有為転変

54 / 不眠不休


最初に嘘をついたのは私だった。
大丈夫だよと、安心させておいて、奈落の底に突き落とした。











意識を失ってすぐ、その意識が浮上してくるのを感じた俺は、反射的に右手で額を抑えた。薄く目を開くと、ゴツゴツとした成人男性の手を視界が捉え、どうしてか分からないが、もとの体に戻ったことを瞬時に悟った。と、同時に、周囲に広がる光景に眉を顰めた。


部屋は真っ赤に染まっており、肉塊と大量のトランプが無造作に散らばっていた。足を一歩動かすと、目玉でも踏んづけたのだろうか、ぶちゅっと嫌な音がした。気に入っている靴だったのに、と思いつつ目の前にいる男と目を合わせる。

まさか、この快楽殺人者はこの光景をに見せたんじゃないだろうな?そう思い至ると、腸が煮えくり返るような憤りを感じた。見境の無い道化師め、どうしてくれよう。ヒソカは目が合うと、もともと切れ長の目を更に細め、口を弧に描いた。




「分かったかい?」


「いや、分からない」




彼がと一体何の話をしていたのか分からなかったので、とりあえず、素直に何を言っているのか分からないと答えたのだが、その瞬間、無数のトランプが飛んできた。


団員が団長に刃を向けるとは、どういう了見だ。

突然のことで、最初の何枚かは避けきれず多少のかすり傷を負ったが、すぐさまスキルハンターを出し、応対する。




「なんのつもりだ」


「それは、こっちの台詞だよ★」



顔こそは、いつもと変わらぬポーカーフェイスだが、まとっているオーラが決定的に違った。禍々しく、おどろおどろしい、同じ空間にいるのが嫌になるほど邪悪な空気を醸し出している。



「まさか、と一緒になろうなんてふざけたことを思っていないよね?」



具現化したトランプを右手から左手に慣れた手つきで流していく様子を見ながら、間合いを取る。近距離戦は向こうの方が有利だ。



「穢れた思想を持ったあなたがその卑しい手で、に触れるなんてボクは許さないよ?ああ、考えるだけでも、おぞましい」


「ハンター試験の話は聞いているが、試験官ごっこの続きか?」



俺はお前の「ごっこ」に付き合っている暇はないぞ。そもそも、 何の権限があって、お前が俺との関係に口出しするんだ。そう言おうと思ったが、話の通じる奴でもないので、口を噤むことを選んだ。言葉が通じても分かりあえないのは悲しいことだが、その為に世の中には暴力がある。武力行使は、相手を頷かせる方法としては非常に有効な術だし、どちらか一方の主張が通れば、それは形だけでも「分かり合った」ことになるのだから。

ヒソカはクスクスといつものように薄気味悪く笑ったが、その目がいつもに増して光を放ち、いつも以上に狂気を含んでいるように感じた。







「クロロ、あなたは失格だ★」




そして、すっと目を細め、無表情になると莫大な量のトランプを具現化した。それから、ニタリと笑った。 下品な目つき、今にも涎を垂らしそうなしまりの無い口元、獲物を狩りにいくような獣染みた表情で、俺を見据えるのは、もはや人間といっては憚られる生き物だった。

化け物め。




「言っておくが、お前は人間失格だ。」


トランプが空を舞う前に、俺はスキルハンターのページを捲った。







それから、マチが現れるまで、俺たちは戦闘を続けていた。 ヒソカは戦いの邪魔をしたマチも殺しそうな勢いであったが、彼女がの所在を聞くと、ぱたりとトランプを消し、それから、ズボンのポケットから携帯取り出すと、その場を後にした。そして、その場に残った俺は、血に染まった部屋で一晩中マチから説教を食らうはめになった。

世の中間違っていると、時々思う。























「そんな、まさか」

受け取った封筒から写真出して愕然とした。そこに写っていたのが先程まで顔を合わせていた人物だったからだ。とても信じられなかった。それは、あまりにも非現実的な事のように思えた。

ヒソカが、原作のヒソカと同一人物だったなんて、一体どうして信じられるだろう。だって、ヒソカは、だって、だって、あの子は、・・・あの子は?

血の気が引いた。恐ろしくなって、私は考えることをやめた。
そうだ。自分が今すべきことが他にある。
まずは、クラピカに会わなくてはいけない。それからだ。それからにしよう。彼について考えるのは。大丈夫、何かの間違いだ。大丈夫。そんな筈無い。いや、あってはいけない。それが、事実だとすれば、私はとんでもない過ちを犯したことになる。本当に、許されないような重大な・・・、いや、きっと手違いに違いない。とりあえず、クラピカが最優先事項だ。









ミルキ君の許可を得てゾルディック家にあったナビ付きの赤いスポーツカーを借りると、私はリンゴーン空港に向かった。

ペーパーどころか、こっちでは運転免許すら持っていない。これで、私もめでたく犯罪者の仲間入りだ。警察に捕まったらどうなるんだっけ?こっちの世界の法律なんて勉強してないけど、罰金じゃすまなかった気がする。懲役食らったらどうしよう。嫌な汗を手にかきつつ、アクセルを思いっきり踏んで、コーナーでは力いっぱいハンドルをきる。キーとかガリガリとか、金具独特の嫌な音が耳に入ってくるが、この際全て無視だ。ミルキ君には借りるって言ったけれど、弁償させてもらおう。目的地に着くまでに、ボロボロになっているであろうスポーツカーを想像して、私は小さく笑った。

小学生の時、無意味に走らされた100メートル走を思い出す。あの頃は、手抜きなんか知らなくて何もかもに一生懸命だった。器用に物事を消化していくことを覚えてしまった大人になってからだった。自分の限界を決め、楽な道を選び、保身に徹する。決して悪いことではないと思うし、人生は長いから、そういうことも必要かもしれない。けれど、大事な時に立ち上がることのできない人間になることだけは、避けなくてはならないのではないか。あの子のことを思い出して、そう思った。


「クラピカ、待ってて」


10年前、私はあの子が自身を守るために、人を殺すのを私は許容していた。きれいごとを並べて、慈善事業なんかに手を出して、たくさんの賞をもらって良い人ぶって、でも本当は周りの大人と同じで不都合なことは見てみぬふりをしていた。どうしようもないことだと、そう自分に言い聞かせた。どうにかする努力を怠っていたのは明白だった。

精神的に余裕のある大人が、子供の分まで考えてやらなければならなかったのに。



土砂降りの中、ウィンカーが忙しなく前を動き視界が悪くなる。空港の裏門の閉められているガレージにスピードを出して突っ込み、第三航空路に向かう。途中、タイヤがパンクした音が聞こえたが、アクセルを踏み続けた。




飛行船の中に荷物置場から入り込んだ私は、薄暗い廊下を走っていた。窓の外は未だ土砂降りのようで、船の中には雨音と気味の悪い機械音が響く。雨のせいで服が肌に密着して気持ちが悪かったが、そんなことに構っていられなかった。廊下の突き当りを曲がると大きな扉があり、そこを思いっきり肩に重心を置いて開く。安っぽい金具の音が部屋に響き渡り、室内を覗いて私は息を呑んだ。




「そんな、まさか」



信じられない光景を目にして、足がすくんだ。全身から汗が噴出す。これから、起こりうる最悪の事態を想定して、心臓が早鐘を打った。辺りは薄暗く、長いコードがビッシリ壁を覆っている。幅30センチ程の通路には幾つものアタッシュケースが積まれていた。間違いない。













道に迷った。



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