「イルミ、話が違うじゃないか★あの家の地価が、国家予算並みに釣り上がったっていうのかい?」
「まあ、そうだね。もし、どうしてもあの家が欲しいなら直談判しかない」
「購入者は油田発掘地と間違えているんじゃないのかい?」
「ヒソカ、現実的な話をしよう。君の全財産より高値で家を買った人がいる。これが事実だ。そして、正当な手段で家を手に入れるのは難しくなった。これも事実だ。それをまず認識してね。どうする?殺しちゃう?」
イルミがいつものトーンで、コンビニ行く?みたいなノリでこっちに問いかけてくるが、その時、ボクは笑って頷けるほど余裕が無かった。柄にも無く焦っていた。どうしても正当な手段で、と過ごした家を入手したかった。あの神聖な家を血で染めたくなかったし、唯一のとの思い出の場所を穢れた方法で手に入れたくなかった。
「・・・いや、交渉するよ★」
眉間に皴がよっていることを自覚しながら、しぶしぶそう言うと、イルミはボクがそう言う事を予め分かっていたように、何の表情の変化も見せずに頷いた。ゾルディック家に訪れる際、必ず使う部屋は最近うるさい持ち主がいなくなったため、とても静かだった。
「じゃあ、早速今日の午後にでも行きなよ。土下座して頼めば譲ってくれるかもしれない。アポは取っといてあげるよ。君のメールだと、絵文字が多くて相手に不快感を与える可能性が高い」
彼の酷い物言いに、自分の片眉がピクリと跳ねたことに気付いたが、イルミに文句を言わず、そのままゾルディック家を後にした。ミルキ以外の弟が家から離れてしまい、気が立っているのだ。そっとしといてやろう。
あの日、ヒソカはと喫茶店で別れた後、「ヒソカ」からのプレゼントとして世界で一番治安が良いことで有名な街にある家を彼女に贈った。そして、彼は、昔と住んでいた家を買おうと思ったのだ。
彼は、家を買おうとする前に一度、その家に訪れていた。家の中の家具には埃がかぶっていて、庭は荒れ放題で、とてもじゃないが、人が使えるようなものではなかった。それでも、そこは自分にとっては時々で良いから訪れたい場所だった。
彼女に会いたくなった時、たまにふと思い出す彼女の笑顔に切ない気持ちを覚えた時、気持ちを落ち着ける場所が欲しかった。そうでもしないと、すぐに彼女のもとに駆けていって、彼女の意思を無視して自分の傍から離れられないようにしてしまいそうだった。こうして、思い出に浸るくらいは許して欲しい。
彼女と生活していた日々はもう帰ってこないけれど、彼女の平穏な生活を見守りながら、その思い出を抱いて生きていくことができる。そう、思っていた。
しかし、現実というものはいつも自分に対して冷たく厳しいものらしい。
そんな些細な願いさえ叶えてくれないとは、自分はどれだけ神に嫌われているのだろう。まあ、神に嫌われるような事をした覚えが全く無いわけでもないし、むしろ積極的にしてきたような気もしなくも無い。
全財産つぎ込んでも良いから、この家を買ってくれとイルミに頼んだのはつい先日の話だ。彼は、自分の職業は殺し屋であって、何でも屋じゃないと苦情を言ったが、ボクに言わせてみれば彼は優秀な雑用係だった。
ヒソカは一旦泊まっているホテルに戻ると、洗面所で化粧を落としクローゼットからフォーマルな服を取り出して身に付けた。不審者扱いされて、交渉に望めないのでは話にならない。
もし、交渉が上手くいかなかったら?
イルミが言うように土下座を要求されたら?
と、考えて頭を振る。
その時はその時だ。
ククルーマウンテンから約1時間の距離を、赤いスポーツカーで飛ばして走る。普段かけている音楽もラジオも電源を切り、ただ風の音だけが耳に入った。
中心街から離れた場所に位置する家は緑に囲われており、陽があまり射さないのだが、雲一つ見当たらない晴天の今日は、木漏れ日によって明るく照らされていた。つい先日見た時、荒れていた庭は手入れがされていてずいぶん綺麗になっていた。ここを買った人間が、この場所を手放す可能性が低くなったことを知り、苛立ちを覚える。
呼び鈴を押すが壊れているため、音がならない。どうしようかと、思案しているとシナモンの甘い香りが鼻腔をくすぐった。ドアノブを握ると鍵がかかっていなかったのか、簡単に開いた。匂いに誘われるようにして家の中に入っていく。
先日訪れた時には黒ずんで剥がれかけていた壁紙が、昔のように趣味の悪い花柄で統一されていて、埃っぽかった床や家具が綺麗に磨かれている。リビングに行けば、何も付けられていなかった窓には上品なレースのカーテンがかかり、ゴーゴーと除湿機が動いていた。
シナモンの匂いは台所からしている。懐かしいアップルパイの匂いだ。あり得ないことなのに、期待に胸が躍った。熱くなった。ヒソカは急かされるようにして台所に足を向けた。
しかし、そこには誰もいなかった。
オーブンに火がかけられたままだったが、それすらまるで幻のように消えてしまいそうだった。その場に佇んだまま、ヒソカは手を額に当て目を瞑った。記憶と現実が混同しているのかもしれない。彼女がここにいるわけないのだ。
