人は二回生まれる、一度目は存在するために、二度目は生きるために(ルソー)
はヒソカにとって独占できるような立場にいなかった。彼女は神様で、雲の上の人・・・だった。
天空闘技場から帰ってきたヒソカは、いつものようにホテルの1階にあるカフェテリアでを拾い、最上階のレストランで夕飯を共にした。
高級ホテルの最上階だけあって、大きなガラス窓の向こうには美しい夜景が広がっていたが、二人は特に会話をすることもなく、黙々と目の前にある食べ物を消化していくだけだった。
途中、一度だけヒソカが「ハンス」について質問してみたが、が無愛想な返事をするものだから、ヒソカはそれ以上口を開くことができなくなってしまった。
それまで、ツンとしてヒソカの方を見ることもなかっただが、ある程度お腹が満たされ、デザートのティラミスが出てくるとそこで初めて口を開いた。
「ハンスのことは、別にどうでも良いの。こんな姿で、恋愛しようなんて無謀なこと考えてないわ。」
「・・・恋愛」
ヒソカはの言葉に軽くショックを受けた。
まだ、手を付けていないティラミスのビターチョコレートの味が口いっぱいに広がったように感じた。右手に持っていたコーヒーカップをソーサーに戻し、水が入ったコップを手にして乾いた喉に流し込む。
が幸せになれば良い。
そう自分は考えていた筈だ。
考えていなかったわけではない。
彼女が安心して生活できる環境を自分が整えた後、彼女が他の誰かと共に生活することや、恋人ができることだって、なんとなく想像はできたし、結婚して子供ができてしまう可能性だってあることは知っていた。
でも、できるだけ考えないようにしていたかもしれない。
だから、ショックを受けた。
彼女がボク以外の誰かを愛するなんて!
ヒソカはまるで裏切られたような気持ちになった。実際に被害者よろしく嘆き悲しみ、落ち込む事だってできたが、彼は軽く溜息をつくと頭を横にふった。
それが何の意味もなさない事を、彼は知っていた。
喫茶店の店員によるとが見初めた相手は好青年らしく、恋愛が成就されればハッピーエンドの結末が用意されていそうな雰囲気をかもし出しているらしい。
店員自身も彼に首っ丈だったようで、意味不明の言葉を羅列してしきりにその青年を褒め称えていた。
店員は彼を「王子」と呼んでいた。
痛いな、この子と思った。
好青年の代名詞のようなクラピカの姿が頭に浮かぶ。それがと寄り添って幸せに生きていくことを想像する。
・・・吐き気がした。
「だから、ハンスのことは忘れて頂戴。それより『ヒソカ』のことなんだけど」
の傍に自分以外の人間が存在することは、彼にとっては最悪のバッドエンドだった。
「は、勘違いしているようだね」
「え?」
でも同時にそれが彼女の幸せに繋がるなんていわれたら、身を引くしかないと柄にもなく思ったのも事実だった。
ヒソカにとって、は母であり、家族であった。だから、ヒソカは黒い感情に蓋をして、にとって必要で有用な真実を話そうとした。
「その姿は元に戻るよ」
「ええ?嘘!」
「ボクの言葉が信じられないのかい?」
「全く」
「・・・そう。除念してもらえば、また20歳前後の姿に戻るよ」
目を大きくするとは対照にヒソカは目を細めた。
が生き返ったのは、ニコラの念によるものだ。
10年前、の葬式が済んでゾルディック家を出て行こうとした時、使用人がヒソカに腐敗し始めているニコラの死体をどうするか訪ねられたことを思い出した。
腐敗を始めていたということは、つまりその時点で彼は完全に死んでいたのだ。
ニコラの念能力は「イエスの復活」というもので、条件はニコラがこの念能力しか使えなくなることと、
10年間の眠りにつくこと、自分の一番愛する人にしか使えないことらしいが、実は制約はもっとあった。
姿が10歳若返ること、除念師を使わない限りその姿のままであることだ。
本人から聞いたので間違いない。何故、彼がそんなことを話したのかといえば、きっとこうなる事を予期していたからだろう。
がこの世界に来たのは23歳の時、それからヒソカと6年過ごし29歳になり、眠りに付いた。
それから10年後に目覚めた彼女は39歳。何故か、年を取らない体をしている彼女は年齢が上がっても姿が変わらないため、きっと念も体の方に発動し、23歳の時点から10年若返った時の姿になったのではないかと予想できる。
にこのことを細部まで説明する必要はないと思った。
ニコラのような人間が彼女の記憶に命の恩人として、刻まれることを恐れたからだ。ニコラは、なるほど彼女を一番愛していた。何度となく助けたし、命の恩人にもなった。
