目が合った瞬間、背中に電流が走った。
見間違えるはずもなかった。私は、彼女に見覚えがあった。
39歳には、どこからどう見ても思えない容姿を、無視することができる程、彼女の存在は特別で異質で、唯一無二のものだった。よく当たると仲間内から定評のある私の直感はその時本領を発揮し、彼女が何者なのかを瞬時に自身に悟らせる役目を果たした。
私が彼女に出会え、彼女の姿が変わっていたのにもかかわらず、彼女の存在を認識することができたこと、それだけでも奇跡的なことだったのだけれど、奇跡は二度おきた。
目が合った彼女は私の顔をじっと見ると、「・・・あの時の」と呟いた。
溢れ出す涙を止める術など知らなかった。私は彼女の元にかけよって、クロロの手を払い力いっぱい抱きしめた。彼女は「・・・マチだったんだ」と小さく呟き、戸惑いながらも、そっと抱きしめ返してくれた。涙で目の前が霞み、彼女の表情は良く見えなかったけれど、困ったように笑っていた。この時の私は、すっかり動揺していて彼女が私の名前を知っていたことについて疑問を持たなかった。
クロロがネオン=ノストラードから盗んだ予知能力で旅団のメンバーの未来を占っている間、旅団のメンバーはしきりに「このうえなく胡散臭い自称39歳の少女」を気にしていた。何のために彼女がここにいるのか、図りかねていたからだ。
彼女のことをクロロとマチが命の恩人だと崇め慕っていることが分かった。
いつからここは危ないオカルト集団に変わったんだ。
シズクとシャルナークはもともと彼女を仲間に引き入れようとしていたらしい。
見るからに弱い少女を、少し勘が良いからといって引き入れるなんて言語道断だ。
そう、ツッコミを入れていたのは、フィンクスだったか、ノブナガだったか。
そのほかの上記以外のメンバーも彼らと同じ心境で、特にメンバーの中で一番神経質で弱者に厳しい性格の持ち主であるフェイタンは、の存在を怪訝に思い同時に非常に疎ましく思った。
フェイタンは新参者に対して敏感で、新しいメンバーが来る度に揉め事を起こすのだが、今までの人間は旅団のメンバーとして団長に認められる人物で最低限の能力を身に付けていた人間が入団していたため、相打ちですみ大きな問題に発展することもなかったのだ。メンバー同士で意見が割れたときはコインで決めるというルールがあるのだが、彼がそれを守ることはあまりなかった。
それに、揉め事があれば、すぐに第三者が立ち入り止めてくれていたのだ。しかし、今回は勝手が違う。揉め事を起こす隙を与えられないどころか、先ほどから、三人の人間に見張られているような気配を感じとり、彼は不愉快感を抱いていた。
少女の隣にいるマチ、それから占いの解説をしているクロロ、そして、これが一番禍々しい念を帯びているのだが、あのヒソカが、少女が現れた頃からずっと自分を警戒している。ヒソカに至っては、彼が少女に近づけば、否応無しにその手元で弄んでいるトランプを投げつけてくることが予想できた。一体、何事だ。
握り締めていたナイフを手放し、腕を組んで、クロロの大して面白くもない解説に耳を傾けるが、どうしても視線は幼い少女へと向く、フェイタンは小さく舌打ちした。
丁度ノブナガとヒソカが言い争いになっており、クロロがそれに対して「止め」を言った時だったが、マチによって瓦礫の上に座らされた少女は、大量の汗を流しながら、それでも目に宿る光を失わずに事の成り行きを見守っていた。時折言葉を呟くが、読唇術でそれを拾っても「名シーンだ」などとよく分からないことを口にしている。彼女の雰囲気、動作、表情、全てが癪に障った。