思い出の場所で過ごせば癒されると思っていたけれど、それは勘違いだったようだ。彼女がいた頃と彼女がいなくなってしまった今の現実をまざまざと見せ付けられる。こんな場所いらない。
腕を広げ両手を開き、何百枚ものトランプを具現化する。
なくなってしまえば良い。
「げっ」
蛙が潰れたような品の無い声が聞こえて、ヒソカは薄く目を開いた。そして、ドサドサと大量の洗濯物を床に落として顔を引き攣らせている人物を視界に捕らえて、その目を大きく見開いた。彼女は宙に浮かんでいるトランプとヒソカを交互に見て、それから、床に散らばった洗濯物を見た。
「トランプは仕舞って。せっかく貴方がくれたあの家だけど、もらったその日に売却しちゃったから、今はこの家が私の家よ」
ヒソカは彼女が発した言葉に耳を疑った。自分は確かに今、ニコラに似た顔を持っているので、先日彼女に会わせた青年も自分に似ている。けれど、「似ている」のと「同じ」では全く違う。ヒソカは背と体格が後者の青年とは明らかに違った。彼女が間違えるはずは無いのだ。そこまで考えて、ヒソカは彼女が自分の正体を知ったことを理解した。
「丁度、良かった」
そう言って、洗濯物を近くの棚に適当に置くと、はオーブンからアップルパイを取り出した。サクサクと手際よく切り、二つの白いお皿にそれを乗せて生クリームを添えると、一つは自分にもう一方はヒソカに出した。
指についた生クリームを舐めたので、ヒソカは近くにあった布巾を彼女に渡したが、彼女は少しげんなりとした様子でそれを受け取った。それから、はヒソカの袖を引っ張ってリビングに行くと、予め用意されてあった二つのカップにコーヒーを注ぎ、ヒソカに椅子に座るよう勧めた。想定外の状況で突然で、ヒソカは何が自分の身に起きているのか理解できなかったし、これからどうなるのかも分からなかった。ただ、彼女の取る行動を目で追い、彼女が口を開くのを待つしかなかった。そして、彼女がコーヒーを一口飲んでから、ついで言った言葉に彼は酷く動揺した。
「もう一度、一緒にここで住まない?」
まるで、夢のような申し出だった。ヒソカは自分の頬をつねりたくなったが、それはあまりにも場の空気を読まないものだったので自重した。けれど、本当に信じられなかった。
何もいわないヒソカに、傍からみれば、自分を睨んでいるようにも見えなくも無いヒソカの様子に、は自分がまったく見当違いな人間に、見当違いなことを言ってしまったのではないかと一瞬後悔した。だが、コーヒーもアップルパイも彼が来ることが分かっていて用意したのだし、彼とゆっくり話し合うためにこの家もイルミ君に無理を言って買ったのだ。コーヒーに入れた砂糖を溶かすためにスプーンをゆっくり回す。ここで引き下がるわけにはいかない。
「確かに私たちは、価値観も思想も全く違うし、お互いに認められない部分はたくさんあると思うの。でも「ボクは、さえいれば他に何もいらないよ」
話を遮られて、しかも意外な台詞を聞いて、回していたスプーンを止める。
「昔、ボクはそう言ったよね。忘れちゃった?」
その時、初めてはヒソカとちゃんと目を合わせた。その瞳は濡れていて、目尻にはうっすらと涙がたまっていた。
「が急にいなくなって、ボクがどんなに悲しかったか分かる?責めている訳じゃないんだ。でも本当に、本当に辛かったんだよ。が全てだったのに。がいなくなって、どうすれば良いのか分からなくなった」
責めていないと口にしてはいるが、彼の目は、を責めていた。は目を瞑って耳を塞ぎたくなるような衝動にかられたが、唇を噛んで耐えた。それは責任感や罪悪感からの行為ではなく、純粋に、彼が訴えるかつて経験した苦しみを共有したいと思ったからだった。
「ずっとボクの傍にいて」
その台詞は、も覚えていた。昔、彼と住んでいた頃、真夜中まで家に帰らなかった時があった。その時、不安を感じた彼が私に言った言葉だった。彼女はあの時頷いた。彼にとっては重い言葉だったのに何も考えずに軽く受け止めて、しかも、その約束を破った。「大人だから」と偉そうに義務をかかげておいて、は子供だからとその発言や意思を軽んじていた。
けれど、彼はそれもちゃんと分かっていて、私を許してくれるのだろう。目が熱くなって、鼻にツンと痺れを感じた。
「ありがとう」
がそう言って涙を零すと、ヒソカもぽろりと一粒涙を零し、椅子から立ち上がりの傍によって優しく、けれども、離さないようにぎゅっと抱きしめた。
もその抱擁に応え、「愛してる」とかつて彼に言った言葉をもう一度口にした。
家族愛に近い感情だが、これが恋心に変わる日もそう遠くないとはどこかで感じていた。
大人と子供
真実と嘘偽
善と悪
その線引きは非常に難しい。今まで多くの人が、これらの対極するものを定義づけようと議論してきた。けれど、決着は今日も明日もこれから何年時が経っても、その定義は確立されないだろう。
何故なら、それは時代や視点によって常に変わるからだ。