忍びの世界に結婚式や披露宴と言うものはない。
忍びにとって、家族や配偶者が出来ることは弱みを作ることになるため、公の場で発表することはないのだ。
「なーに、任せとけ!!結婚祝いに、引越しの手伝いぐらいしてやるぞ!」
「いや、頼んでないよ。ガイ」
「遠慮するな!ははははは!こういうのはお互い様だ!な、お前たち、今日は気合を入れていけ!」
「はい、ガイ先生!」
元気良く返事をして準備体操をしているリーの姿が横にある。ガイの後ろからげんなりした様子で、テンテンとネジが出てきて、カカシを見上げ会釈をした。その様子からして、休暇を潰されたに違いなかった。
「カカシ、お前は安心して任務につけ!」
ガイが親指の指紋を欠かしに見せるかのように前に出し、白い歯を輝かせた。と晴れて結婚できた俺は、同居するように申し出た。彼女が、意外にもあっさり頷いてくれたので、俺は浮かれていた。
普段なら自身ついて言わない俺も、結婚と同居の話を上忍の待機所で得意になって話していたらしい。調子に乗りすぎた。
プライベートで、これほど自分の行いを後悔したことはない。
溜息をついて、空を仰ぐ。彼女の私物に他の男が触ることになるなんて考えてもみなかった。実に嫌な気持ちにになるものだ、そう、思った。
元受付嬢のさんとカカシ先生がが付き合い始めたのは、自然なことのように思えた。しかし、二人が結婚に踏み込むという展開はおもったよりも早く、そして、落ち着きの無いものだった。
紅先生は、独占欲の代名詞であるカカシ先生がこのような行動を起こすことは想定内だと、冷静に言っていたけど、私たちはいまいち実感できないでいた。
なぜなら、彼女は『赤い目の兎』と言われても、私たちのイメージは『下忍の受付嬢』でしかなかったから、里一の業師であるカカシ先生と普段どのような会話をして、どのような生活をしているかも、想像できなかったからだ。
「ガイ先生、ここがさんの家ですか?」
ネジが、カカシ先生からもらった地図を見ながらガイ先生に確認するが、彼女の家に始めて来たガイ先生は曖昧に頷くしかなかった。ドアの横にある表札は、空白で何の役にも立たなかった。リーがノックをするが、私たち4人以外の気配はまるで探れなかった。
ネジが白眼で探ってみても、やはり留守のようだ。
事前に報告もしていなかったし、受け付けで彼女の居場所を聞いてみた方が良いという話になり、ドアに背を向けたときだった。
ガチャリと、ドアが開いた。
「あれー、どうしたのー?」
背後から聞こえた、聞き覚えのある声にブワリと鳥肌が立った。気配は無かったはずだ。それは、上忍であるガイ先生も認めていたじゃない。なんで、彼女がいたの。おかしいじゃない。
ゆっくり振り返ると、濡れた髪を拭いているさんがいた。
私を含め、ガイ班全員の息を飲む音が聞こえてきた、ように感じた。
「、いたのか。ノックしても出なかったから、てっきりいないかと思ったぞ」
ガイ先生が、その場の緊張を解くように、勤めて明るく声をかける。が、その声のトーンはいつもより低かったし、首筋には汗が光っていた。
「ウソっ、お風呂はいってたから気づかなかった!ったら、ドジッ子さん」
さんがコツンと自分の頭を叩いて舌を出すが、今となっては、その姿さえ恐ろしく思う。『下忍の受付嬢』と、同じ声で、同じ表情で、同じ動作で、『赤い目の兎』の恐怖を、与えられた。
「水音なんかしなかったぞ」
白眼で確認したネジは黙ってはいられなかったのだろう、静かにさんを見据えて言うと、さんが綺麗に笑った。濡れた栗色の髪が艶やかに光り、彼女の魅力を最大限に引き出していた。