そして最期はの為に死んだ。
それでも、彼はに相応しくない。
彼女の隣にいるべき人間はきっと、クラピカやハンスのような潔癖な人間なのだろう。
クラピカの場合は、これから犯罪に手を染めるから、今後その権利はなくなるが,
いずれにしろ、闇に染まってない人間でまっとうな道を進んでいる奴でなければいけない。
ヒソカはそう思っていた。
ある種、信仰に近かった。こうあるべきだ。こうでなければいけない。
彼は子供のときよりも知恵は付いたが、頭が固くなっていた。
詳細は明日話すと言いデザートを食べ終えたを部屋まで送ると、一旦自分の部屋に戻ってシャワーを浴び
少し品のあるスーツを着て地下のバーに足を向けた。
カウンターで文庫本を片手にワインを飲んでいる青年に声をかける。時計の針は午前0時を指していた。
「やあ、クロロ★待ったかい?」
「ああ、1時間ほどな。約束は11時だった筈だ」
クロロと呼ばれた男は、本をぱたりと音を立てて閉じると、ヒソカを見た。
「女か」
「10歳くらいの、ね?」
クロロの足が若干後ずさると、ヒソカはクスクスと笑いながら彼の隣の席につき、店のマスターにカクテルを2つ頼む。
「マチは参加しないのかい?」
ヒソカは、少し離れた薄暗い場所にいたポニーテールの女に声をかけ、マスターに渡されたカクテルの一つを彼女に渡す。
「あたしは、クロロの護衛兼あんたの監視」
「君に見られていると思うだけでゾクゾクするよ★」
ヒソカがふざけた様子でウィンクを飛ばしたので、マチは額に青筋を浮かべたが、
クロロに目で制され為、グラスを投げるという暴挙には出なかった。
「明日俺たちはヨークシンに発つ」
グラスに残っているワインを飲み込むと、カツンとカウンターの上に置き彼は本題を述べた。
「明日発てとは言わないが、お前も次の捕り物には参加しろ。これは団長命令だ」
「そうだね★面白そうだし、参加させてもらうよ?」
たったこれだけの言葉を交わすために1時間も待っていたのかと思うと馬鹿らしいが、組織の統制をはかるには、時にこんな面倒なことも必要なのだ。
クロロはマスターにキャッシュカードを渡すと、椅子から腰を上げた。彼は読書が趣味なのでどんなに待たされようが問題はないが、マチの場合はそうはいかなかった。「用が終ったなら、長居は無用だよ」とイライラした様子でクロロに言い、ヒールをカツカツ鳴らしながら出口に向う。
ドアを勢い良く開けると、運悪くも向こうに人がいたらしく、ガツンと小気味良い効果音が響いた。
床の下で額を押さえている金髪女性を見ても、マチは手をかさず、ふんと鼻を鳴らしてそのままホテルの出口に向った。相当、切れているらしい。
ヒソカは、そのかわいそうな女性に手を差し伸べたのだが、よく見てみると喫茶店の店員だった。「やあ、怪我はないかい?」クスクス笑いながら彼女の手を取るが、彼女の視線はヒソカの後ろ似釘付けだった。
そして、ほのかに顔を赤くし呟いた。
「・・・王子」
ヒソカは彼女の視線を追ってゆっくり振り返った。
そこには、眉間に皺を寄せて、怪訝そうに此方を伺っているクロロがいた。
「殺す必要はなかったんじゃないか?」
気付けば、店のマスターも喫茶店の店員も死んでいた。壁や床が真っ赤に染まり、辺りには無数のトランプが散らばっている。クロロは血溜まりの中に落ちていたキャッシュカードを拾い上げポケットにしまい、その場を後にした。
殺人狂のヒソカは気まぐれに弱い生物を殺す事があったが、目の前にいない弱い生物を殺そうと思うことはなかった。彼は強い生物を追う習性があったが、弱い生物を追うことはしなかった。
けれど、この時、彼は目の前にいない自分より明らかに弱い生物に初めて殺意を覚えた。気まぐれでも、なんでもなく、明らかなる殺意だった。
「・・・」
が人を愛した。
ヒソカと同じ汚くて醜い人間を愛したのだ。彼は絶望にも似た感情を抱いた。
酷い裏切りだと思った。コロシテヤリタイと、思った。
彼は自分が抱いている感情に戸惑いを覚えたし、信じられなかった。
なんとかして気持ちを落ち着かせようと、その夜、彼はホテルを出て朝日が昇るまで「狩り」に勤しんだ。
夜の繁華街は賑わっており、何台もの救急車が道を通ってもそれを気にする人はいなかった。その騒々しさの中に、消防車のサイレンの音も混ざっていたのだが、誰も耳に止めるものはいなかった。
その消防車が辿り着いた建物が、
のいる高級ホテルだということをヒソカが知ったのは、太陽が南の空に到達する頃だった。