「赤目の客、鎖野郎は最低でも2つの能力を有する敵だ。1つはウボォーを捕らえた時の能力。もう1つはヒソカの言動を縛っている能力」
クロロがヒソカの体内に敵に仕掛けられた「掟の剣」たるものがあると仮定し、彼が鎖野郎と面識があるが、相手の容姿や居場所を話せないことを推測すると、ノブナガは黙ってクロロの意見に耳を貸した。シャルナークも彼と同じ意見のようで、彼らがタッグを組んで説明してくると、その推測は根拠が無くとも、なんとなく確信にせまるように思えてくる。なんといっても、旅団のトップとブレーンが語る言葉だ。確証がなくとも信用せずにはいられない、それだけの実績が彼らにはあった。
けれど、この時、フェイタンは彼らの判断に疑問を抱いた。彼らの判断というよりも、彼らのヒソカに対する認識の甘さと評価に対して、首を傾げたのだ。しかしながら、フェイタンに同意してくれるメンバーはいそうになかった。
それはそうだ。蜘蛛の「頭脳」は、彼らで、それに疑問を持つ者などいないのだ。よせるのは統率者への絶対的な信頼であり、それ以外は組織に必要ない。だから、フェイタンも、いつも通り自分の心の内にわいた疑問に目を瞑ろうとした。その時だった。少女は彼が今まさにクロロとシャルナークに抱いていた感想を呟いていた。
「妄想癖炸裂」
読唇術を使っていたならば、誰もが彼女に刃を向けただろうが、不幸か幸いかそれを見たのはフェイタンだけであった。彼は眉間に寄せていた皺をさらに深く刻んだ。
意味不明とも思われる占いを解読し終わったクロロは、アジトに戻らず、この場に留まることをメンバーに言い渡していた。各自、ホテルや野宿など適当な寝床を探し、明日の仕事に就くはずなのだが、ここでクロロとマチが少女の寝床についてもめた。
「彼女は連れてきた俺が面倒をみる」
「はこう見えても成人しているんだから、団長と一緒に寝れるわけないだろ」
「・・・分かった。ここは、公平にに決めてもらおう。」
クロロがを期待するような目で見ると、彼女はマチに向かって頭を下げた。
「マチさん、不束者ですがよろしくお願いします」
即答だった。
頬を少し赤く染めたマチがうれしそうに笑い少女の手を取ってその場を離れようとした時、ノブナガと討論しながらも、今までフェイタンを警戒していたヒソカがマチのほうに意識を向けた。
「どこのホテルに行くんだい?」
「アンタには絶対に教えない」
ヒソカはマチの冷たい言葉に対して、いつものように下品な笑みを浮かべて「つれないなぁ」とは、言わなかった。ただ、遠ざかるマチと少女の背中を見ていた。
それに違和感を覚えたのはフェイタンで、同時に彼は少女の肩にいつの間にかついていたバンジーガムにも気づいたが、口端を持ち上げるだけでヒソカにその行動の意味を問うことはしなかった。
フェイタンはヒソカが自分と似た気質と狂気を持っていることを知っていたし、そういう人間がどういう行動に出るのかの予想が容易についた。目障りな人間は殺す。それが自分たちの習性であり、抗えない習慣でもある。フェイタンは、明日にはもういないであろう少女の存在について考えることをやめ、今夜の寝床を探しにその場を離れた。彼はヒソカの残酷さだけは買っていたのだ。
はホテルの一室でシャワーを浴びながら、旅団の全メンバーにあってしまった自身のものすごい運の悪さと、それでもなお未だに生きているという運の良さについて思いを馳せていた。旅団と行動を共にするなんて、いくつ命があっても足りないけれど、聖書だけはクロロから取り戻さなければならない。もしかしたら、元の世界に返る手がかりが載っているかもしれないし、それ以上にただ知りたかった。今の状況とそれに至るまでの根拠ある理由を。