後から考えてみると、あれは侮蔑の笑みだったのかもしれない。
(いや、もう考えるのはよそう。マジで健康に悪い)
さんが開けたドアの隙間から、失礼ながらもチラッと室内を見て、僕は重大なことに気づいた。
「あれ、さん、もう荷物運び出しちゃったんですか?」
「リー君、荷物って何のー?」
「僕たち、カカシ先生に頼まれて、さんの引越しの手伝いに来たんです」
さんが「ったく、あの馬鹿」と呟く言葉が聞こえたけれど、最近耳鼻科に通う身の僕は、空耳だろうと思うことにした。そのお言葉に反応して、テンテンと、ネジが顔を引き攣らせたとしても、だ。
「何か、僕たちにお手伝いできることはありませんか?」
さんは少しの間逡巡してから、にっこり笑って頷いた。
「じゃ、冷蔵庫の整理をお願いしようかな?」
さんの部屋に入ると、ほんのり甘いにおいがした。それが、上品な大人の女性の匂いで、なんだか恥ずかしくなった。忍鳥がガイ先生に任務書を持ってきたためガイ先生は途中でぬけてしまったけれど、僕たちは昼ごろまで冷蔵庫の整理をしていた。
彼女の家の冷蔵庫は、確かに大きかったし、中もギッシリつまっていたが、入っていたのは食料ではなく、瓶詰めされたものばかりで、手を汚すこともなかった。中身は分からないが、重さと音から食料でないことは明らかだった。
彼女が用意していたクーラーボックスに、一つ一つ丁寧にいれ、彼女がいらないと言ったものは、流し台に置いた。
単純作業ではあったが、さんが冗談も交えながら、カカシ先生の話や成り染め話や結婚までのことを話してくれた。
冗談を交えながら。
そう、きっと、9割くらいの冗談を交えて。
これが、もし本当の話なら、僕はこの場からダッシュで逃げたいと思った。
冷蔵庫の中身が空になると、彼女はパンと両手をたたいて終了の合図をした。
「皆、ありがとうねっ。お礼に昼ごはん奢っちゃうー」
遠慮しないでのお金じゃないからっ、と男物の財布を右手に持って微笑む。テンテンが一楽の出前が良いとリクエストを出し、それに決まった。
出前を待っている間、僕らははしゃぐようにして修行や任務の話をしていた。
さんは、相槌をうちながら、時にはこちらが聞いて欲しいことを、質問してくれて、とても話しやすかった。意外と聞き上手で、テンテンもネジも珍しく素直に笑顔を見せていた。ガイ先生の前では二人ともげんなりしていて、あんな顔しない。
「あっ、皆、食事の前に手洗いうがいを忘れずにねっ?」
「俺たちはアカデミー生じゃない」
子ども扱いされたのが嫌だったのだろう、ネジが不服そうにさんを睨む。そんな仕草が普段のネジとは違い、酷く子供じみていたので、テンテンと僕は顔を見合わせて、小さく笑った。
さんは不思議な人だと思う。彼女の前では、僕らは子供になれる。子供だと認めることが出来る。それは、僕の尊敬してやまないガイ先生には、ないもので、だから余計強く感じる。
部屋の中に漂う甘い匂いを胸一杯に吸い込んで、僕は刹那の幸せをあじわっていた。
「でもー、口に含むと超ヤバイ細菌とか、あるしー」
僕らが先程まで整理していた冷蔵庫を指差ながら、言う。
「「「・・・」」」
テンテンが走り出し、部屋中の窓を全開にして、ネジが流し台に置いてあったビンに袋をかぶせる、僕は胸いっぱいに吸い込んだ空気を吐き出すのに必死だった。
「暗部の毒物処理班にいた後輩が、お土産にくれたんだけど、冷蔵庫にいれっぱだったの忘れてたわ」
さんの、のんきな声が後に残った。
教訓を学んだ。
死ぬくらいの覚悟がなければ、引越しの手伝いをするべきではない。