高い丘の上、そこは風が酷く強くて、人よりも耳の良いセンリツにとって、正直あまり長いしたい場所ではなかった。ことに、クラピカと蜘蛛の頭の心音は聞くに堪えないものだった。今まで聴いたことの無いとても悲しくて、奈落の底に連れ込まれてしまうのではないかと案じるほどの酷い。それは、救いようの無い孤独と絶望的な覚悟が支配している人間の、耳を塞ぎたくなるような心音で、普段から人の感情を否応無しに読み取ってしまい、感受性という機能を意識的に排除している彼ですら、泣きたくなるようなものだった。
「大丈夫。何もされてないわね」
「よし!!交換開始だ!!」
キルアの心音を聞いた後、クラピカに彼らの安全を告げると彼はほっと息をついた。
クラピカは勿論のこと、蜘蛛の頭にも安らかなる日々が訪れることを祈らずにはいられなかった。貴方たちが何もかもを諦めてしまうほど世の中は捨てたものではない、そう言ったら、彼らは鼻で笑うかもしれないけれど、他者に耳を傾けることも覚えた方がいいと思う。
順調に進んだ取引は万事が上手くいくはずだった。それこそ、当初の計画通り、クラピカは蜘蛛に制裁を加えることができ、一時的かもしれないけれど彼らの活動を滞らせることに成功した。彼は納得していないようだけれど、それでも一応の決着が付いたように思えたのだ。
しかし、思わぬ所に、穴があった。
それは、丁度、ゴン君とキルア君、蜘蛛の頭が、私たちが立つ丘の中央まで歩いた時のことだった。ドカンと大きな物音がその場を支配した。
「う、うわっ!!」
砂埃が舞い、視界を遮ったと同時に、レオリオの悲鳴のような声が聞こえ、クラピカの心音が激しくなった。近くにいた私とクラピカはかろうじて互いの姿が見え、私たちは目配せをして警戒した。焦燥感が体を支配した。向こうの飛行船から、聞こえてきたなら分かるが、音は間違いなく自分たちの背後から聞こえたのだ。そして、レオリオの悲鳴が決定打になった。彼の安全を確認したくとも白く舞い上がる砂埃が邪魔で、身動きが取れない。
まさか、私たちの飛行船に蜘蛛の仲間が最初から乗っていたなんて、考えもしなかった。盲点だったわ。
いまだ人質交換が済んでいない状態で、攻撃されればこちらが不利になるのは明らかだった。キルア君とゴン君は無事だろうかと考えて、冷汗が背筋を伝う。全滅、の二字が頭を支配する。クラピカの高鳴る心音が、自分の心音と重なり合って、酷いリズムを生み出す。
が、次第に視界が開けていくと共に、心音が高鳴っているのはクラピカと自分だけでないことを知った。しかも、よくよく耳を済ませてみると、ゴン君とキルア君の心音が穏やかで、先ほど大きく心音を響かせたレオリオも普段通りのものになっていることに気付く。
逆に、意外な人物たちの心音が荒れはじめており、それは私を混乱させた。
どういうこと?どうして、彼らが、今まで何の感情もないように、何の変化も無かった心音が劇的に変わった・・・恐怖と虚偽の不協和音。なんて、不安定な・・・
全身の毛穴が開くような、そんな感覚を抱いた。額から流れる汗が目に入って、私は目を瞑ったが、耳は自分の意思と関係なく無く心音をすくう。
蜘蛛の頭と道化師の心音がガンガンと頭に響く。
何、一体何が起きたって言うの!?