バスタオルを温まった体に巻いてバスルームを出ると、化粧台の前にある椅子を引いて座る。鏡が蒸気で白く曇り、自身の表情はあまり見えなかった。
化粧台の上に置いてあった服を退けて、ドライヤーを取った時、カツンと金属部品が落ちた音がしてそちらに目を向けると、指輪が転がっていた。昔クロロがホテルに落としていったものだということに気づいて拾い上げてみる。鈍く光を放っていたように思えたその指輪は、何故か、今はとても綺麗に光り輝いている。は、少しだけ、と自分の中指にそれを嵌めてみた。
グラリと一瞬意識が遠のくのを感じたが、髪の毛から冷たい水が滴ると、はっとしてホテルに付属するドライヤーで冷たくなった髪を丁寧に乾かしていった。ブオーと耳障りの悪い機械音が頭に響いて、は眉間に皺を寄せた。
夕食をレストランで取ろうと言ったマチに対して、が首を横に振ったため、彼女は今ホテル一階にあるコンビニに軽い食べ物を買いに行っている。は彼女を見た時、すぐに彼女がクロロとホテル一階の喫茶店でお茶を共にしていた女性だと気づいた。
それで、「あの時の・・・マチだったんだ」と呟いたのだが、マチの話を聞いているとどうも自分は彼女と遠い昔に会っていたらしくて、動揺を覚えた。けれども、四面楚歌の状態で心強い味方になってくれることは間違いなかったので、訂正はいれなかった。彼女は今のの状況を話すと、親身になって話を聞いてくれたし、クロロから聖書を取り戻してを安全な場所まで逃がすという約束までしてくれた。
彼女の善意を利用する形になってしまい罪悪感を抱いたが、なりふり構っていられるような余裕がないことを言い訳にして、彼女の言葉に素直に甘えることに決めたのだった。
真っ白に曇っていた鏡が、だんだん本来の役目を果たすようになり、最終的には自分の姿を確認できるようになるまで鮮明になったが、そこで彼女は息を呑んだ。
「やあ、元気にしてたかい?」
「・・・ヒソカ」
が落としそうになったドライヤーを、彼女の手に自分の手を添える形で持ち上げ、彼女の髪をもう片方の手で整える。ドライヤーの音量がいくら高くても、自分の心臓の音が耳について離れない。
この間、ハンター試験後彼とホテルで過ごしたときは、こんなにも心臓が圧迫されるような感覚は抱かなかったし、こんなにも汗を噴出すようなこともなかった。何がどうなったのかわからないが、彼の中で自分への認識が変わったのはにも分かった。ハンター試験の最中に向けられていた殺気と同等の、いや、それ以上に禍々しい気を放っている。
「クロロと一緒にいたんだね。楽しかったかい?」
ヒソカからの聞いたこともない重低音の声に、は先ほどまで火照っていた体が冷えていくのを感じ取った。唇が震え、歯がカチカチとなり、鏡に映る自分の顔は真っ青で、第三者が見たらどうしてバスタオル一枚でいるのか分かりかねる程だった。目尻に涙が浮かんで、それを止めようと唇を強く噛む。
「、泣かないで」
鏡越しに二人は目を合わせ、ヒソカはの目元にポロと流れた涙を舐めとった。
「ボクは君を怖がらせたいわけではないんだ。わかるかい?」
いや、わかんないから!ってか、怖いから!否定の言葉を叫べる筈もなく、は両手で顔を覆って視界を防ごうとした。今のヒソカは、あまりにも怖かった。いつも不気味な笑みを携えているピエロが、今は無表情でサーカスの終わりを、喜劇の終わりを告げているようで、それはさながらホラー映画の見せ場にありそうなワンシーンのようで、酷く恐ろしく思えた。
「、ボクがここから逃がしてあげる」
ヒソカはの髪から頬へ手を移動させて、優しくなでた。鳥肌を立てながらも、抗議をせずは息を潜めて、彼の様子を鏡越しに見守っていた。マチが1秒でも早く帰ってくることを祈りながら。
