いつものようにホテルの部屋でパソコンをいじっていると、ドアの向こうから悲鳴が聞こえてきた。
何事かと思い、パソコンを閉じ、廊下に出ようとドアに手をかけると、扉の下の隙間から煙が入ってきていることに気付いた。同時にジリリリリリと、火災報知機のけたたましい音が鳴り、火事だということをその場にいる人間に知らせた。
「おせーよ!」と思ったのはきっとだけではなかった筈だ。
は状況を理解すると、腕にあったゴムで肩まで伸びた髪を結び、シャワールームにいき全身に水を浴びた。
ずぶ濡れの状態でクローゼットからカバンを取り出し、そこにパソコンと財布をいれる。
窓を開けると、下には消防車が既に待機しており、オレンジ色の隊服を着た人たちがホテル利用客の救出に向っている。
しかし、にはなんの慰めにもならなかった。なんたって、ここは最上階だ。
消防車の梯子は届かない。
曇った空を見上げてみるが、煙に覆われて、ヘリコプターが近寄れない状況にあることは一目瞭然だった。
もう一度、下に目を向ける。地下のバーから火が出ていることを知り、頭の端で、ホテルの東側に位置するエレベーターが使えるかもしれないと考える。
真っ赤に燃える炎が、目を焦がし、同時には同じ色の髪を携えた少年のことを思い出した。
「・・・ヒソカ」
濡れて額に張り付いている前髪を手で撫でた。
「やっぱ、会いたいな」
死ぬかもしれないと本気で思ったとき、彼を必ず思い出す。
にとって、彼は特別だった。知らない世界で、必要とされたことは彼女にとって救いだった。存在意義を与られたことで彼女はこの世界で生きることが出来たのだ。
は濡れた頬を手で拭い、避難経路を探そうと部屋を出た。考えることは皆同じで、エレベーター前には十数人の人間が既にいた。
最上階だけあって客層は富裕層。最上階のための1階直通のエレベーターが用意されていて、非常に広くて豪華な内装になっている。勿論、最上階にいる人間全員が乗るためのものではないが、収容面積は普通のエレベーターの5倍はあった。
エレベーターが来るのを待っている際、は一際目だって背の高い女性に声をかけた。
筋が通った鼻は高く印象的で、典型的な西洋人の容姿をしている女性は服装もゴージャスで、胸元があいたドレスを着ていた。
「煙は上のほうに行くので、しゃがんだ方が良いですよ」
ショートカットの金髪を携えた女性は声の主を探して辺りを見回した。
「すみません。こっちです」
子供がそんなことを言うのは予想外だったのか、
もしくはの声のトーンが若干大人びていたのか、
女性は視線を下に向けてを見ると意外そうな顔をした。
「貴方は、背が高いので余計煙を吸ってしまうと思うんです。
しゃがむのが嫌であれば、椅子に座ってください」
はエレベーター付近にあるソファを指差した。女性は始めこそ驚いた表情をしていたけれど、に悪意がないと分かると優しい目をして、静かに頷いた。そこから、二人はエレベーターが来るまでの間何となく話し始めた。
「誰かをお探しだったんですか?」
「なんで、分かるの?」
「ホテルに泊まっている人たちは、大き目のカバンを持っていますが、貴方は何も持っていらっしゃらないので。
それに私は結構長い間、ここに留まっていたので、最上階の人たちとは顔見知りになっているんです」
「正解よ。ちょっと、仕事のことで用があったんだけど、部屋の番号が分からなくて困っていたのよ。」
「そして、困っていた所に火事が起きた、と」
「そう、確か4404か4405だったんだけど、ね」
女性は美しい眉をこれまた美しく歪めて、小さく溜息をついた。
「だったら、4404室だと思いますよ。4405室は私の部屋ですから・・・」
は、そこまで言って、口を閉じた。
そして、女性を足のつま先から頭の髪の毛までじっと見た。チーンと安っぽいエレベーターの音が鳴る。
それまで微動だにしていなかった人間が我先にとエレベーターに乗り込んでいった。
と女性もソファから重い腰をあげ、エレベーターに向った。
女性が乗り、が片足をエレベーターに置いた時、ビーと無情にもエレベーターが悲鳴を上げた。
重い空気が辺りを支配した。
はエレベーターの中にある『閉』のボタンを押してから、素早く片足を引いてエレベーターから降りた。最後に女性が驚いた表情をしているのが見えた。
完全にエレベーターのドアが閉まって、それが下に下がっていくのを見届けると、は小さく溜息をつき、それから、大きく叫んだ。
「パクノダじゃん!!あれ、絶対パクだよ!!!パク!!胸デカ!」
やや興奮気味に叫びながら、は底の見えない非常階段を下っていった。
4404室はヒソカの部屋だ。そんな物騒な場所に訪ねてくる奴なんて、旅団関係者かゾルディック家関係者しかいない。そして、さっきのは確実にパクノダだった。何故か?女の感だ!
は旅団に関して嫌な印象しか抱いていないが、あのメンバーの中でパクノダだけは好きだった。
基本的には残酷で無情なのだろうが、クロロを思って命を投げ捨てた彼女は原作の中で輝いていた。
いや、勿論作者が輝かせたんだろうけど。
自己犠牲が良いとは思わないが、はそういう話が好きだった。
お涙頂戴ものの映画や小説、漫画やアニメには必ず涙を流すタイプだ。
現に彼女は漫画でパクノダが死ぬシーンを何度も読み直している。あまり趣味が良いとは言えない。
階段を降り続けてホテルの裏口に辿りついたは、体力だけはあるんだから最初から非常階段使えばよかったなんて思いながらも、安堵の溜息をついた。
煙や炎の熱気により、濡れた服は完全に乾いており、ところどころ煤が付いていた。ホテルから離れた所にある公園の水飲み場で、汚れを落としていると、サングラスをかけた黒いスーツを着た男に声をかけられた。
「大丈夫?」
「どちら様?」
「安心して、お兄さんはね。飢餓や貧困に苦しむ子供たちを助けるボランティア団体の人だよ」
デジャヴュだった。