砂埃が風に流されて、視界が鮮明になると、そこには血だらけのレオリオに土下座している女性がいた。
って、・・・誰。この人。
私はクラピカに視線を移したが彼自身、よく分かっていないようで鎖を構えている。
黒髪黒目の扁平な顔をしたその女性は、汗だくで、その腕に金属部品を抱えており、レオリオに謝った後、立ち上がって私たちにも謝り始めた。私とクラピカが困惑の表情を浮かべて、うんともすんとも言わずにいると、涙を目にためて、もう一度土下座をした。なんて、腰の低い女性なの。
彼女が指差した方を見てみると、飛行船の一部がごっそり破損していて、彼女が言うには、飛行船に乗ったのは良いが中で迷い、出口が見つからず降りられないでいたらしい。どうしようと嘆き悲しんで、ついつい壁を叩いてしまったら、壊れてしまったらしい。
どうしよう。すごい胡散臭い。どう見ても嘘っぽい。
けれど、心音が「本当」だと告げていて、私はさらに困惑した。
彼女の不自然な話しが本当であると、クラピカに伝えたら私の信頼とか信用とかが失われそうな気がしたから。取引はもう最終段階に入ったというのに、何てはた迷惑な人なのかしら。あと、もう少し、飛行船の中で迷ってくれていたらよかったのに・・・。と、何気に失礼なことを考えていると、ゴン君とキルア君が私たちの方に到着した。そして、驚くことにゴン君は彼女の知り合いのようで、女性のもとにかけていった。彼が発した彼女の名前を聞いて、私以外の人たち、特にその女性は一際大きく心音を高くした。
「さすが物語の主人公!!どんな姿になっても、私のことが分かるのね!」
ゴン君はきょとんとして、匂いで分かったよ、と完結に理由を述べたが、女性はあまり耳が良くないのか、聞いていないようで彼を強く抱きしめていた。
その時だった。突き刺すような殺気が放たれ、数枚のトランプが私たちの首元を掠めた。
「彼女を置いて、さっさと飛行船に乗ることを強くお勧めするよ★まだ、死にたくないだろう?」
今まで、傍観者に徹していた道化師が口を挟んだことにも驚いたが、それ以上に、彼から聞こえる心音に私は唖然とした。それは確かに不協和音だけれど、けれど、先ほどまでと明らかに違うとても人間らしい、戸惑いと困惑、焦燥といった感情から生まれる音だった。
女性と言葉を交わしたレオリオがゴン君の腕を掴むと、キルア君とクラピカ、そして私に目配せをして飛行船に乗っていった。私は、彼女のことが心配になったけれど、レオリオが彼女をその場においていっても良いと判断したならば、きっとそれは正しい選択なのだろうと根拠も無く思えた。ゆるやかで広がりがあって暖かい彼の心音は、この町であった誰よりも良い音をしていたから。
私が彼女の隣を横切って、飛行船に片足をかけた時だった。取引を終えて、人質が助かったため先ほどよりもずいぶん沈静化していたクラピカの心音が、蜘蛛の頭と話していた時と同じほど、荒れた。驚いて振り返ると、彼が彼女の頬を叩いているところだった。それから、彼女を突き飛ばし走って飛行船の中に入っていったクラピカを唖然として見ながらも、すぐに我に返って彼の後を追った。
「彼をよろしくお願いします」
背後から放たれた言葉に、私は胸が温かくなるのを感じた。
風が吹き荒れる丘の上で、飛行船の機械音が追い討ちをかけるように私の耳を傷めていたけれど、その言葉は、とても優しく耳に響いた。私が飛行船の中に入ると同時に船は動き出し、窓から見える彼女は次第に小さくなっていった。クラピカは窓に手を置き、外を見ていて、その表情は隠れて全く見えなかったけれど、私には耳があるから、それはあまり関係ないことだった。
「センリツ、私の心音はどうなっている?」
女性は、彼が蜘蛛を誰も殺していないという事を話し、そして、彼にもう二度と失いたくない大切な者たちができた事を祝福したらしい。
「とても」
彼の心音は今とても複雑な音を出していて、一言にこうと言えるものではなかった。いえ、感情とは往々にしてそういうもので、言葉にできないものの方が圧倒的に多い。心音を「感覚」で捉えて、それを「言葉」にするのは私だから、私の言葉を聞く人はそれを真実だと思い込むけれど、実際は多少歪曲してしまうこともある。
そして、その時私は彼が抱いている様々な感情の一つだけをすくって、口にした。
「穏やかよ」
彼は複雑そうな顔をしていたけれど、私は嘘を言った覚えは無かった。
人を殺して平気な人間ではなかった。例え、一族の敵であっても、例え憎悪の対象であっても、彼にとって人の命とは尊く重いものだった。