「それとも、クロロの傍にいたい?」
首を横に振る前にヒソカはの頬から首、首から鎖骨まで長い指を撫でる様に馳せて、肩にかかっていた髪を丁寧に掬った。その時、彼は息を呑んだ。そして、ゆっくりと、彼女の胸元に人差し指を添えた。
そこにはクロロが付けた赤い花があった。
「彼と寝たの?」
首を思いっきり横に振った。生死が関わる質問だと本能が理解した。そして、ヒソカの目を見た時その本能は自身の死を悟ったように、ぷつりとその機能を果たさなくなった。ヒソカは髪を引っ張って、を椅子から立たせガツンと大きな音を立てて壁に押し付けた。頭が真っ白になった。
「嘘はいけないよ」
ぐっと髪を引っ張られ、顎を上に向けられると否応無しにヒソカと目が合う。狂気に満ちた赤黒い目。見ただけなのに、むせ返るような血の匂いが鼻を掠めた気がした。
ヒソカがバスタオルに手をかけた瞬間、は初めて抵抗を見せ、彼は眉を顰めた。
「クロロには見せたのに、ボクはダメなのかい?」
彼はの目を睨むようにして見て、髪を引っ張っていた手を緩め、両手をの首に持っていく。
「クロロには触らせたのに、ボクは嫌なのかい?」
親指にどんどん圧力がかかり、の首を圧迫していく。
「クロロには愛させたのに、ボクは拒否するのかい?」
死ぬ。そう確信した、その時だった。首から手が離されたと思ったら、目の前が真っ赤に染まった。支えがなくなった体は床に落ちていき、は頭を強く打った。そして彼女の目の前に、ヒソカの両腕がゴトリと落ちたのだった。最後に覚えているのは、銀色の糸の光だけだった。
「1億ジェニー、振り込んでおいて」
とマチが泊まっているホテルの屋上でヒソカは先ほど本体から切り離されてしまった腕をマチの念糸縫合で再び付けてもらっていた。満月が彼らの顔を照らす。
「君が腕を切ったのにかい?」
「腕を切られたのがアンタで、繋いでもらったのもアンタなんだから、支払い義務がアンタにはある」
糸をしまい、ヒソカを睨み付けたマチは、のいる部屋に向かうため、ヒソカに背を向け階段まで歩いた。降りる前に足を止めて、彼女は彼に忠告する。
「・・・ヒソカ。今後に危害を加えたら、その時は蜘蛛の掟をやぶってでもあたしはアンタを殺す」
ヒソカの返事を聞かずに、彼女はハイヒールをツカツカ鳴らして、階段を降りていった。
彼女の姿が見えなくなると、ヒソカはほっと息をついて自分の両手を見た。そして、ツーと米神から顎を伝って落ちる汗を拭うと、もう一度息をついて両手で顔を覆った。
何故、あんなことを言ったのか。何故、冷静でいられなかったのか。
何故、彼女の隣にいる人間が、クロロだと許せないと思い、同じ穢れた人間であるのにマチは妥協できたのか。何故、母親のように慕っている彼女を憎み殺そうと手にかけたのか。
考えるまでもなかった。
聡い彼は初めて知った感情でも、それが世間一般的になんと呼ばれる感情か理解した。それは彼にとって苦痛以外の何ものでもなかった。
彼の望みは、を幸せにすることだ。そして、彼が抱いた感情はそれを阻害するものでしかなかった。彼は自身が好きなように生きてきた。我慢する経験などなかった。彼は自分が本能で動く人間だと理解していたし、それで良いと思っていた。
相反する二つの願望の、新たに浮上した一方の感情が一方に勝った時、が不幸になるだろうと言う事が容易に想像できた。それだけは、避けたかくて、できれば、この思いに気付かなかったことにしたかった。
けれど、もう既に遅いと本能が告げていることも彼は知っていた。
彼はもう一度ため息をつき、満天の星を見上げた。
初恋は、男の一生を左右する(モロア)