視線をイルミ君に移した。
「親父から電話が入った」
それがどうした、それが会場にいる全員の感想だったと思う。しかし、私はイルミ君に差し出された携帯をすぐさま受け取り、耳に当てた。イルミ君と目が合った時、彼の目が少しばかり揺らいだのがわかったけれど、それ以上に,あんぐり口を開けているキルア君が気になった。顎外れるよ。
小さく溜息をついて、電話の向こうにいるであろう懐かしい銀髪中年に向って私は話し始めた。
「何よ、シルバ。今私忙しいの。後にしてくれない?」
視界の端でイルミ君が後ずさったことがわかり、顔を上げる。ポーカーフェイスが売りの彼が驚きの表情を露わにしているのを見て、ちょっと笑った。
そんなイルミ君を見て、珍しいものを見たと、ピエロが機嫌よく至極愉快そうに笑った。そして、視線を私に移すと「会話を続けなよ」というふうに目と口を弧に描き、手に持っていたトランプをきり始めた。
「あー、急用なら、今言って良いよ。何?」
イルミ君に自分のことを告げなかったのは悪かったなと罪悪感を覚えながらも、そんな余裕もなかったことを改めて認識する。
そもそもゾルディック家とは積極的に関わろうとも思っていないので、余裕があったとしても、やはり話しかけなかったようにも思った。私は意外と薄情なのだ。
そんなことを逡巡しながらも、シルバの用件を聞き逃さずに、彼の質問に答える
「ああ、あれね。あれはイルミ君の部屋のクローゼットの下にある引き出しの中にあるわ」
10年前、結婚記念日に渡しそびれた指輪をどこにしまったのか忘れてしまったということだった。キキョウが、私とシルバの浮気を疑い、「こんな物で騙されませんわ」と言って指輪を受け取らなかったため、未だイルミ君の部屋にある。というのも、シルバとキキョウの寝室に置いておくと、またキキョウがヒステリーを起こすからだ。
ああ、死ぬ前に電話で話す内容が、これか。
・・・というか、10年前のものだよ。シルバ、貴方たち夫婦の成長が見られないのはどうして?
用件が済み、私は小さく溜息をつくと電話を切った。大きな目を更に大きく開けているイルミ君に携帯を渡し、苦笑する。
「ゾルディック家は、相変わらずね。」
「どうして」
ピエロと私が重ねて言った言葉を彼も口に出した。
きっと、シルバに聞いたんだろうけど、実感が沸かなくて、でも、私とシルバの会話を聞いて、やっと私が私であることを認識したのだろう。
「うん、10年ぶり、イルミ君。大きくなったね」
「・・・は、・・・小さくなったね」
掠れるような声を出したイルミ君に正直驚きを覚えた。それでも、名前を覚えてくれていたことに安堵とかすかな喜びを感じた。同時にパラパラパラと大量のトランプが落ちた音が耳に届いて、イルミ君の背後に目を向ける。
そこには、白い白粉を塗っているにも関わらず、真っ青な顔をしたピエロの姿があった
「・・・ウソ」
ポツリと、そう口にした彼の声は、ニコラにそっくりだった。
真実は時に嘘よりも人に裏切りと絶望を与える